エッセイ

views

486

【特集:衆院選⑨】戦後責任を果たす国会を   松本克美

2009.08.24 Mon

 私は研究テーマとの関連で、外国人(とくに中国人)を原告とする戦後補償訴訟において、時効・除斥期間問題等について原告側の意見書を書いたり、学者証人として出廷するなどの多少の関わりを持ってきました。その関係で、同じく第二次大戦中の戦争責任が問われてきたドイツに調査に行く機会も多いです。

時効と正義―消滅時効・除斥期間論の新たな胎動

著者/訳者:松本 克美

出版社:日本評論社( 2002-03 )

定価:

単行本 ( ページ )

ISBN-10 : 4535513082

ISBN-13 : 9784535513082

amazonで購入

▲画像をクリックすると購入画面に入ります。ここから購入してWANを応援しよう!


冷戦構造の中で東西に分断されたドイツでは、国家間の戦後補償問題は長らく留保されてきましたが、600万人以上といわれるユダヤ人虐殺をはじめ、ナチス時代の戦争犯罪行為の被害者個人に対する補償は、旧西ドイツにおいて「ナチスの不法」に対する「過去の克服」の問題の一環として捉えられ、種々の特別立法を通じて一定の給付金が支給されてきました。
 その中で残されていた懸案の問題が、最盛期には1000万人以上いたといわれる強制労働者の被害問題でした。とりわけ、被害者の多くが「鉄のカーテン」の東側の東ヨーロッパや旧ソ連地域の市民だったため、これまで思うように声があげられませんでした。

 しかし、1980年代末の旧ソ連や、東ヨーロッパ諸国の人権抑圧的な旧社会主義政権の崩壊、そして、1990年の東西ドイツの統一を大きな契機として、強制労働被害者がドイツ政府やドイツ企業を相手取る訴訟なども多発するようになりました。

 またアメリカ合衆国においても、ドイツ企業を相手取っての強制労働被害者による団体訴訟の多発や、ドイツ製品の不買運動などの圧力もありました。そこで、ついに2000年に、ドイツ連邦政府や州政府、ドイツ企業が出資して、特別法に基づく「記憶・責任・未来」財団が設立され、この財団から被害者支援団体を通じて、1人最高15,000マルク(当時の日本円で約90万円)の補償給付が支給されることになりました。

 もちろん、このような僅少な金額で被害の回復がなされるものでもありませんが、まがりなりにもこのような基金の設立構想が、被害者団体の一定の理解のもとに実現され得た背景の一つには、当時のドイツ連邦大統領ヨハネス・ラウの歴史的演説(1999年12月)があったとされています。この演説で、当時のラウ大統領は、「私たちは皆知っています。ナチスの犯罪の犠牲者に対して金銭では本当には償い得ないことを」としつつ、強制労働は「迫害であり、権利の剥奪であり、人間の尊厳のおぞましい軽視」であり、「その方たちは、苦難が苦難として承認され、自らが被った不法を不法と名付けられることを望んでいます」と言っています。そして、演説の最後を彼は、このように結びました。
 「私は、今日、ドイツ人の支配下で、奴隷労働、強制労働をしなければならなかったすべての方々に、ドイツ国民の名前で許しを乞います。あなた方の苦難を私たちは決して忘れません。」

 ドイツ連邦共和国の大統領として、歴史上初めて、強制労働者に対して公式な謝罪を表明したラウ演説の趣旨を生かし、前述の基金法の前文には、ナチスの強制労働の不法に関与したドイツ経済の歴史的責任とドイツ連邦議会の政治的、道義的責任を自覚することが明記されています。
 
 ひるがえって、日本の状況はどうでしょうか。確かに日本は敗戦国として、自らが被害を与えた国に対して一定の国家賠償をしてきました。しかし、それは、1990年代になって被害者が提訴してきたような性奴隷被害や、虐殺、人体実験、強制連行・強制労働などの被害も念頭において、それ対する補償責任を果たすという性格を有するものであったのでしょうか。

 これらの被害者を原告とした訴訟において、国は、戦前の日本には国家の不法行為による賠償責任を認める規定がなかったから責任を負わないとする「国家無答責の法理」や、「不法行為の時」から20年以上たっての提訴なので、被害者の損害賠償請求権は消滅したなどの除斥期間論を主張してきました。いくつかの下級審裁判所で、このような国の主張が否定されると、国は、条約により既に問題は解決済みという議論を中心に展開するようになってきました。

 こうした中で、最高裁は、中国人被害者を原告とした強制連行・強制労働被害に対する国の不法行為責任が問われた西松建設事件において、1972年の日中共同声明第5項が「中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」としていることを根拠に、被害者個人の請求権は実体的には消滅していないが、「裁判上訴求する権能を失った」として、原告の請求を棄却する判決を出しました(最高裁2007年4月27日)。以後、この判断に従って、次々と戦後補償訴訟における原告の請求は棄却されています。

 しかし、この声明の文言からして、「日本国に対する戦争賠償の請求を放棄」した主体は「中華人民共和国政府」であって、被害者個人ではありません。またこの判決は、国家間で平和条約が締結された後に、被害者個人が事後的に権利行使ができるとすると、「平和条約締結時には予測困難な過大な負担を負わせ、混乱を生じさせることとなるおそれがあり、平和条約の目的達成の妨げとなる」としていますが、人道に対する罪にあたるような戦争犯罪行為の被害を放置しつづけることが、「平和条約の目的」にかなうことなのでしょうか。またこうした不法を不法として承認し、被害者の名誉や精神的苦痛、身体的障害の回復に責任を果たすことは、「平和条約の目的達成の妨げ」となるのでしょうか。

 日本国憲法前文には、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を制定する」と明記してあります。ここで言われている「戦争の惨禍」には、原爆や空襲などにより日本国民が被った「被害」だけでなく、上記裁判で争われてきたような性奴隷被害や虐殺、人体実験、強制労働などの外国人に対する「加害」も含まれるはずです。「政府の行為」によって「再び戦争の惨禍」が起こらないようにすることは、「主権」をもつ国民の責務でもありましょう。そして、憲法前文の冒頭にあるように、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」するのですから、今回の衆議院選挙に当たり、長らく放置されてきた戦後責任を果たすという観点もふまえて選挙権の行使をすべきことが求められていると言えるのではないでしょうか。








カテゴリー:ちょっとしたニュース

タグ:戦争 / 民族差別 / 人種差別 / 松本克美