エッセイ

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国家責任は、誰が果たさせるのか?---8.14 によせて (下)岡野八代

2014.09.17 Wed

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください. わたしは、金学順さんの告発以降、政治思想史を学ぶ者として、なぜ、自らが当事者でないにもかかわらず、国民であるというだけで、戦後、戦争責任を果たさなければならないかを考えてきました。男性の哲学者たちによって独占されてきた--女性の政治思想家は、わたしが学生時代には、ハンナ・アーレントとシモーヌ・ヴェイユ以外に出会うことがありませんでした--政治思想史という領域のなかでは、暴力装置である国家がなした犯罪をどのように裁いていくか、暴力のあと、どのように被害者に正義を回復していくのか、といった問題を考えることがとても難しかったことを記憶しています。

ただ、「8.14によせて(中)」でも論じたように、90代以降の国際社会におけるジェンダーの主流化の波を受けて、過去の犯罪が認識されたのであれば、たとえその被害者の人たちがすでに亡くなられていたとしても、その犯罪の責任がどこにあったのかを明らかにすることが、これまでその犯罪を「犯罪」として認識さえできなかった社会構造を変革していくことに繋がることが明らかにされてきました。つまり、過去の犯罪、それも国家による犯罪を放置していることは、その国家はその当時のままの構造を抱え込んだままである、ということです。

「慰安婦」問題にかかわり続けることで、わたしは日本にはいまだ、女性に対する暴力、とりわけ性暴力に対して「寛容」な社会が底深くに根付いていることを痛感しています。金学順さんも当時の韓国社会では、圧倒的な性被害に対して声を上げられませんでした。また、1990年当時は、韓国社会でさえ、被害者女性たちの声に対して「恥さらし」といった非難の声があったことは確かです。アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.しかしながら、韓国社会では女性たちの運動、民主化運動のなかで、国家犯罪に対して、そして女性に対する(性)暴力に対して、犯罪を担った者、犯罪を許す社会にこそ「責任がある」といった認識が深まっています。他方で、日本社会はどうでしょう?沖縄の米軍による性被害に対して、どれだけの女性たちがこれまで「泣き寝入り」をさせられてきたことでしょう?いや、たとえば日本社会では、夫婦間には強かんはあり得ないという法制度がいまだ維持され続けています。わたしは将来において、そうした法制度を維持している現在の日本社会に対して、責任を問う声が上げられるだろうと信じています。そして、責任を問う声をあげることができるのは、この国の主権者、あるいは日本社会を構成している市民たちにしかできないことは確かです。

かつてわたしは、2000年12月の女性国際戦犯法廷に参加し、性奴隷制度の被害者による「正義を返して欲しい」という声は、日本社会をよりよき社会へと変革するための、未来の窓を開いてくれる声だと論じたことがあります。そうした文脈から、2014年8月14日、韓国の光復節の前日に二社の『新聞社』からインタビューを受けました。以下では、その翻訳を掲載することで、わたしの「8.14に寄せて」を締めくくらせていただきます。(なお、翻訳については、明らかな誤りを適宜、訂正しております。

ハンギョレ新聞 2014年8月15日

『ハンギョレ新聞』2014年8月15日

「慰安婦問題解決、日本の民主主義の成熟とも直結」

フェミニズム政治学者 岡野教授

「道義的責任があるのなら、民主的な手続きで法をつくり、法的責任まで果たすべきだ」

1991年8月14日、故金学順ハルモニ(おばあさん)が初めて公開証言をするまで、日本軍「慰安婦」問題は韓国と日本で「隠蔽された歴史」であった。当時、金ハルモニの告発は日本の一人の政治学者にも大きな衝撃を与えた。その日からちょうど23年ぶりの14日、フェミニズム政治理論家の岡野八代(47歳 政治思想 写真)同志社大教授はソウルで「慰安婦」問題について、日本の歴史認識と動向を発表した。

この日、韓国女性政策研究院が主催する学術シンポジウム「戦時性暴力の根絶のための国家責任履行と市民社会の役割」で主題発表を控えた岡野教授は、日本が日本軍慰安婦問題を反省し法的責任を果たすことは、単純に裁判所の判断からではなく、日本の民主主義の成熟と直結した問題であると指摘した。「日本政府は、慰安婦問題に道義的責任があるが法的責任はない、と言うが、そうではないです。国民が選挙をし、意見を出して、制度を直していくというのが民主主義であるというとき、道義的責任を感じるのであれば、立法という政治的過程を通して、法的責任まで果たすべきです。」慰安婦問題の解決が、今日の日本の姿を批判的に省察する民主主義の重要な契機になりうるという意味だ。

慰安婦問題の民主主義的解決を妨げる背景に、「ナショナリズム」があると岡野教授は指摘した。「1990年代に入り日本の国力が弱まったと感じたところに、中国と韓国で日本の慰安婦問題をはじめとした歴史認識を批判すると、(少なからずの)日本国民と政治家達はそれを「歴史的事実」、または「女性の人権」の問題ではなく、「力が弱いがために侮辱を受けている」と考えるようになりました」。 彼女は、「慰安婦動員の強制性を認める河野談話は「日本は歴史教育をしっかりとしなければいけない」、「再びこのようなことを繰り返してはいけない」という民主的論議の出発点に立っていたのに対し、(安倍政権が)今になって談話を検証するということは、それは国家主義的な態度」だと付け加えた。

 岡野教授は、韓国の歴史国家主義的接近を警戒しなければいけないと助言した。「単純に韓国の女性が外国の男性に暴力を受けたという観点で、慰安婦問題を人権問題ではなく、民族、または国家の恥として見る人も多いと聞きました。」慰安婦問題の解決を促す水曜集会と関連博物館の建設を妨害する一部の韓国人に言及し、国家主義的観点は被害者の人権中心の問題解決の助けにはならないと指摘した。

政治家ではない一般の市民達が慰安婦問題の解決に「政治的に」寄与することのできる方法は、「できるだけ多く、頻繁に、自身の意見を表すこと」だと彼女は助言した。「私もセミナーの発表だとか、ツイッターだとかで、できるだけ意見を多く表明しようとします。ツイッターに慰安婦と関連する文章を書くと、反対する日本の「愛国者」を名のる人々が「悪性reply(誹謗や中傷などのコメント)」を書き込むこともありますが、私は論議する過程自体が重要であると考えています。」

(文章・写真 パク・スジ記者 suji@hani.co.kr)

『朝鮮日報』 2014年8月15日

朝鮮日報 8月15日 「日本政府、慰安婦特別法をつくり、政治的責任を果たすべきだ」

岡野八代 日本 同志社大教授

「日本政府は慰安婦問題について政治的責任を果たすべきだ」

岡野八代同志社大教授は、14日ソウル中区フェラムタワーで開かれた女性家族部・韓国女性政策研究院主催の慰安婦関連国際学術シンポジウムにおいて、「道徳的責任だけでは慰安婦問題は解決されない」とし、「慰安婦問題を根本的に解決しようとするなら、必ず「特別法」が必要だ」と語った。慰安婦問題は、日本政府が自らその真相を明らかにし、再び起こらないよう国民と未来の世代に真相を伝えなければいけないにも関わらず、日本政府はこれらのことをおろそかにしていたため、法で強制しなければいけないという。

今年初、日本政府が日本軍慰安婦動員に強制性を認めた「河野談話」の検証を推進すると、岡野教授は同僚の教授達と「河野談話は戦争中、女性の人権を侵害した犯罪として慰安婦問題を忘れないという国際的な約束」だと反対声明を発表した。

岡野教授は「「金銭的に賠償したのだから、道徳的責任を果たしたのであり、今の時代の私たちは知らない」というような日本政府の態度は変わらなければいけない」とし「韓国の慰安婦被害者達が要求した慰安婦少女の設置、歴史教科書への慰安婦問題の記述、個人賠償等を、日本政府は積極的に検討する必要がある」と語った。

彼女は2014年7月に国連の市民的・政治的権利委員会が「慰安婦(comfort women)」という用語の代わりに「強制性奴隷(enforced sex slaves)」と使ったことに対し、「国際社会が慰安婦よりも、より正確な表現である性奴隷という表現を使っていることは非常に勇気づけられる現象」であると語った。岡野教授は「韓日両国政府が慰安婦問題を論議する機会を作るために、積極的に前に進み出なければいけない」と強調した。

(イ・ドンヒ記者、 オーロラ・インターン記者)








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