エッセイ

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【特集・家族の多様性を考える・その4】開始@1人家族   久津輪麻美

2010.02.10 Wed

 私は今、1人分の部屋を借り、1人分の生活費を稼ぎ、1人分の家事をこなしているわけですが、 今のこの状態をただの「1人暮らし」でもなく「単身者/単身世帯」でもなく、「1人家族」と言い表そうと思います。

 「家族」にこだわるのはナンセンスかもしれません。 でもなぜかこの名前が今一番しっくりくるのです。

 冒頭の「1人分の~」という表現はちょっとこじつけですけどね。

 もう少し、自己紹介をしましょう。現在、1人暮らし5年生。「1人家族」を意識したのは、つい最近。社会人1年生で、通勤手当・住居手当節約のため、職場の近くに移住するよう会社に依頼され、実行。そこは典型的なベッドタウンなのでした。

 最初、自分は「単身者」だと実感したものです。それは、町並みがファミリー仕様に思え、そこに猛烈な疎外感を感じたからです。学生の頃に比べて格段に広い部屋に移りすみ、念願の「まともな」キッチンに感激したのもつかの間。毎日料理をつくる基礎体力がついていない私は、おひとり様向け飲食店の少ないこの町で、うまく栄養摂取できずに息も絶え絶え、寂しさも相まって、風邪をひきまくっていました。某大手ショッピングセンターでは食料品売り場は夜10時まで営業しているのに、レストラン街は8時で閉店することを知ったときなど、なんと由々しきことでしょう!!と自分勝手に憤ったものです。さらにコンビニの少なさに対して、風邪引きのときほど恨めしく思ったことはありません。 七転八倒しながらも「平凡な日常」を獲得してきたのは、秋ごろでしょうか。町にも親しみを感じるようになり、このどうしようもない毎日の繰り返しが板について来た頃。お弁当を作るようになってからは、常に少しずつリンクしていく食材とメニューのやりくりに頭を悩ますようになった頃。「あぁ、家族っぽい」とふいに思いました。さらに、1人暮らし向けや簡単/スピードクッキング系の料理本より何より、「家族のごはんつくり」という料理本が私の求めていた内容だったので、「この日々の営みこそまさに家族というものだ」と確信するにいたったのです。

 以前、母は言いました。「うちは3人家族やからさ~云々」
 「・ ・ ・う・・うん。そうやね」と私。面食らいました。だって、その頭数に私が入っていなかったのですから。 ショックというわけでもないのですが、そういう認識/捉え方をしていなかったので、びっくりしたのです。

 実際、実家にはもう私の部屋などありません。学生の頃は特にバイトやなんやかんや忙しくて、帰省してもせいぜい2泊か3泊。私の「生活」は、もうそこには無いのです。もちろん、私が実家に戻りたい(住みたい)といえば、喜んで迎え入れてくれるでしょう。インフルエンザでぶっ倒れたときは、連れて帰ってくれます。今もそしてこれからも、ずっとずっと家族として気にかけてくれるでしょう。だけど、今は3人家族と1人家族なのです。

 仕事と外出と買い物と掃除と洗濯と料理を、トータルでコントロールしなければならない日常。構成員が1人なので、融通が利く一方、全て自分で背負わなければならず、自分の「都合」で一々決定をくださなければならない煩わしさに疲れたり、退屈したり、寂しくなったり、のびのびできたり。

 私はこの先もずっと1人家族を続けると決めている訳でもありませんが、どうするかはその時々の必要に応じるだけだと思っています。誰かとの同居は相手があって初めて生じる課題なので、今あれこれ考えることはしない(んだと、半ば言い聞かせています)。

 自分の先行きの不透明っぷりに対して、不安が8割。残りの2割は想像にお任せしますということで。

 これは、そんな20代女子の1人家族エッセイです。

 (このエッセイ<@1人家族>は、これから月1回程度のペースで連載の予定です。)

カテゴリー:@1人家族

タグ:家族 / 久津輪麻美