2013.06.07 Fri
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.この本を、多くのひとびとに、とりわけ「男性」に属するひとびとに、ぜひ読んでほしいとおもいました。できれば、おともだちやおしりあいに薦めてほしいともおもいました。
その理由を、わたしなりにのべてみます。この本をわたしがどう読んだかについて、感想のかたちで、いえ、感慨なのかもしれませんが、おはなししたいだけです。
この研究になぜとりかかろうとしたのか、なにを目的としてどのような方法によって対象にアプローチしたのか、といったことは、「はじめに」のなかに簡潔に書かれています。この「はしがき」をさらに簡潔にしぼりこむと、それはこのさいごに付せられた文に収斂します。「それでは、いざ、少年たちを管理した大人と、管理された少年たちの世界へ」
なにを管理したのかされたのか? 「性的身体」をです。「性的身体(sexualized body)」とは、「性化(sexualization)」された身体のことです。
一般に「男性は男性について書かれたものを自己にひきつけて読むことはないらしい、という認識」(本書p.123)が女性研究者のあいだにはあるようです。
わたしだって生物学的に「男性」に属しているにはちがいない。だけど、この本を、わたしは、はじめからおわりまで、わが身にひきつけて読みました。
そうしないではいられなかった。といより、わたしをぐいぐいひきつけていって、ついついわが身にひきつけて考えさせてしまう、それだけの力をこの研究がもっていた。
というだけでなく、渋谷さんが研究対象とした1890~1940年代のなかにまさにわたし自身の少年時代が包含されていたのです。
つぎに、この本をわたしが推薦したい理由を4点にしぼっておはなしします。
1.とりあげられている時代は、じつは、このいまと密接にかかわっている。
1890(明治23)年は「教育勅語」が発布された年です。わたしが小学校(3年生のとき以後は「国民学校」)にかよっていたころは四大節をはじめ主な式典ではかならず校長先生が恭しくこの「勅語」を「奉読」し、「訓話」をおこなっていたものです。
ひよわい子供のなかには式の最中に気分がわるくなってたおれる者もいた。
換気がわるかった。というより、そんなことに注意を向ける習慣がなかったようです。わたしも虚弱児童だったけど、なんとかもちこたえて、最後の「明治二十三年十月三十日」までくるとホッとしたものです。このあとは「御名御璽」だけでおわりですから。
1940(昭和15)年は、王兆銘を「首班」(この読みで変換したら「主犯」が最初にでてきた。「一太郎」も味なことをやりおるわい)とする傀儡政権(その名も蒋介石首班の「国民政府」をそのままくすねた)が南京に「樹立」された年です。
このおなじ年、「大日本帝国軍隊」は「北部仏印」(「仏印」とはフランスの植民地であったインドシナのこと、現在のヴェトナム)に「進駐」(「侵略」をこう言いかえるのは現文科省の独創ではない)しています。「日独伊三国同盟」が調印されたのもこの年です。
要するに対米英戦争(通称「太平洋戦争」)をはじめるまさに前夜にあたる年です。わたしは小学校2年生でした。
1940年代の最後の年1949年は中国大陸で「中華人民共和国」が成立、ヨーロッパではドイツ民主共和国(通称「東ドイツ」)が成立しています。日本国内ではいわゆる「ドッジライン」が明示されています。この年の秋、わたしは中国東北部大連市から「引揚」ています。16歳、日本流に言えば高校2年生でした。
1890年から1940年までの半世紀のあいだに、わたしたちのこの国は大きく変貌しました。1890年とは近代国家日本が軍国主義国家としての世界へデビューしていく起点でした。1940年は、まさにその冒険の総決算の時期であり、1949年はその冒険のてひどい挫折を背負っての「戦後史」への出発の年だと言ってもいい。
なぜ、このような時代背景をもちだしたのか? 少年の「性的身体」を「管理」しようとする、「管理」する必要にせまられている「大人」たちの考えかた感じかたには「時代」が刻印されている、とわたしは感じたからです。
たとえば、少年たちを「健全な心身」をそなえた「青年」つまりいっちょまえのわかものに育てるという課題は、そっくりそのまま、テンノ-ヘイカのセキシとして「散兵線の華と散る」兵隊を「つくる」ことでした。
このほぼ半世紀にわたる期間に少年たちの身体が、とりわけその「性的身体」がどのように管理支配されていったのかを歴史的にあとづけるのは、この時代を総体として理解するうえできわめて肝要なことです。これが、この本をお薦めする第一点。
2.男性の身体そのものを研究対象としてとりあげることの必要性いえ必然性をこの本は実践的にあきらかにしているということ。
そう言わればだれもがすぐ気づくように(逆に言われてみないと、とりわけ男性には、なかなか気づけないままでいるように)、「身体とか性といった新しい問題を歴史的に研究しようという場合、その性や身体とは『女の性や身体』を意味しがちであり、男自身の身体性に解析の目が向けられることはきわめて少ない」どころかほとんどなかったという事実が歴然としてありました。
「いってみれば」と、渋谷さんは書いています、「女性のほうが『身体度』が高い。男性が自己の身体を不問に付す一方で、『女の身体は新奇ででエキサイティングなテーマとしてもてはやされ、ねめまわされる』。その間、男性身体はあたかも無いも同然、無傷なまま放置される」(p.37)。(あとになってこの部分は、荻野美穂さんの論文「身体史の射程――あるいは、なんのために身体を語るか」からの引用であると著者からのご教示がありました)
3.この本でとりあげられているさまざまな言説そのれ自体が、なにしろおもしろい。
へぇー、あのひとがこんなこと言ってたのか、といった興味も、しょうじき、ありました。そうした言説をとおして、それぞれの時期の教育者や知識人たちが少年たちの「性的身体の使用」をいかに禁ずるかに腐心しているさまがありありと見えてくる。
個人的には、なるほどこのような言説によってあのころのわたしの「性的身体」使用は妨害されていたのかという感慨もありました。
と同時に、このわたしがいかに一般的な少年像からかけはなれて孤立した生活をおくっていたのかもわかって感慨無量でした。
こういったことがらについて、自分自身の過去を正確に再現する作業へのインパクトをこの本があたえてくれたことはありがたかった。
4.方法論への関心が半端じゃない。
ここんとこがすこぶるおもしろい(おもしろいなんて言うと不謹慎だっておこるひともいるかもしれないけど)。
研究論文なのだからあたりまえだってお思いですか? どういたしまして、方法論的にいいかげんなロンブンはゴマとありまっせ。
「本書における方法基準」のなかで、映画『ショアー』のなかでの一シーン、「ホロコーストで生き残ったユダヤ人の証言」のシーン「を解釈する高橋哲哉の手法は、示唆に富む」なんて書いてあった(p.132)のには、うなった。おぬし、やるのう。まさに、渋谷さんの真摯な姿勢を垣間見せるワンカットでありました。
5.タイトルのつけかたがうまい。
「下半身」アレルギーは、このMLにくわわっているひとたちにはまずないだろうとおもわれますが、その外の世界では、まだまだ、「下半身」ということばを公的に使用するなんてトンデモナイといった意識が主流なようです。だからこそ、この語と「立身出世」とをくみあわせたのはよかった。なぜか?
「立身出世」のほうは、わたしの時代あたりからそれを口にすることが恥ずかしいって気風になったようですが、いつのまにかまたことばはちがうけどこの社会階層での上昇志向が公然と表明されるようになり、いまでは、上昇志向をいだくこと自体を禁じられているというより、いだいたところではじめっからはしごをはずされている「負け組」と、それを無邪気に追及しうる「勝ち組」とに二極分解しているようです。
いずれにしても、「立身出世」と「下半身」というくみあわせはひとめをひくでしょうね。おまけに「男子学生と性的身体の管理の歴史」っていうサブタイトルまでついているのですから、けっこう食指をそそられるのではないかしら?
上野千鶴子さんの本でもタイトルのつけかたのうまいなあとカンシンすることが多いけど、渋谷さんもこの点では負けていない。いい編集者とめぐりあったゆえであるかも。
蛇足:わたしが育てられた時代の「国民学校」卒業式では「仰げば尊しわが師の恩」を歌うのがきまりになっていました。この歌詞のなかに
「身を立て名を挙げ」が入っていた。「唱歌・故郷」の3番の歌詞の冒頭は「志をはたしていつの日にか帰らん」です。立身出世の思想はごく自然にこどもたちのなかに浸透していた。また、明治以降の日本では、ヨーロッパ社会とはことなり、たとえ貧しい卑しい出自の少年でも努力さえすれば出世できるシステムが社会に組みこまれていました。
「陸軍幼年学校」と「師範学校」です。
以上で推薦の弁はおしましです。ひとつひとつの章で具体的に問題にされていることについて感想をのべることはしません。ながくなりすぎるし、それに、たとえ「感想」でも、それはわたしの「読み」をおしつけることになりかねないから。あとはどうぞご自分で読むことをおすすめします。(彦坂諦)
注記:本書評は、Gender Mailing List に投稿された文章に加筆訂正を加えていただき、再録させていただきました。
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