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『上野千鶴子が聞く小笠原先生、ひとりで家で死ねますか?』 上野千鶴子

2013.04.27 Sat

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.在宅緩和ケア歴40年、在宅看取り率95%という小笠原文雄先生に、『おひとりさまの老後』でブームを起こした当NPO法人上野理事長が、67の質問を投げかけました。「在宅ひとり死」の可能性を、小笠原先生は語り、その真実の姿を見せてくださいました。「おひとりさま」のまま、最期を迎えられる希望の光がここにあります。

後期高齢者(ヘンなお役所言葉ですね)になると、どこでどんなにして死ぬのかなと、多かれ少なかれ

気になるところ。年齢を重ねるということは、昨日まで知らなかったことを今日見聞できる楽しみがある一方で、大切な人たちに先立たれる悲しみや寂しさを経験することでもあります。私も、両親、義父母を看取って間もなく、二人の姉を次々に見送りました。

いい相棒だった我がつれあいも、病気だと判ってから僅か6ヵ月で逝ってしまいました。近頃は親しい友人を見送ることが増えてきました。若い方の訃報を聞くのはもっと辛いです。別れはとても辛いことですが、でも人の死は間違いなくいつかはやってきます。

この本に「生まれる所は決められないが、死ぬ処は自分で決められる」とあります。そう言えばたしかにそうかもしれない。でも本当に死ぬところを決めることは、条件がいろいろ揃っていないと、とても難しいと思います。

今では病院で死ぬのがあたり前になってしまいましたが、日本人の死に場所が、自宅から病院へと逆転したのは、1976年のことだそうです。せいぜい35・6年前のこと。改めて人々の暮らしや習慣が、急速に変化していることに気づきます。そういえば私たちの祖母の時代は、お座敷の真ん中に敷かれた布団の上で、家族に囲まれて静かに息を引き取っていましたっけ。

「最期まで家にいたい、家で死にたい」という願いは叶いますか、安らかな「在宅ひとり死」を迎えることは可能ですか、どうすれば可能になりますか? では今使える制度は? 実例は?と迫る上野さんの鋭い突っ込みにも、実に細かく答える小笠原先生。

最期までおひとりさまだった方たちの、医療保険、介護保険で支払った費用、最期を迎えるまでに実際に使った全費用まで明かされています。誠実に丁寧にお答えになっているので、われわれ素人にも判りやすくて、横でお話を伺っているような気がします。

先生は、「在宅ひとり死」は孤独死ではなく、「希望死・満足死・納得死」「ひとりで死ねる。ひとりで死んだっていいんだよ」ということを日本のみなさんに知っていてほしいと言われています。一人で死ぬ方がかえって幸いかなと思えてきます。

私の夫の場合のことを、少し聞いてくださいますか。彼は会社の健康診断でがんが見つかり、精密検査を受けたら、末期がんで余命6ヵ月だと告知されました。自覚症状が殆どなかったからなのです。彼は、あと6ヵ月の命なら、やり残したことをどうしてもしておきたいからと、経口の抗がん剤を処方して貰って、西アフリカまで行きました。手術もできないというがんを抱えて、たださえ悪化することは判っていたのに、遠い砂漠の国へ行くなどという無茶をしたのですから、帰国したときはとても重篤な状態になっていました。

入院を余儀なくされて3ヵ月経った頃、最期にどうしても家に帰りたいと言い、ようやく帰宅を許されたのでしたが、家に帰ってすぐに容態が急変したので大急ぎで病院に連れ戻されてしまいました。それから一週間後、彼は彼岸へと旅発ちました。

もう少し家にいさせてやって欲しいと願いましたが、それは叶いませんでした。

当時、西アフリカへ余命6ヵ月というシビアな患者を、行かせていいものかどうか、教授会で論争されたと聞いていました。「死は敗北」という医学界で、変わったケースだったのでしょう。

その上また、病状がずっと重くなった患者を、酸素ボンベ付きで家まで帰らせるというのは、担当医の大英断があったればこそでした。付き添って家まで来てくださった若い医師は、そのとき顔面蒼白で、きっぱり「私の責任になりますから」と言われました。仕方なく大急ぎで病院へ逆戻りをしました。

今なら、私も少しは勉強もしましたし、いろいろ情報もあってとりまく状況も変わったかと思いますが、でもまさに命に関わるとき、医師に逆らうことができるのだろうかと自信は揺らぎます。もし小笠原先生がいてくだされば、違った結末になるのだろうなと想像しています。

そんな訳もあって、自分が望んだ通りの最期を迎えるのは難しいのではと、残念ながら私は考えていました。でもこの本を読んで少し希望が持てた気がします。日本中のお医者さんに、真剣にこの本を読んでほしいと思います。そして日本中に小笠原先生の様な医師が増えることを願わずにはいられません。

救急車で病院に担ぎ込まれ、延命治療を受けることは、はたして本人の希望なのか、それとも家族のエゴなのか? というのも難しい命題です。何かがあったとき家族は驚いて先ずは救急車を呼ぶでしょう。残された日々を、自分の思うように満足して納得できるよう過ごすことは、たやすくはないと思います。高齢になるほど認知症を患っている割合は増えますし。

家族や周囲の人と「最期のとき」の話ができる関係は、相互の信頼があったればこそです。病気の状態や認知症で、希望通りにはいくかどうか判らなくとも、周りにはきちっと自分の希望を言っておきたいものです。家族がいるとしても、遠方に居たり、家族や本人が望んでひとり暮らしをする高齢者は確実に増えています。遠くにいる家族が、かえって問題をややこしくする例もよく聞きます。

「最期まで家で暮らしたい」その願いどおり、「満足し、納得して死ぬこと、だれにも看取られなかったとしても、本人の希望がまっとうされたとしたら、 その生き方、終焉は喜ばしいものであるといえる」とありますが、誠にもっともだと心から思います。(中西豊子)

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