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映画評:『戦場でワルツを』 上野千鶴子
2010.02.08 Mon
アニメーションの虚構性がトラウマを逆にあぶり出す、イスラエル映画の秀作
2009年のアカデミー賞で、「おくりびと」と外国語映画賞を争ったと言われる話題作。
アリ・フォルマン監督その人と思われる40代の男性が、24年前の戦場の記憶をたどり歩く。 ’82年当時19歳だった主人公は、徴兵を受けて隣国レバノンの戦場へ送りこまれる。なぜそこにいるのかもわからないまま、恐怖に支配されてしゃにむに銃を撃ち続ける。どこからか飛んでくるロケット砲や狙撃弾。殺さなければ殺される。戦場は不条理というほかない。そんなところに、ほんの十代の少年が放り出されるのだ。 かれは戦場の記憶を失っている。それを取り戻すべく戦友たちを訊ね歩く。このセミドキュメンタリーにフォルマン監督はアニメーションを使うというまさかの手法を思いついた。なんてこった、実況中継の映像ですらフィクションにしか見えない戦争シーンに、はなからウソのアニメを持ってくるとは!
あまりのことに本当とは思えない戦場シーンをアニメで見せられているうちに、見る者は、解離現象(トラウマ的な経験を忘却によって回避する心理的機制)をリアルに経験する。これは事実なのか、虚構なのか?オレはたったいま誰かを殺したのか?次の瞬間、自分も吹っ飛ぶのか?何に対しても現実感を持てないまま、殺人マシンと化していく兵士の不気味なリアルがかえって迫ってくる!
主人公の記憶の欠落が、パレスチナ難民キャンプで起きたサブラ・シャティーラ大虐殺に関わっているらしいことがしだいにわかってくる。最後に監督はアニメとドキュメンタリー映像とを重ね合わせるという仕掛けをやってのける。その瞬間、解離が解ける。記憶と現実とが一致する圧倒的な瞬間だ。
アニメが見せてくれるのはただの事実ではない。心が経験した現実だ。それがどれほど深い痛手を負っているかが見る者に伝わってくる。
あれから4半世紀。イスラエルは徴兵制を止めていないし、パレスチナ難民キャンプへの侵攻もやめていない。これからも主人公と同じトラウマに苛まれる何人もの若者が生み出されるだろう。イラクでも、アフガニスタンでも、チェチェンでも。
それにしても、この反イスラエル的な作品がイスラエル・アカデミー賞最優秀作品賞をはじめ最優秀脚本賞、最優秀音響賞などを総なめにしたとは信じがたい。「自国産のものなら毒(プワゾン)でも売り出すのです」、と言ったミシェル・フーコーの辛辣な発言を思い出す。
監督・脚本:アリ・フォルマン
声の出演:ボアズ・レイン=バスキーラ、オーリ・シヴァン、ロニー・ダヤグ、カルミ・クナアン
制作年:2008年
配給:ツイン・博報堂DYメディアパートナーズ
(クロワッサンPremium 2009年12月号 初出)