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彼女への共感 宇都宮めぐみ

2013.07.17 Wed

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 行ってみたいところがあります。

 韓国の首都ソウルから地下鉄で1時間ほどのところにある、スウォン(水原)です。韓国ドラマがお好きな方なら、「イ・サン」が遷都を夢見た都・ファソン(華城)のある場所として、耳にしたことがあるのではないでしょうか。ですが、私が行ってみたいのは、同じスウォンにある「ナ・ヘソク通り」です。

 ナ・ヘソク(羅蕙錫。1896~1948)は、朝鮮で最初の女性西洋画家・女性近代小説家、そして職業文筆家です。類まれなる才能と活発な作品活動(絵画・文筆)、先進的であったがゆえに「過激」ととられた思想と行動、そしてスキャンダラスな生き方により、人々の羨望と嘲笑を一身に集めた女性です。

 とくに1920年代には、「新女性」として時代の寵児となりましたが、不倫や離婚問題、さらにそれに対して彼女が主張した自由恋愛思想などが人々の反感を買い、強いバッシングを受けました。そして、1930年代半ばには、「新女性」に対する世間の冷淡な視線ともあいまって、彼女は忘れられ、歴史の闇に葬り去られてしまいました。(家族からも引き離され見放された彼女は、最期は行き倒れて身元不明のまま荼毘に付されたそうです。)

ナ・ヘソク通り

ナ・ヘソク通り(「彼女の芸術と愛、孤独…そしてナ・ヘソク通り」eスウォンニュース、2009/5/27記事)

 そんな彼女に再び光が当てられるようになったのは、50数年後――韓国の民主化が達成されてからです。朝鮮の女性解放と性解放を主張した彼女の「フェミニズム思想」が再評価され、散逸していた作品の発掘や、学術大会や全集編纂事業が盛んに行われるようになり、やがて故郷のスウォン市も彼女の顕彰を行い、2000年には「ナ・ヘソク通り」が作られたのです。そこには、ナ・ヘソクの言葉をモチーフにしたモニュメントやアート作品、銅像が建てられ、今では市民の憩いの場となっているそうです。

 こうして、韓国では一般的にも知られるようになり、自伝や全集、オムニバス集や研究書など、数多くの本が出されています。

 一方日本では、女性史・ジェンダー史を専門とする研究者の一部以外にはあまり知られておらず、彼女の作品も簡単に入手できるような形では十分に紹介されていません。(『近代韓国の「新女性」・羅蕙錫の作品世界―小説と絵画』が出版されていますが、Amazonでは中古本のみの取り扱いのようです。)

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 ですので、日本で彼女のことを知ろうとするなら、ナ・ヨンギュン(羅英均)『日帝時代、わが家は』が最も手に取りやすいものかもしれません。

 著者のナ・ヨンギュン氏は、ナ・ヘソクの実兄であるナ・ギョンソク(羅景錫)の娘で、本書は同氏による一家の回想記です。父・ギョンソクと叔母・ヘソクのことを中心に、植民地時代から朝鮮戦争後までを綴ったものですが、そこでは、思慮深く優しい父(ギョンソク)と、あまりにも才能に溢れるばかりに時代の先を歩き、ギョンソクを心配させ失望させる叔母(ヘソク)の姿が描かれています。

 1929年生まれのヨンギュン氏にとって、物心ついたころにはすでに叔母ヘソクはひどく落ちぶれてしまっており、パーキンソン病のために不自由な体をひきずって時折自宅を訪れる彼女の姿が強烈だったのでしょう。栄光と没落を一身に抱え込んだ叔母を同情すべき対象として、同時に、一家のお荷物としてもてあましてしまう存在として、まなざしています。

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ナ・ヘソク通りのナ・ヘソク像(「時代に立ち向かった新女性を記念して/スウォン ナ・ヘソク通り」Naverキャストより)

 熱田さんのエッセイでは、演劇の舞台をつくる女性が取り上げられていましたが、ナ・ヘソクもある意味で、舞台を作ろうとした女性です。彼女は、女性が人間として生きられる社会をつくり、風当たりが強くても率先してその社会=舞台に立とうとした人です。

 私が初めて彼女の小説に触れた時、率直なその言葉に共感できるものがたくさんあることに驚きました。それは、「今は女も人間というんです。人間である以上は出来ないことはないと言われています。男みたいにお金も稼げるし、男みたいに役職にも就けるし、男に出来ることは何でも出来る世の中です。」というメッセージや、「自分にはあまりにも難しい結婚がどうやってあんなに多くの人にできるのか」という悩みや・・・。(以上、小説『瓊姫』より。1918年発表、原文朝鮮語。東京に留学中の「新女性」キョンヒ(瓊姫)が主人公です。)

 こういった、今となっては「当たり前のはずのこと」に私がシンパシーを感じてしまうのは、100年近く経つ現在においても、かつて彼女が表現した「女であるための生き辛さ」が本当の意味では解決されていないということを表しているでしょう。そのことに、私は大きな衝撃を受けるとともに、家父長制の根深さを思い知りました。ナ・ヘソクに対する批判も多々ありますが、それでも私が彼女のことが気になるのは、こういったメッセージをその時代に朝鮮で発していたことは、やはりとてつもないことだからです。

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 このことは、恐らく韓国で生きる女性達も共感するところがあるのではないでしょうか。

 民主化運動や女性運動など、韓国の女性達は自身の権利と地位、そして自信を獲得するため様々な取り組みを重ねてきましたが、それでも100年前となんら変わらない問題や新たに生じた様々な困難に直面し続けています。山下英愛『女たちの韓流―韓国ドラマを読み解く』(岩波書店・2013)では、ドラマという象徴的な素材を通して、現代韓国で生きる女性と男性、そして家族の姿を描き出しています。

 韓国で生きるって、なんか本当に面倒臭そうだな・・・と、他人事のように思いながらも、それは自分を、または日本を映す鏡になるはずです。100年前の日本の「新しい女」達は、朝鮮の「新女性」にほとんど関心を払わなかったようなのですが、現在の女達はそうでないことを祈っています。








カテゴリー:リレー・エッセイ

タグ: / フェミニズム / 韓国 / フェミニスト / 女とアート