views
2403
物語を紡いでいくことは・・・ あかたけ
2014.05.04 Sun
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.前回のタキコさんのエッセイを読んで、少し考え込んだ。自殺を考えるとき、たとえば、<自殺したいと思う人>と<自殺したいと思う人に近しい人>がいて、さらに<自殺 したいと思う人と知り合いの人>がいて・・・と輪を描くように関係性が広がっていく。自殺をめぐる人間関係の行き場のない苦しみは、わたし自身の経験においてさえ、いまだ 心の整理がついていないことを改めて感じた。
「当事者のリアル」の追体験は、語られるものがあるからこそ可能になる。しかし、誰を当事者として、どんなリアルを追体験するのか。聞き手の当事者設定によって、得られる語りと、紡ぎ出され、追体験されるリアルは異なってくる。たとえば、<自殺したいと 思う人>の語りと、<自殺したいと思う人に近しい人>の語りは、どちらも当事者に設定 されうるが、一つの自殺をめぐって、全く別々の物語を生むのではないだろうか。
ここでは、当事者と物語をめぐる話について、少し挙げてみたい。音楽、科学、スポーツなどなど、特に今年に入っての数ヶ月は、多くの人が各界のさまざまな物語に踊り、 「踊らされた」と言い、今度は別の新たな物語を作り上げている印象だ。そこにはすで に、当事者と呼べる人がいるのかどうかさえよくわからない。とにかく、わたしも含め、 皆、物語が好きなのだと思う。
そんな中、タイムリーな映画が公開された。湊かなえ原作の『白ゆき姫殺人事件』だ。とある美人OLが殺害され、その犯人として地味なOLが浮上した。同僚、同級生、親族、 近隣住民などが証言し、彼女の人物像がワイドショーやツイッターで作り上げられてい く。しかし、本当の彼女を知っていて、本当に彼女のことを思って証言する者はいるのだ ろうか。いたとしても、それを正確に伝える術はあるのだろうか。憶測が憶測を呼び、憶 測が実像のように見える虚像となって、一つの物語がメディアを通して伝播する。これは フィクションなのだが、すでに過去にも何度も起こってきたことであろう。そして、もし かしたら、明日は我が身なのだ。それにしても、恐ろしい映画を観てしまったと思う。
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.
がらりと変わって、岡野雄一『ペコロスの母に会いに行く』。これも映画化された作品 だが、マンガのほうの絵がすごくかわいくて、決して楽しいばかりの作品ではないけれ ど、大切にしたい一冊となった。作者(ペコロス)とその母で認知症のみつえをめぐる話 だ。認知症が進んでいく母は、作者にとって、おそらく母が母でなくなっていくようにみ えたのではないかと思う。けれども、作者は、戸惑いながらも目の前の母を、母個人とし て接しようとしているように思えた。脈絡がないように思える言動を、わけがわからない とするのではなく、母の体験や記憶、習慣と絡めて理解しようとし、母が歩んできた歴史 をたどっていく。意味不明に見える言動をどのように受け止め、理解していくか。目の前 にいる人の感情や記憶、歴史をどう読み取り、どのように接していくか。一般的な「症状」としての解釈ではなく、対話し、その人個人の歴史や物語をふまえて理解する姿勢が、自分にどれほどあるだろう。
昨年亡くなった祖母を思い出す。子や孫、ひ孫に恵まれ、ちょっといい老人ホームに入 り、認知症もなく、何不自由ない老後を送った祖母だったと親族は話す。遠方で暮らしていたわたしは年に1回会うくらいだったので、あまり祖母のことを知らない。けれど、祖 母の話を家族や親族から聞かされる度、本当の祖母の気持ちを知りたくなる。もう、直接知ることはできないのだけれど。
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.ここで、あわせて思い出されるのが、六車由美『驚きの介護民俗学』だ。民俗学者であ る著者は、大学教員を辞め、老人ホームで働いているという。民俗学の聞き書きの実践をもとに、老人ホームでの利用者との対話が進められていく。その作業は、認知症の人の記 録ではなく、個人史の記録あるいは物語となっていく。時に閉塞感漂うアカデミズムの外 に広がる(広げるべき)民俗学の可能性は、たぶん大きい。
わたし自身、この春から十数年ぶりに、故郷で両親との生活を再び始めた。ほんの十年 ちょっとでも、両親との間に生じたライフスタイルや価値観のズレは、想像以上に大きい。わたしが思春期の頃よりも老い、あの頃感じていたよりも小さく見える両親に対し、 わたしはどれだけ彼らを理解しようとし、対話しようとしているだろうか。父と母の歴史 と物語を、わたしはどのように紡いでいけるのだろう。反省と展望もこめて、ゆっくりと二度目の同居生活を始めていきたいと思う。
カテゴリー:リレー・エッセイ
慰安婦
貧困・福祉
DV・性暴力・ハラスメント
非婚・結婚・離婚
セクシュアリティ
くらし・生活
身体・健康
リプロ・ヘルス
脱原発
女性政策
憲法・平和
高齢社会
子育て・教育
性表現
LGBT
最終講義
博士論文
研究助成・公募
アート情報
女性運動・グループ
フェミニストカウンセリング
弁護士
女性センター
セレクトニュース
マスコミが騒がないニュース
女の本屋
ブックトーク
シネマラウンジ
ミニコミ図書館
エッセイ
WAN基金
お助け情報
WANマーケット
女と政治をつなぐ
Worldwide WAN
わいわいWAN
女性学講座
上野研究室
原発ゼロの道
動画






