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映画評:『懺悔』 上野千鶴子
2009.08.03 Mon
理解を超える理不尽には、笑うか吐くかしかない。
ブッシュ前大統領がTVの前で、「ジョージア」と何度も叫んだせいで、元ソ連邦の小国、グルジアはすっかり有名になった。このグルジア映画『懺悔』は1984年制作、ゴルバチョフによるペレストロイカの前で、その体制批判的な内容からお蔵入りになる危険を覚悟で作られた。 1956年フルシチョフによるスターリン批判から約30年。スターリンともヒットラーともつかない独裁者が登場する。独裁者の死のあと、墓が何度も掘り返される。この独裁者に両親を殺された娘が犯人だとわかり、「何度でも掘り返してやる、おまえを安らかに眠らせなどしない」と彼女は法廷で言い放つ。独裁者の息子は彼女と幼なじみだが、彼女を狂人にしたてあげ、病院に送ってしまおうとする。
この映画の登場人物はだれもが少しずつ狂っていて、その小さな狂いが集積すると巨大な愚行が生まれる。あまりにも愚にもつかないためにほんとうとは思われないことを信じるためには、それよりもっと荒唐無稽なことをやってしまうに限る。
にもかかわらず、この映画にはシュールな哄笑が満ちている。それはエイゼンシュタインからカリガリ博士までを想起させるシンボリズムとシュールリアリスティックな映画作法のせいだ。舞台劇のように登場人物は少なく、強制収容所のシーンなども出てこないのに、こちら側の日常だけで、あちら側の悲惨と不条理とを浮かび上がらせる。ウルトラ・ポストモダンな卓越した技法だ。映画マニアにはしびれるだろう。テンギス・アブラゼ監督が ’87年のカンヌ審査員特別大賞をはじめ、さまざまな賞を総なめにしたのもうなずける。
独裁者の家族は、人生でもっとも過酷な罰をうける。独裁者の名前はアラヴィゼ、「誰でもない」のグルジア語。スターリン通りのように独裁者の名前を冠した道路は、正義と神へは通じていない。
あまりにばかげているために本当とは思えないことが歴史には起きる。終わった後であれは悪夢だったと思いたいが、夢にしては現実に傷跡が残っている。理解を超える理不尽には、笑うか吐くかしかない。悪夢にしてなかったことにしてしまわないために、30年の時間がかかった。日本上映までさらに20年。敗戦から半世紀経っても愚行を認めようとしないこの国に、この映画は毒を仕込んでくれるだろうか。
監督:テンギズ・アブラゼ
制作年:1984年 旧ソ連
出演:アフタンディル・マハラゼ、イア・ニニゼ、ゼイナブ・ボツヴァゼ、ケテヴァン・アブラゼ
(クロワッサンPremium 2009年1月号 初出)
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