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『女性学年報』30号 発行のお知らせ  

2009.12.05 Sat

 『女性学年報』(日本女性学研究会・女性学年報編集委員会 刊)は今年で30号を迎えました。
多くの方々に支えられてきた『女性学年報』。
今号は、投稿論文のほかに、二つの特集を組んでお届けします!(定価:1900円+税)

お問い合わせはオフィス・オルタナティブ06-6945-5160 begin_of_the_skype_highlighting              06-6945-5160      end_of_the_skype_highlighting まで
または『女性学年報』編集委員会 joseigakunenpo@gmail.com=============================================
■目次■

■論文
桂容子「フェミニズムと男女共同参画の間には、暗くて深い河がある」
石河敦子「総合職経験を持つ大卒専業主婦にみる性別役割意識の変容」
木下直子「DV被害者支援をおこなう民間シェルターの課題
     ―利用者からの異議申し立てを中心に―」
石井香里「レズビアンのパッシング実践の可能性について」
木村尚子「「産ませること」から「選択的に産ませること」へ 
     ―1950年代の受胎調節普及事業・家族計画運動における
     助産婦への期待―」
山家悠平「遊廓のなかの女性たちがみた「近代」
     ―1920年代の新聞記事を中心に―」

■特集
日本女性学研究会30周年記念
 女性学・ジェンダーフォーラムin 2007
 ―未来へつなぐ女性学、十人十色、「私」の30年をふり返る―
書いてつないで30年、『女性学年報』30号によせて

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┃1┃ 投稿論文 要旨 (掲載順 ) ┃
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■桂容子
「フェミニズムと男女共同参画の間には、暗くて深い河がある」

思いのほか長い間、「男女共同参画」という領域で仕事をすることに
なった。仕事をしながら、どう考えても納得のできない矛盾に何度も
つきあたった。が、まわりはその矛盾を気にしていないように見える…。
私が間違っているんだろうか、私の感じ方がおかしいんだろうか、何
度も自問した。一方で、ふと洩らす私の疑問には、同意してくれる人も
結構いた。行政の人ですら、同意見であったりした。たぶん、みんな感
じているのだろう。わかっているのだろう。でも、問題化されることは
ない。何か目に見えないバリアでもあるのか? 私は、そういう「暗
黙の…」というものに疎い。空気も読めない。どうせKYで無謀なん
だから、この際、言挙げしておこうと思った。
 内容は大きく分けて、行政現場で感じる矛盾と、男女共同参画セン
ターに感じる矛盾である。どちらにも通底しているのが、フェミニズ
ムとの距離の遠さである。顔は似ているが、中身は全く違う。むしろ、
フェミニズムの隆盛によって、既存社会の秩序が揺るがされることの
ないように、行政が、程の良い、中産階級の女性向けのセンターをつ
くってきたのかと勘ぐりたくなるような出来映えであり、現状だ。
 バックラッシュばかりが「敵」であるかのような風潮が蔓延してい
るが、それほど、ここから先がバックラッシュ派だ、というような明
確な線は引けない。確かに、明らかに名乗りを上げて看板を掲げて主
張する人たちはいる。が、私には、そういう旗印のはっきりした集団
よりも、フェミニストを装いながら、あるいは男女共同参画を推進す
る行政内部にいながら、既存の秩序に従順な人々の方が不気味だ。そ
ういう人々が、なしくずしに、フェミニズムの成果を葬り去る役割を
担う気がする。足下から、隣から、侵食は始まっている、という気が
する。そういう人たちは、旗幟鮮明ではない。常に、状況を見て態度
を決める。権力のある方につく。この人達によって、やがて、事態は
転覆される日がくるのではないか。長年、男女共同参画センターは、
うかうかしていると、反フェミの拠点になりかねないと危惧してき
た。その色合いが、最近はとみに濃くなっているように思う。
本稿では、そのことについての批判を「程よく」書いたつもりなの
だが、あるいは、度が過ぎただろうか。今の私には判断がつかない。
大きな権威や勢力に、非力で楯突くしんどさと怖さを味わいながら
の作業だった。

■石河敦子
「総合職経験を持つ大卒専業主婦にみる性別役割意識の変容」

総合職とは1986年の男女雇用機会均等法施行後に企業がとりいれ
はじめたコース別人事管理制度で設けられた昇進も昇給もある採
用枠である。女性が総合職で採用されることは、男性と平等に働
く機会が与えられ、男性なみの働き方が期待されることを意味す
る。高学歴女性は性別役割規範に否定的だといわれるが、実際に
は専業主婦になる大卒女性は多く、長期キャリア志向を持つこと
が期待される総合職女性さえ、専業主婦になる。こうした現象は
女性たち自身の性別役割意識と関連があるのではないか。本研究
では、大卒専業主婦の総合職志向と性別役割意識の関わりを問い
直すべく、総合職を経験した大卒専業主婦を対象に、性別役割意
識の変容を探った。
インタビューの結果、現在は性別役割規範に肯定的な大卒専業主
婦たちが、大学時代に総合職を希望していたからといって性別役
割規範には否定的であったとはいえないようだ。質問への抵抗感、
記憶の矛盾や曖昧さを考え合わせると、性別役割規範に変容があ
ったとは結論しがたい。出産・育児によるキャリアの中断はやむ
をえないとする向きもあり、総合職志向は必ずしも継続就業志向
を意味しないことがわかる。では彼女たちは一概に腰掛けのつも
りで就職したかといえばそうでもなく、大学時代、仕事も家庭も
と考える両立志向であったことも明らかになった。彼女たちが専
業主婦になったのは、できると思っていた両立ができなかったか
らだ。両立挫折の背景に彼女たち自身の性別役割規範があった。
性別役割規範肯定の主観的根拠としては、育児が女性の仕事であ
るとの考え、夫が家事に不向きであるとの思い込み、自分より夫
が外で働くほうが有利であるとの判断があげられる。社会や職場
のジェンダー格差も離職を促した。とくに職場の性差別的慣行は
社内での居心地を悪くしたし、会社の育児制度は使いにくく、社
会的育児支援が十分ではなかった。
キャリア断念には、自身の価値を認められないなど現在の生活に
おける不満と将来への不安が少なからず伴った。総合職経験にあ
って専業主婦に欠けるのは社会的評価である。こうした不満を抱
える大卒専業主婦たちには、離職による人生的損失を埋めるため
にも、社会活動や再就職活動により社会的評価を受ける場が必要
だろう。

■木下直子
「DV被害者支援をおこなう民間シェルターの課題 
 ―利用者からの異議申し立てを中心に―」

 DV被害者支援の現場では、「同じ女性として」被害者と痛み
を分かち合い、連帯しようとする特徴があった。特に民間であれ
ば、無償に近い状況であってもボランタリーな精神で取り組みが
行なわれているため、シスターフッドは支援事業の推進力となっ
てきたと考えられる。しかし近年、DV被害者支援を受けた当事
者から、民間の支援者に対する異議申し立てがなされるようにな
った。「二次被害」が問題化されているのだ。それらに対して支
援者側からの明確な応答はみられない。
 本稿では、異議申し立てをする新しい主張に対し支援者側から
の応答が盛り上がらないのは、それらが「善意」の支援者を責め
ているよう映るため、支援者自身がとまどっていたり、受け止め
きれなかったりしているのだと想定する。
 そこで、異議申し立ての声を伝えてくるものとして三本の論文
を対象に絞り、議論を概観しつつ、要点を整理する。さらに、二
〇〇七年に筆者が実施した「シェルター利用満足度調査」の結果
も手がかりにすることで、サバイバーの想いを探る。これらによ
り、議論の活性化につなげることを目的とする。
 三本の論文からは重要な視点が提示されており、いずれも具体
的な事例を挙げている点で説得力がある。しかし、論理展開の整
合性に関して議論の余地のありそうな点や、さらなる実態調査が
求められる側面も見られた。
 「シェルター利用満足度調査」は小規模な調査ではあるが、利
用者に歓迎されていること、違和感を持たれた出来事など双方が
わずかに見えてきた。支援が決して「二次被害」を起こすばかり
ではないことが再度確認できたともいえる。支援という事業の枠
組みを超えたところでの感情の触れ合いも捉えることができた。
 とはいえ支援-被支援の関係性には、どうしても権力関係が生
じる。積極的な是正のための一つの打開策として、民間シェル
ターのネットワークによる苦情処理制度の構築を提案したい。支
援者たちは日々多忙な業務を抱えているが、異議申し立ての声を
集約し、反論も含め、応答する必要があるだろう。それらに真摯
に向き合うことは、より対等な関係性を探る上で重要になってく
るだろう。
 すべてのサバイバーの声を聴き届けることは困難であっても、
すでに出ている意見と向き合い、痛みを想像し、議論が継続され
ることを願う。

■石井香里
「レズビアンのパッシング実践の可能性について」

レズビアンのパッシングとは、レズビアンが異性愛者のふりをす
ることを指す。全てのレズビアンがパッシングという行為を経験
するにもかかわらず、パッシングは単に後ろ向きであるとか、
「本当の」レズビアンならばしない行為であると考えられてきた。
果たしてレズビアンのパッシングとは本当にそれだけの行為なの
だろうかという疑問が本稿の出発点である。パッシングという言
葉は決して一般に馴染のある用語ではないので、始めにパッシン
グの概念と機能について整理した。次に、レズビアン解放運動が
カミングアウトを解放戦略の主要な戦略として採用しているため
に、「隠す」行為であるパッシングはレズビアンの可視化を妨げ
る行為として考えられてきたことを確認した。
ところで、レズビアンのパッシングの概念定義には諸定義あり、
レズビアンのパッシングは複雑な現象である。そしてその実践に
対する解釈もまた否定的なもののあれば肯定的なものがある。心
理学的な研究においては嘘をつくことからくる罪悪感やストレス
が指摘されてきた。また。レズビアンの運動家であるアドリエン
ヌ・リッチは、レズビアンのパッシングをレズビアン連続体の可
能性を破壊する行為であるとして糾弾した。本論ではシェリー・
イネスのパッシングに対する前向きな見解に着目し、そこからレ
ズビアンのパッシングの肯定的側面について検討した。パッシン
グは時に身を守り、公に晒せば破壊されてしまうかもしれない性
的なアイデンティティを存続可能にすると考えられる。
パッシングという行為を考察することによって、一枚岩的なレズ
ビアン・アイデンティティは、その流動性と社会構築性が認識さ
れることを指摘した。その上で、同性愛者が可視化した社会にお
いて、レズビアンという地に安住することなく、敢えて用語の誤
用を促す確信的なパッシング実践こそが、これまで問題視されて
こなかった異性愛に目を向けさせることができると考えた。以上
のように、レズビアンのパッシング実践には秘められた変革の可
能性があるとして論を閉じた。

■木村尚子
「「産ませること」から「選択的に産ませること」へ
 ―1950年代の受胎調節普及事業・家族計画運動における
 助産婦への期待―」

子どもを「つくる」とすれば数少なく計画的につくりその子をよ
り良く育てたいという願望は、子どもの将来を願う親、とりわけ
母親の愛情や責任から生じる当然の帰結と考えられている。日本
でのこのような子どもの質への関心が大衆化し幸福な家族像が平
準化するのは、1950年代から60年代にかけてであり、その中で
幸福な家族の実現と管理とが女性の役割とされるようになる。本
稿は、この時代から現代につながる女性役割の定着と生殖のあり
方、そして子どもの質への観点に大きく影響を与えた1950年代
の受胎調節普及事業と家族計画運動に着目し、受胎調節指導員と
してその運動の推進を担った助産婦に対しどのような期待がされ
ていたのかを考察する。
中心的な史料は月刊誌『助産婦雑誌』や日本産婆会機関誌などで、
中でも『助産婦雑誌』は、行政関係者や産科医、助産婦などの執
筆者が助産婦の資質向上のための最新の知識を与えることを目的
としている。明治期以降その職業的基調を「産ませること」に置
いた産婆・助産婦の多くが、戦後の第一次ベビーブームと呼ばれ
る繁忙期の後は厳しい現実に直面し、生業維持に困窮する助産婦
の悲痛な声が多数寄せられる。これに対し行政関係者や産科医、
一部の助産婦からは「母性保護」を掲げる政策に身を呈するよう
説得が続く。助産婦の苦境が、政策側にとっては安価で即戦的な
労働力として運動に動員する好機であったことがわかる。さらに
助産婦には、避妊や人工妊娠中絶など「産ませないこと」をもそ
の職域とし、「不良な子孫」の出生排除、すなわち「選択的に産
ませること」が期待された。史料には、これに積極的に応じて優
生手術対象者の発見に協力する助産婦の手記が見られる。このよ
うな助産婦が抱く質への観点とそれにもとづいた選別は、運動の
拡大とともに大衆化する。そこで重視されたのは、性の二分化の
強調とその役割徹底によって実現する「幸福な家族」の姿であり、
その実現のために身体をとおして役割を果たす女性であった。
この時期の一連の運動によって産む/産まないという選択を女性
が自覚的に行うようになり、同時にその選択は子どもの質への観
点を伴って戦後の新たな秩序としての家族と男女の役割を意味づ
けた。これは、日本の人口の質と量に関する政策課題が幸福な家
族像として個々の生活に浸透し、生殖とその結果としての子ども
の質と量への管理が具現化した過程である。1950年代の助産婦へ
の期待は、このような性別役割の徹底と生殖のあり方の平準化を
先導し、社会を補完する家族を形成することにあった。

■山家悠平
「遊廓のなかの女性たちがみた「近代」
 ―1920年代の新聞記事を中心に―」

一九二六年八月八日の『大阪朝日新聞』には「東京まで走った娼妓
廃業/広島に舞戻って」という短い見出しがある。新聞が伝えるの
は、二十代後半のふたりの娼妓が広島の遊廓を飛び出し、夜行列車
で上京して警視庁に廃業を訴えた、という出来事である。しかし、
そのシンプルな「事実」のまわりに、どれだけ語られていない歴史
的条件がひそんでいるだろうか。広島の娼妓たちは、だれと話し合
って、どんな展望を持って、遊廓から飛び出すことを決めたのだろ
うか。実のところ、いままでの女性史研究はその問いにはっきりと
答えることができなかった。それは研究者たちが事実の究明に不誠
実であったということではなくて、そもそも娼妓たちがどのように
自分たちの状況をとらえていたのか、という問いがなかったのだ。
「後悔したときは時おそく、二度と通常社会に戻れない。なぜなら
男の社会は彼女たちの存在を咎めず、存分に利用しながら、しかも
自分たちとおなじ人間であることを認めようとしないからである」
という『明治女性史』における村上信彦の記述に代表されるように、
売春をして生きるということの困難があまりに「自明」であったか
らである。その悲惨な売春のイメージを大きなフレームとして、こ
れまで遊廓のなかの女性たちの生活史は常に特殊な歴史として、ほ
かの女性たちの状況から切り離されたものとして記述されてきた。
しかし、もし別々のものとして語られてきた歴史を、「近代」とい
う共通の文脈に置きなおしてみたら何が見えてくるだろうか。必要
なのは、女優に憧れて汽車に飛び乗った酌婦たちの経験を、あるい
は東京の貧民街をさまよった金子ふみ子のまなざしを、遊廓のなか
に生きる女性たちの視線や言葉と重ね合わせていくような作業であ
る。この論文では、遊廓のなかの女性たちがみた「近代」を、かの
女たちの言葉や行動のなかに、そしてかの女たちと同時代を生きた
さまざまな女性たちの視線が交差する場所にさぐりたい。

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┃2┃ 日本女性学研究会30周年記念 ┃
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2007年12月2日にドーンセンターで開催された、「女性学・ジェン
ダーフォーラム in 2007 ―未来へつなぐ女性学、十人十色、「私」
の30年をふり返る―」を載録しました!

第一部:十人十色の「女性学の今」
    「『ジェンダーと教育』のこれまでとこれからを考える」
第二部:女性学トークセッション
    ~もう30年? まだ30年!~

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┃3┃ 『女性学年報』30号によせて   ┃
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『女性学年報』は1979年に第1号を創刊し、今年で30号を迎える
ことができました。
『女性学年報』とは、「私」たちにとってどのようなものであった
でしょうか。執筆者・読者・そして編集委員による、それぞれの立
場からの『女性学年報』への思いです。

年報に関するお問い合わせや、投稿のお申し込みは
『女性学年報』編集委員会 joseigakunenpo@gmail.com

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