2014.08.24 Sun
ここのところ働くことについて考えていた。観念的な意味ではなく、具体的に食べていくために働くということを。わたし自身は、現在は自分の希望した職に何とかたどり着いたけれど、その前の非常勤の仕事についている時代が長かったので、いまだにその経験がわたしのメンタリティに大きな影響を与えている(と思う)。
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください. 働くことを実践的に考えるのにおもしろい本を二冊紹介したい。ひとつは津村記久子と深澤真紀の対談集『ダメをみがく “女子”の呪いを解く方法』。津村記久子の小説はいわば「働くこと」がテーマになっているものが多いけれど、一時巷をにぎわせた「半沢直樹」的な世界からはほど遠い。あんなのばっかりだったら、暑苦しいものね。でもやはり生きていくためには多くの人は働かなくてはならないわけで、津村の主人公たちは働くことは当たり前だと思っている。その彼/彼女らの働く現実との折り合い方がおもしろい。そんな津村と「草食男子」の名付け親であるコラムニスト・編集者の深澤の対談である。
本書は「仕事編」と「生活編」の2部から構成されるが、「仕事編」のなかで津村の会社勤めをしているときに、仕事の手順など、すごく工夫したという話を受けて、深澤は、仕事をやっていくうえで大事なのは「努力」でも「がんばる」でもなく、「工夫」だと言う。
深澤:私も大事なのは「工夫」だと思っているんですよ。「努力」でもなく「がんばる」とかでもなく「工夫」だ と。この対談はダメがテーマだけど、「ダメ」とか言ったって、人から見たら、津村さんは芥川賞作家だし、私もコラムニストやコメンテーターだし、ダメじゃないし「成功」しているじゃんって感じじゃないですか。
津村:そうなんですかねえ。
深澤:「成功」の秘訣は「才能」「努力」「運」ってよく言われますけど、私たちのは「成功」じゃなくて「なんとかしのいでいる」状態だって思うし、「才能」じゃなくて「適性」、「努力」じゃなくて、「工夫」、「運」じゃなくて「風向き」だと思っているんですよ。
そして工夫して失敗したとしても、使うアプリを間違えたようなもので、そのアプリは自分に合わなかったって思えるけれど、努力して失敗すると自分自身がダメな感じになってしまうとつづける。なるほどそうか、「努力」を「工夫」とすると悲壮感は漂わない。こうした切り替えのうまくいかなかった、悲壮感たっぷりのみずからをふり返る。
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください. さてもう一つの本は石橋幸子著『人生の請求書』である。こちらは横浜で出版社を起こした女性によるエッセイである。学術書を多く手掛ける出版社の営業を担当する彼女の人生は、幼いころから「働くこと」と切っても切れない。1960年代半ばに病院で働きながら定時制高校に通い、その後さまざまな職に就き、現在に至っている。「牛はのろのろと」という文章のなかでは、著者のこれまでの働く人生がつづられ、「小学生の頃からきょうまで休まず働いて賃金を得てきた。生きることは働いて賃金を得ることと同義だった」と記され、「働けるうちは働こうと思っている」と結ばれている。貧しい環境のなかで育ちながらも、新しい世界に好奇心をもって挑んでいく姿はとても清々しい。(lita)