2011.03.01 Tue
2月5日(土)シンポジウム「社会人が大学の門をくぐる時PART-2」を開催しました。
このシンポジウムが初めて開催されたのは2007年6月。そのときのシンポジウムのまとめとして『女性たちの大学院』(須藤八千代・渋谷典子編著、生活書院、2009年)が刊行されたこと、男性の経験者の話も聞きたいという要望があったことがきっかけとなり、今回のシンポジウムが企画実施となりました。
まず4人のパネリストそれぞれに「『女性たちの大学院』を読んで感じたこと」「ご自身の体験談」について、お話いただきました。
(パネリストそれぞれの経歴はこちらをご覧ください。)
大城純男さんは、市役所に勤務しながら夜間大学院に進学。現在は札幌大学教授として研究を続けています。研究の喜びは、「企業・役所社会」と異なり、固有名詞で行動し、意見や成果を発表できることであると強調されました。
石井浩さんは、地域活動や仕事をする中で感じた福祉政策の疑問から大学院へ進学。大学院は研究機関であるため、問題意識が大切であること。自分の問いに対して答えが出たときの「わかった」という喜びはかけがえのないものであると語りました。
真野敏子さんは、大学院での研究を通して、リカレント(循環)教育が人生全体に解釈できると感じ、ご自身も文化的活動と学びを螺旋型に循環させながら今があること。そして、今の心情を綴った自身の詩「おかえり」を朗読されました。
石河敦子さんは、『女性たちの大学院』をするどく分析、考察。ご自分の経験から、大学院に行くことで得られるもの得られないものを率直に語り、「今自分が誰とどんな時間を過ごしているのかが大事、大学・大学院の枠にとらわれずに、もっと学ぶ機会を持とう」と呼びかけました。
「PART-1のパネリストのその後」として、現況の報告もありました。
参加者とのディスカッションでは、社会人学生であるがゆえの悩み「やりたい研究と大学(指導教授)とのミスマッチ」「実践してきたことをどう学びにいかすのか?さらに、学びをどう実践に返していくのか」「退職後のため、実践で活かすことができない」など、主に「知と実践の関わり」がテーマとなりました。
大学院で学ぶ意義は様々であり、学びにおける立ち位置も様々です。パネリストからは、経験者ならではの具体的で現実的なアドバイスも多くありました。また、参加者、コーディネーター、パネリストを含めた双方向の熱心な議論の中で、多様な視点をもった考え方が示され、まさに会場全体が学び合いの場となったようでした。
最後に、コーディネーターの須藤さんから、「知的蓄積がない、環境や準備ができていないなどの社会人の現状によって、自分の格付けをつくる(下げる)必要はない。生きてきたことの自信を持ち、社会人こそが大学に入っていくべきである。学びの創造への対等な関係性こそが大学を拓いていくのだから。」と、学びたいと願うすべての人々にエールが贈られました。
人間の知に対する限りない欲求と、社会人が大学院で学ぶことの大きな可能性を感じたシンポジウムでした。
カテゴリー:参画プラネット
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