2015.04.25 Sat
D-WANが発足して2年、いつしか実務班と呼びならわしたメンバーは、お預かりした貴重なデータをサイトにアップする作業を担当してきました。
私たちも素人ならシステムも試行錯誤というてんやわんやを繰り広げつつ、それでも『高齢社会をよくする女性の会』『あごら』『資料日本ウーマンリブ史』などおよそ45誌をを収録してきたのですが、そのなかにはすでに終刊しているミニコミもたくさんありました。かつて、自分も励まされてきたミニコミがその役目を終え、いまこうして歴史の中に収められていく――その作業の一端にかかわらせていただくのは、67歳になったわが身と重ね合わせてとても感慨深いものがあります。
一号、一号、発行年月日を入れながらアップしているうちに、ミニコミが最終号に至る過程にはいくつかのパターンがあることに気がつきました。
月刊が季刊になり、季刊がやがて不規則になり、間隔が長く開いたと思うとふっと終わるところ、最後まで定期刊行を続け、きっぱりと最終号を出して幕を閉じるところ、それぞれのミニコミに、きっと悲喜こもごものドラマがあったのだろうなあと思わせます。
女エロス 最終号 | 日本婦人問題懇話会会報 最終号 | 月刊家族 最終号 |
最近「長崎・女の会」の『女の会通信』を担当しました。ふと思いついて最終号を開いてみたら、ある母子家庭のお母さんが天然酵母のパン屋さんを開くまでの奮闘記が載っていました。昼間の仕事を終え、疲れた体で真夜中にパンだねを仕込んでいると、反抗期真っ最中の一人息子が起きてきて、「後はおれがやるからもう寝ろ」というところなど、思わずもらい泣き。いい記事でした。
そのお母さんは私と同い年、それから20年たって、いまこの方はどうしているんだろう、そのお店はまだあるのかしらと思ってインターネットで検索してみると、なんと素敵なログハウスがヒット、店員さんまで雇って、りっぱなお店になっているではありませんか。
「がんばったねえ」と見知らぬ彼女の背中をなでたくなりました。そして、彼女を励まし背中を押したであろう記事を最後に、終刊した『女の会通信』に、「良い仕事をしましたね」と拍手したいと思いました。
ミニコミは、終わっていいのだと思います。その時に必要な役目を果たし、何人か、何十人か、何百人かを励まし支え、また新たな人生に向かってそれぞれが散っていく。「終わる」というのは何でも難しいけれど、終わる勇気も大事なことです。
最終号にドラマあり――そう思った経験でした。
カテゴリー:エッセイ・ミニコミと私