2013.02.09 Sat
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.ここのところ、ひりひりとした女性蔑視と差別に充満した社会の中で生きることが、かなり苦しくなってきた。ニュースを見るのも、新聞を見るのも、いやだ。布団をかぶって、暗闇でごそごそと、縮こまっていたい、と弱気になる。そんな時、やはり、布団の中で、違う世界を見せてくれるのは、小説だ。
森美術館のことや、AKB48にまつわる事件や、柔道女子界の凄惨なパワハラに曝され、革命だ!闘え(でも、戦闘美少女ではない、わたしは贅肉たっぷりの中年だ)!と、布団の中で、自分に弱弱しく言い聞かせていた時に、ずっと本棚におきっぱなしになっていた、本書を手に取った。
それは、以前に読んだ、海老原暁子さんの『なぜ男は笙野頼子を畏れるのか』という、画期的紹介が心に残っていたからであるが。
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海老原さんがいうように、なぜ、笙野頼子は、敬して遠ざけられているのか?
日本のフェミニスト、そしてこの生きづらい社会に苦しむ方すべてがこの闘いを、じっくり体験してほしい。
本書から、笙野自身の、笙野の作品評。
「不当に扱われ説明をし続ける事が彼女の文学になっていったのだ。それは私的な不幸の問題を公的テーマとして構成しなおし、説得するという作業であり、まさにアンチ国家的な書きものであった」(126)。 すごい、まさにフェミ中のフェミ。
なお、海老原暁子さんは、WANにて、人気エッセイ「フェミニストの明るい闘病記」を執筆中です。(moomin)