エッセイ

views

734

【特集:衆院選④】自由民主党の終焉?! 岡野八代

2009.08.18 Tue

 2005年は、自由民主党(以下、自民党)誕生から50周年にあたり、この時期、自民党は結党以来の悲願であった、現行憲法と教育基本法の改定に党を挙げて取り組んでいた。そして2006年、教育基本法は、教育の目標に「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」等の文言、また、教育内容に対する行政の介入を強化する旨の規定が加えられ、教育現場にたずさわる者や専門家から多くの反対があったにも関わらず、改定された。それは、前回2005年の総選挙で圧勝した現有300議席を超える、衆議院での自民党圧倒多数の議席のおかげであった。

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.

 しかし、20年ほど前に目をやると、1988年に発覚するリクルート汚職事件に端を発する政治改革は、自民党の分裂を招くことになり、自民党「対」日本社会党の55年体制と呼ばれた保革の対立構造が崩壊し、政界再編がなされた。93年8月から96年1月までの約2年半、自民党総裁ではない、連立政権によって選ばれた首相が3期を務め、戦後50年を迎えた1995年には、アジア諸国に対する植民地支配と侵略に対する反省を込めた、村山談話が発表される。

 わたしは、80年代後半から90年代にかけてが、日本社会にとっての大きな転換点であったと考えている。90年代は失われた10年――いまや失われた20年となりつつあるのだろうが――と呼ばれ、日本の政治経済構造を支えた高度経済成長はすっかり止まってしまった。だからこそ、90年代は、それまでの男性稼ぎ手モデルに立脚した雇用環境や、公共事業を中心とする税金の再配分、家族を社会の含み資産として福祉の担い手をもっぱら私的な家族に押し付けてきたことなどが、大きく見直されるべきであった。

 ところが皮肉にも、日本社会党所属の村山首相が誕生すると同時に、日本社会党は野党としてこそあった存在意義を見失い、結果翌年96年には、日本社会党は消滅する。同時期、ヨーロッパでは福祉国家見直し論を叫ぶ新自由主義的な勢力に対抗して、息を吹き返しつつあった社会民主主義的な勢力は、日本においては逆に、息の根を止められたといっても過言ではない。

 日本社会党党員の多くは、90年代に自民党から離れた者たちが最終的に結成した民主党、すなわち、来る8月30日の総選挙によって、第一党になると予想されている民主党に合流し、残る勢力は、いまや弱小勢力である社会民主党を結成した。
 
 こうして、90年代に遡って、日本における政治勢力を見てみれば、革新勢力・社会民主主義的な勢力がほぼ消滅し、残った保守勢力による新たな政治改革が行われようとしているとも見える。じっさいに、自民党結党50周年にあたって断行されようとした、国家の基本原理に関わる愛国心の強調や伝統への回帰については、政権を奪おうとしている民主党の一部の議員は大いに賛成するはずである。

 たしかに、現在喫緊の争点は、2001年、「自民党をぶっ壊す」として誕生した小泉純一郎政権から8年がたち、雇用環境の崩壊(全体労働者の三分の一が非正規雇用、所得二百万円以下の労働者一千万人突破、失業率の悪化)、貧困率・格差の増大、社会保障への不安など、戦後日本人の多くが経験したことのない、厳しい生活環境をなんとか回復することである。

 ようやく、各政党のマニフェストが公開されたが、自民党、民主党両党ともに、まずは、国民の生活安定のための、さまざまな手当てを大きく打ち出すことになった。民主党ならば、中学生までの子育て支援、公立高校無償化、高齢者医療の見直し、対決する自民党は、幼児教育の無償化や給付型奨学金制度の創設などがそれである。
 
 自民党は、これまで政権を担ってきた実績を強調し、民主党の財源案の覚束なさを指摘する。つまり、自民党は、国民が嫌がる消費税の負担増を(トーンは落ちたとはいえ)訴える、と。

 しかし、である。

 日本では、各国にみられるような生活必需品などの例外もなく、貧しい者・富める者に関わらず、あらゆる物価に等しい税率がかけられる消費税は、負担感としては貧しい者に重くのしかかる。政府の役割は、社会全体での富をどのように配分するのかを通じて、異なる環境にある者たちの連帯感を育成することにもあるのではないか。

 たとえば、左下の図は、夫婦と子ども二人世帯の給与収入別にみた、個人所得課税負担額の国際比較である(2009年1月現在)。 

 
 日本は、他の先進西欧諸国に比べ、税の負担率が低いことが分かるだろう。この差は、右下図が示すように、単身世帯、それも高額所得者間の比較になるとさらに広がる。

財務省ホームページhttp://www.mof.go.jp/jouhou/syuzei/siryou/028.htm (09年7月30日参照)

 もちろん、国民負担には他に社会保障費が加わるが、社会保障費を加味しても、日本における国民負担率は、先進諸国の中では低い方である。

 このことが意味していることは、労働市場で働けない子どもなどにかかる費用を、社会全体で負担し、子どもを社会的な存在として社会の責任において育てる、といった、社会連帯意識の低さではないだろうか。高等教育の授業料負担など、日本における子育て家族にのしかかる経済的負担は、あまりに過重である。

 また、こうした税による再配分機能の弱さは、日本における男女平等社会に向けた取り組みとの弱さとも関係しているであろう。すなわち、子どもを育てる責任は家族が背負うことがなによりも想定されており、だからこそ、家事負担を期待されている女性たちは、たとえ働くことになっても、男性世帯主の補助程度の労働力としてのみ、考えられてきたのである。

 今回の総選挙は、長きにわたる自民党一党優位体制が覆る、という意味では、歴史的な選挙となるであろう。そして、国民の関心もいままでにないほど高い。また、民主党が掲げる、明治以来の官僚制国家の解体にも国民の多くは期待していると思われる。

 しかし、個人と国家の関係性や、政府の重要な役割としての再配分機能、社会連帯をいかに再構築するかなど、国家の根幹を支える大切な政治的議論を、各政党が正面から論じているとは言い難い。

 かつての自民民主党員の多くが合流した民主党が政権を握って、どれほどの政治変革がなされるのか。日本政治が制度疲労を起こし、政治理念を語る政治家たちの力も衰えてきた今、日本に住まうわたしたちは、長期的な展望にたって国家としての日本の在り方、行く末をしっかりと見極めていく判断力が試されている。

 その意味で、今回の総選挙に期待されているものは、そうしたわたしたちの判断力だともいえる。総選挙まであと2週間。立場の違う国民一人ひとりが、どのような国家・政府を望んでいるか、熟慮し、言語化していくことが必要な時にきているのだと思う。








カテゴリー:ちょっとしたニュース

タグ:政治 / 岡野八代

ミニコミ図書館
寄付をする
女性ジャーナル
博士論文データベース
> WANサイトについて
WANについて
会員募集中
> 会員限定プレゼント
WAN基金
当サイトの対応ブラウザについて
年会費を払う
女性のアクションを動画にして配信しよう

アフェリエイトの窓

  • 離婚事件における 家庭裁判所の判断基準と弁護士の留意点 / 著者:武藤 裕一(名...

  • 放送レポート no.308(2024/5) / 著者:メディア総合研究所 / 2024/05/01

  • ルイーザ・メイ・オールコットの日記: もうひとつの若草物語 / 著者:ルイーザ メ...

amazon
楽天