エッセイ

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【特集・衆院選②】2009年総選挙を見る目 ―「この国のかたち」を問い直す   徳久恭子

2009.08.14 Fri

 「自民党をぶっ壊す」と公言し、圧倒的な国民的支持を得た小泉純一郎元首相、長期にわたる自民党一党優位体制のもとで築かれた政官スクラムがもたらした負の遺産を解消するために「政権交代」を掲げる鳩山由紀夫民主党代表。彼らの発言はいずれも、戦後日本の経済的繁栄を支えてきた政治経済社会全般にわたる諸システムの硬直を問題視し、それらの解体を目指しているように思われる。しかしその後、何を創るのだろうか。私たちが2009年の総選挙で語らなければならないことは、「この国のかたち」を問い直し、再構築することにあるのかもしれない。 このように書くときれいごとと思われそうだが、現実はなかなか厳しい。財務省の試算によれば、平成21年度末公債残高は約581兆円に上ると見込まれている。単純計算すれば、国民1人当たり約455万円の負債を抱えていることとなる。

 生活者でもある私たちは、コストをあまり考えずに、さまざまな行政サービスを期待するし、当選を願う政治家たちはそれに応えてきた。その結果がこうした状況を生み出している点も否めない。くわえて、約2兆円を投入した定額給付金のように、政権批判に対する場当たり的な対応として採用される単年度事業の増加は自治体を混乱させ、安定的な行政サービスの提供を難しくしている。こうした現状を打破するには、有権者である私たちもそれなりに腹を括る必要があるのではなかろうか。

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 夢のない話で申し訳ないが、日本の経済成長を見る限り、私たちは自らの負担を増やすことなしに、医療や福祉、教育などのサービスを十分に得ることは難しいように思われる。どこでどのようなサービスを受けるのか、という選択が迫られる。改革派と呼ばれる首長たちが分権改革を選挙の争点にしようとしているのも、権限と財源をもってサービスを提供する主体としてふさわしいのは誰かを問い直しているからである。

 国による標準的なサービスの提供に慣れ親しんできた私たちにとって、地域間格差を少なからず生じさせる分権改革を許容し、時に住民自らが行政サービスの担い手とならざるを得ない現状を受け入れるのは、相当の覚悟が必要だろう。しかし今そうした決断をなさなければ、将来を担う世代に過剰な負担を残すかもしれない。少子高齢化という現実を受け止め、そのためにどのようなシステムを構築するかは、今次総選挙の主眼の一つであろう。

 とはいえ、今日明日の生活に精一杯の毎日では、政治に短期的な成果を求めてしまうかもしれない。だが、戦後日本政治のあり方を抜本的に変える改革には相当の時間が必要である。私たちはその経過について絶えず政治家や官僚に説明を求める必要があるし、それを踏まえた評価を選挙で示し続ける態度が求められよう。「自民党をぶっ壊」し、「霞ヶ関を解体」するという劇的なことばに振り回されるのではなく、冷静な判断の積み重ねが改革を推進させる力となるのではなかろうか。








カテゴリー:ちょっとしたニュース

タグ:政治 / 徳久恭子