エッセイ

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日本軍「慰安婦」特集(4):女性国際戦犯法廷から10年国際シンポジウムに参加して 徐阿貴

2014.07.06 Sun

poster Dec. 5h

12月5日、女性国際戦犯法廷10周年を記念するシンポジウムが東京外国語大学で開かれた。20世紀最後の年に法廷が開かれて早10年。昭和天皇を含む戦犯10人に有罪判決を下し、日本政府の加害責任を厳しく追及した民衆法廷が加害国日本で開かれたことは歴史的事件であった。しかしその後日本政府からの誠意ある対応はなく、右傾化する日本社会の中で日本軍「慰安婦」問題への風あたりはむしろ増す一方であった。しかも年々被害女性が亡くなられるという状況において、「運動の足跡と意義を振り返り、今後の課題を広く共有していく」(主催者の言葉)ことは、この運動に関心ある人々すべてが望んでいたことと思う。10年前と同様、事前予約制であったチケットは1カ月前には完売、当日は約600人が参加した。会場に入り、壇上に映し出された法廷のトレードマークを見た瞬間、熱気にあふれた10年前の法廷に引き戻されたようであった。

Tokyo Dec, 5th (2)シンポは「性暴力・民族差別・植民地主義」というテーマで3部から構成され、第1部は法廷の意義を振り返り、第2部は被害者の証言を聞き、第3部は未来に向けて法廷・証言の思想的意義をどう引き継ぐかが討論された。以下、個人的に印象に残った点を中心に報告および感想を記したい。

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.第1部では尹貞玉さんが壇上に立ち、ともに法廷の共同代表を務め、2002年にこの世を去った松井やよりさんをまず追悼した。そのうえで、市民の力で政府と権力に対し国際法により判決を下し、性奴隷制度被害者の人権回復を求めた法廷は、女性史のみならず世界史上重要な事件であったということ、しかし日本政府による無視とNHK番組歪曲事件に鑑みて、運動を一段階上のレベルに引き揚げなければならないとした。それは、普通の人々である私たちが生きている現実の中で正義を追求し、真に道徳的な関係を結ぶことである。引き続き法廷の元共同代表インダイ・サホールさんは、法廷が国際法に基づいて東京裁判で無視されたジェンダーの視点から日本軍による女性への暴力を裁き、人間尊厳の回復を推進したことの意義を確認した。日本軍性奴隷制度が事実として認定されたことで、ルワンダ、ボスニア等、戦時下の性暴力問題が問われるようになったと評価した。

法廷の主席検事であったパトリシア・セラーズさんの基調講演でも、「市民社会」の力が強調された。いわく、法は市民社会の道具であり、国家のみに帰するものではない。国家が違法行為を無視するなら、市民社会が国境を越えてこれを糾すべきである。女性法廷判決の脚注36「本法廷の判決を確実に各方面に伝え実行に移すのは、グローバルな市民社会の課題である。加害国日本、第2次大戦時の連合国各国及び被害国の市民社会には、日本政府が補償を実行するよう圧力をかける特別な責任がある。(略)民衆法廷の判決を実行できるかどうかは、国家組織や国際的組織ではなく、最終的には市民社会にかかっている」を引用し、10周年シンポが判決の実行のひとつの形であることを強調した。また慰安婦を除外した戦後の「平和」条約にはジェンダーバイアスがかかっていたが、もし女性に平和が訪れないなら、女性にとってそのような平和とは何なのか、と強く問いかけた。

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.第2部では二人のサバイバーによる証言が行われた。2007年に名乗り出た中国桂林出身の韋紹蘭さんの証言では、日本軍により強姦・監禁されていた間に身ごもった息子の羅善学さんが同席した。母の証言の最中、羅さんが突然椅子から降りて床につっぷし、「ごめんなさい」と号泣した。日本軍兵士を父とし、家族や共同体から蔑まれてきた羅さんの姿は、被害が「慰安婦」だけでなく次世代に深く及んでいることをまざまざと訴えるものであった。

第3部の米山リサさんのビデオ録画によるパネル発言では、批判的フェミニズムの立場から、「慰安婦」という、民族差別、女性差別、植民地支配が絡まった暴力の問題に取り組んだ法廷の意義を再確認した。そしてNHK番組改変によって日本社会に法廷の詳細が伝えられず、米山さんや被害女性の証言が不当に歪められたことに強い怒りを示した。

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また発言の中で、性暴力被害者の証言に聞き手がどう向き合うのか、社会変革に向かうような聴き方の問題について提起した。続く村上麻衣さん(旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画・京都実行委員会)の報告は、ある意味これに呼応するものであった。ナヌムの家を訪れた若者を中心に2004年に結成された同会は、全国各地で証言集会を同時開催する活動を行ってきた。「ひとりでも証言したいという人がいれば、集会を開こう」という当初のスタンスは、フィリピンのロラ=ピラールの「もう日本には行きたくない、他にいないなら行く、だけどこれが最後」という言葉によって打ち砕かれた。加害国に行き証言することが当事者に多大な負担をかけるものであるにもかかわらず、「集会が当事者にとってどういう場なのか、という視点がなかった」という。そしてダンスパーティを取り入れるなど日本に来て「楽しんでもらう」ことに方向転換した結果、ロラ=ピラールから「楽しかった、また行きたい」という言葉がかえってきた。この経験から、被害女性と向き合い、喜びや笑いを共有する中でプラスのもの、限りある人生で少しでも「幸せ」を生み出すこと、その積み重ねが「未来」につながっていくのでは、と結んだ。「証言」を聞くとはどういうことなのか、市民社会における尊厳回復とはなにかという問いに、あらたな視点を与えるものであったと思う。

法廷後10年、各地の「慰安婦」裁判で敗訴や棄却が続いたが、問題解決を求める運動は、アメリカ、カナダ、オランダなど海外の国会決議、国内では36の地方議会の意見書の採択という、議会を動かす形でグローバルに展開されてきている。しかしながらセラーズさんが言うように、サバイバーたちにとっては不処罰の半世紀に続き、日本政府の誠意ある対応のなかったこの10年はさらに耐えがたいものであった。日本政府による一刻も早い誠意ある対応が求められる。








カテゴリー:慰安婦特集 / シリーズ

タグ:慰安婦 / 戦時性暴力 / 民族差別 / 植民地