エッセイ

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「旅は道草」その5 チェコへ。「プラハの春」と「ビロード革命」と

2009.07.31 Fri

 1968年8月21日未明、自由への革命をめざすチェコスロヴァキアに突如、ソ連軍の戦車が侵攻した。その第1報を打電したのは、当時、チェコスロヴァキア日本大使館在勤の若い書記官だった。
 翌69年1月、カレル大学生、ヤン・バラフは、ヴァーツラフ広場前で抗議の焼身自殺を図る。
 春江一也著『プラハの春』(上・下)は、その時代のチェコの空気を、主人公・堀江亮介と東独(DDR)の活動家カテリーナ・グレーペとのロマンスを交え、一気に書きあげた小説だ。「プラハの春」から20年後の1989年11月、学生の民主化運動を機にヴァーツラフ広場は人々のデモで埋めつくされた。チェコ共和国は「ビロード革命」と呼ばれる、静かな無血革命に成功したのだ。
 プラハ随一の大通り、ヴァーツラフ広場の騎馬像前、ヤン・バラフの慰霊碑を訪ねた時も、たくさんの新しい花束が手向けられていた。
 佐多稲子は『あとや先き』で、ヴルタヴァ川にかかるカレル橋を三度訪ねたと書いている。三度目は1986年だから、まだチェコが共産圏だった頃のことだ。
 ウィーン~プラハ~ドレスデン~マイセンへと旅をした。ウィーン南駅から列車でプラハへ向かう。途中、スロヴァキア共和国・ブラチスロヴァで、乗り換えに気づかず、あやうくワルシャワへ行ってしまうところだった。それもまた、旅のうちか。プラハからエルベ川沿いに列車で走り、元東独のドレスデン、マイセンへ。
 第二次世界大戦下、連合軍の空襲に壊滅的な打撃を受けたドレスデンも、東西冷戦終結後、ようやく復興を完成しつつある。それにしてもナチスと連合軍の戦禍をくぐり抜け、奇跡的に守られた国立美術館の膨大な美術品の数々にはびっくり。なかでもフェルメールの「取り持ち女(やり手ばばあ)」は初めて見た作品だ。
 「プラハの春」の弾圧からビロードのようになめらかな民主革命へ。ともにプラハの春を闘い抜いたチャスラフスカ・東京オリッピック体操・金メダリストは、1989年、バーツラフ・ハヴェル大統領就任と同時に大統領顧問に抜擢されたと聞く。
 あれからもう、20年がたつ。
(やぎ みね)

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カテゴリー:旅は道草

タグ: / やぎみね / チェコ

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