2015.04.02 Thu
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.舞台の上には、神と悪魔が棲んでいる。役者と登場人物、観客と黒子、情熱と怪奇、愛と失望、娯楽と革命・・・渾然一体となったそれらを包み込む劇場そのものもまた、一つの有機体である。Phantom of the Operaならずとも、非日常の異界を守護、あるいは威嚇する何者かがいると考えることは無理がない。
伝統ある宝塚歌劇場・歌劇団を守護するのは、かつて奈落の底で非業の死を遂げた伝説のトップスターだ。この作品では、亡霊となり劇団を見守るかつてのスターと最後の公演を控えた人気絶頂のスター、そしてこれから頂点を約束された新しいスターとが、伝説の作品の再演を巡って、新たな活劇を折りなしていく。
ここでは劇団という集団社会の中で、仲間と競い合い、助け合いながら一丸となって突き進む姿や、役者として個として成長を遂げていく様が生き生きと描かれる。課題にぶちあたるたび、緊張をはねのけながら経験と技術を身に着けていくジェンヌ。自信と円熟を手にし、後輩から憧れられる中堅役者へ。やがて若い花たちを束ね、劇団を背負い導く立場と。若手から指導者まで、段階的に増していく社会的責任を引き受けて成長していく様は、組織の中で働く人間の普遍的な成長過程である。
普遍的な成長のテーマがしっかりと描きこめるのは、宝塚が女だけの世界だからだ。異性との恋愛における、女としての資産価値による格差に分断されない世界だからだ。性別によらず、誰もが個人の性質や能力によって存在できる聖域だからだ。退団後、彼女たちは「女の」領域に呑まれていく。髪を伸ばし、結婚をし、オスカルが「女でありながら、これほどに広い世界を人間として生きる道与えてくださったことに感謝します」と涙したその女の領分=家庭の領域へと回収されていく。
しかし、それをよしとしないものがいる。聖域からの追放を拒む者、再び女性ジェンダーを身にまとうことを拒む者がいる。亡霊と今から死へと向かうスターがこの役にあたる。
今回彼女達が演じるのは、ハッピーエンドの大団円を鉄則とする宝塚では異例の悲劇である。セビリアを舞台に、闘牛との戦いののち、頭蓋骨を踏みしだかれ、流血の中絶命するという凄惨な幕引きを見せる。それは、宝塚俳優達の短すぎる花の盛りや引退という死、更にいうならば、男役俳優という男性社会からの解釈を拒絶する存在への処罰をも示唆している。
美意識の高かったトップスターが奈落で命を落としたのも、引退するスターが深々とした眠りにつこうとするのも、彼女たちの聖域(アジール)への殉死である。ここでの死は解放と休息に近い。美学の究極の成れの果て、自己の世界の完結である。
中山可穂の作品には、常に死の香りがさしている。はっとするほど昏く濃い闇は、私達の住む日常ではありえないほど強い光が棲む場所のものである。その光を眼にしてしまった人は、どんなに隠そうとも体の奥底に熾火を宿し続ける。作者はどこかで、麻薬の様に蠱惑的な光と闇を見てしまったに違いない。そしてそのどこかの一つが、舞台という世界なのだろう。
ヘミングウェイの「老人と海」で、戦いを終えた老人はライオンの夢を見る。 彼女たちの見る夢は、きっと血まみれに粉砕された自らと聖獣の聖血だろう。それもまた一つの救済の形である。眠りについた彼女は、ひそかに笑っているかもしれない。
しかし夢は醒める。そこから再び、真実の劇が始まる。
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