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水子供養をオランダで語る。さて、オランダ人の反応とは?   加藤雅枝(オランダ在住)

2009.09.11 Fri

 ライデン大学でジェンダーの授業を受け持っているので、そこで日本の水子供養に関する紹介をしました。私自身も今まで当然と思っていた論理が若いオランダ人にとっては必ずしも当然ではない、ということを発見した面白い授業でしたので、そのことを紹介します。ちなみに学生は、ほとんどが「いわゆるオランダ人」。つまり白人で、キリスト教のバックグラウンドを持つ。トルコ系の女性、スリナム系の女性がそれぞれ1人(双方ともオランダで生まれた2世。ゆえにほとんどオランダ人)。年齢は20代前半、15人ぐらいのクラス。

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その日の教材は、Helen HardacreのMarketing the Menacing Fetus in Japanの中の一部分と、Sandra BuckleyのBroken Silence: Voices of Japanese Feminismの中にあるMiya Yoshikoさんの水子供養に関する章の一部分。

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3人の学生が事前に教材を読み、発表してくれた。ポイントは、1980年代、日本の生命尊重派が、中絶をおこなった女性の罪悪感につけ込んで高い地蔵を買わせたり、高いお金を払って供養の儀式をさせたりしている。もし何か悪いことがあった場合、水子の祟りだと、何かにつけて中絶せざるを得なかった女性の心の弱みにつけ込む。お寺、ということで、水子供養はいかにも日本の伝統であるような様相を呈しているが、そもそもお寺が大々的に水子供養の宣伝をしたり、高いお金を請求したりするのは、実は1980年頃以降の現象であり、文化というよりは、政治的思惑の方が強く働いている、ということ。むやみに祟りであることを喧伝したりするのは、お金と心の両方の搾取だ、というもの。

 その後、ディスカッション。祟りっていうのはおかしいよね、という雰囲気にはなったものの、水子供養そのものは必要なのではないか、というのがなんと大半の意見。中絶というのは確かに大きな出来事で、いかなる事情があるにせよ、ある意味で罪悪感を感じているのは当たり前。で、供養したら気が晴れるかもしれないというのならば、まんざら悪いことではないのではないか、というのが水子供養に賛成する理由。

 確かに、かつて實川真理子さんのレポートを読んだことがある。「中絶を受ける、あるいは受けた女性の心理――産み終え世代の中絶、避妊方法への無関心、水子供養をつなぐもの」というレポート。正式に出版されたのかどうかわからないし、どこで手に入れたのかも憶えていないが、どこかの発表会での配付資料のような感じの書類で、内容はとても充実している。彼女の問題提起の出発点は、「水子供養は病理現象か?」。私なりに言い換えると、「女性はなぜ水子供養なんて受けてしまうの?」というもの。しかし、実際お寺を訪ねて、女性が何をしているのかを観察するうちに、女性が地蔵に話しかけ、自己カウンセリングのようなものをしていることを発見する。現地調査でないと見つけられない、とても興味深い発見である。

 この資料のことを思い出し、なるほど、一理あるなと思い、学生に「でも、地蔵が法外に高いっていうのは、おかしいと思わない? 子どもの形をしたプラスティック製の人形が、数百ユーロ(数万円)することがあるのよ」と聞き返すと、「しかし、誰かが亡くなったとき、教会の庭に墓石を買うではないですか。地蔵は高くて1000ユーロ(13万円)かもしれないけれど、墓石は10000ユーロ(130万円)くらいすることがある。亡くなった人のために一度お金をかけるというのは、悪くないと思うけれど」との意見。

 男性も、望まぬ妊娠・中絶に荷担しているはずなのに、女性のみが注目され、その罪を咎められるゆえに、フェミニストは声を上げてきたのだと話すと、若い世代だからなのか、受けてきた教育ゆえになのか、中絶をするというのにカップルでコミュニケーションがないということに、想像がつかない。責任は男にも絶対にある、男にそれがわからないという、その点こそがわからない、と言う。今の日本の若い世代もそうなのか、一昔前のことではないか、と複数から声があがる。「日本では今も、若い世代でも避妊を嫌がる男性がいたり、男に内緒で中絶するなんてことは、たくさんあるのよ」というと、男子学生が「でも、相手が妊娠すると自分も困るじゃないか。なぜ、自分が困ることをわざわざするのか?」「ほんとほんと、妊娠や中絶っていう大変なことを、わざわざ呼び寄せる必要はない。男もそれはわかってるのでしょう?」いやはや、何かが根本的に違う、と思いつつ、「たとえば、男がコンドームを使いたくないというのは、性的強さの象徴や、技術の高さと思われたりしている。男が避妊に協力しないというのは、今日の日本においても深刻な問題」と言うと、「ははは」と笑う反応、「え~」という驚き、そして「信じられない、わからない」が同時に返ってきて、「わかりません。コンドームの何が悪いと思われているのか教えてください」との質問。

 そうか、水子供養の見方も、その社会の男女のあり方についての価値観によって、こんなに変わるものなのだ。中絶も男の問題と考えられているなか、水子供養が「女性の心を利用し搾取しているもの」であるということが、なかなか理解してもらえないのだ。確かに、以前、おばあさん大家さんが言っていた。息子たちには、もしガールフレンドが妊娠したら、絶対にあなたにも責任があり、逃げてはいけないわよ、性においてはすべてが両方の責任で、両方の合意がなくてはならない、と言い聞かせた、と。大きな?マークを頭の上にのせていろいろ質問してくれた学生も、きっと同じような教育を受けてきたのだろう。地蔵を墓石と比べる発想も、なるほど、と面白かった。

 もちろん、オランダにも女性の身体の商品化、搾取はたくさんある。別の機会に性の商品化を課題としたとき、セックスワークよりも、テレビコマーシャルなどでの女の体の露出の方が問題だ、セックスワークは限られたところで行われているが、テレビは子どもも大人もどこでも見られる、社会にとってもっと危険だ、というような意見がさかんに出された。それだけ性の商品化、不必要な体の露出が巷に出回っているということだ。

 限られた人数の学生との対話であり、どこまでこれが「オランダ」と言えるかわからないが、水子供養の根本的問題は一体どこにあるのだろうと、立ち止まった瞬間だった。
(SOSHIREN女(わたし)のからだから『SOSHIRENニュース』278号、2009年6月25日発行より、許可を得て転載)








タグ:中絶 / 加藤雅枝 / オランダ