2010.05.13 Thu
白はきれいね、舞台映えするわ――豪華な羽飾りのストールをまとい、艶やかに言い放つと、その女(ひと)は、 舞台に出ていった。小さな肩からストールの片方の端が落ち、長く尾をひくのもかまわず、わき起こる拍手の嵐に両手を伸ばし、貫禄たっぷりに言う。
もっと近づきたいのよ・・・一言で観客の心をわしづかみにする。
スペインからの独立200周年をアルゼンチンが祝う今年、日本で公開される音楽ドキュメンタリー映画『アルゼンチン・タンゴ 伝説のマエストロたち』の一場面である。往年のタンゴ歌手にして女優のビルヒニア・ルーケが登場する。1927年ブエノス生まれの彼女は、撮影時、おそらく80才に近い。なのに、年齢を感じさせない、妖艶な魅力を放つ。
タンゴ映画といえば10年以上前にスペインの巨匠カルロス・サウラの『タンゴ』が公開されたが、 思えばあれは、旧宗主国による旧植民地の文化的再搾取であったかもしれない。冒頭には、南米という「新天地」に着いたばかりの植民者の姿を、それが「はじまりの光景」でもあるかのように称揚する、奇妙に倒錯的な映像が、様式美豊かなダンスと共に描かれていた。本作は、編集という加工は施しているものの、本場アルゼンチンから送られるドキュメンタリーだけに、「生の」味わいがある。本物の街が、人が、やるせないバンドネオンのメロディとともに、地球の反対側から、そのひなびた風情を伝えてくる。
何年か前に、艶女と書いて「アデージョ」と読ませる和製スペイン語もどきが流行りかけたが、 あれはこのビルヒニアにこそふさわしい。ほとんどが思いきりシニアな男性マエストロで占められる本作の中で、唯一つやっぽく、あでやかに精彩を放つ。若い頃の映画出演作も引用されているが、今のほうがダンゼンすてき。きっといい年のとり方をしてきたんだろうな。
「私は家がとても好き。夜中の一時に帰って、温かい飲み物をいれ、リラックスする。ときにテレビをつけ、私の映画をやっていたらそれを見たりする。幸せな気分になるわ。でも映画は私の一番の情熱ではなかったの。私の一番の情熱は舞台だわ」
こんな言葉もさらりといえる。とにかく大人な女(ひと)なのだ。
そして今、映画の中で、彼女は、アルゼンチンがかつて中南米一の経済力を誇っていた時代に建てられた壮麗なオペラハウス、コロン劇場に立ち、歌う。豪華な羽飾り以上に華のある、奥深い声を、大劇場にひびかせて。一夜限りのコンサートだ。素敵すぎてため息が出てしまう。
彼女と共に舞台に立つのは、アルゼンチン・タンゴの第二次黄金時代(1940~50年代)を築いた仲間のマエストロたち。映画のラストには、第一次黄金時代を支えた超ベテラン奏者ガブリエル・クラウシも登場する。撮影時96歳。誰もいなくなったコロン劇場でバンドネオンをソロで弾き続ける姿が、立ち去りがたい余韻を漂わせる。
アルゼンチン・タンゴの歴史は、ある時期、政治と奇妙に交錯した。労働者に支持基盤をもつペロン政権下で、第二次黄金期を謳歌したものの、同政権崩壊後は、「ペロン的なもの」とみなされ、衰退に向かったのである。ブロードウェイ・ショウ「タンゴ・アルゼンチーノ」が脚光を浴び、世界的タンゴ・ブームが起きるのは、軍政から民政に移行し、民主主義が定着した1980年代後半以後のことだ。
とはいえ、タンゴは常に市民に愛され、しぶとく生きながらえてきた。それは、マエストロたちの演奏が示している。何より、ブエノスアイレスという街に、タンゴはよく似合う。この街で、タンゴは生まれたのだから。
そのアルゼンチンを2001年、未曾有の金融危機が襲い、今も経済危機に苦しむ。
本作は、そうした祖国への、いわば、鎮魂歌といえるかもしれない。あるいは応援歌というべきだろうか。
映画の中では、老マエストロたちが、どことなく違和感をかくせない感じでブエノスアイレスの街を歩いたり、カフェで浮いた感じで周囲を見渡したり、昔よく行った競馬場を訪れ、タンゴにまつわる思い出話を語ったりしている。彼らと町との、どこかそぐわない感じが、心に残る。彼らは、故国の変化をどう受けとめているのだろうか。人生の機微を知りつくしたような彼らに聞いてみたい気がする。あるいはそうはしなくても、演奏が、すべてを物語っているのだろうか。
半世紀前に黄金時代を担った、祖国の文化的遺産ともいうべき老名匠(マエストロ)たちを総動員し、アルバム「CAFE DE LOS MAESTROS」を製作し、そのレコーディング風景と、前述のコンサート映像をまとめた本作をプロデュースしたのは、「1978年に軍事国家下の政治的・社会的状況に嫌気がさし」、アメリカに移って音楽活動を開始したグスタボ・サンタオラージャ。
自身の活発な音楽活動のほか、プロデューサーとしてもラテン音楽を世界に発信し続け、『モーターサイクル・ダイアリーズ』や『バベル』などラテン系映画の音楽をてがけ、二度のアカデミー作曲賞(『ブロークバック・マウンテン』『バベル』)に輝く。本作を支えているのはおそらく彼の企画・製作力だ。
製作総指揮に迎えられたのは、ブラジル生まれの世界的監督ウォルター・サレス(『セントラル・ステーション』、『モーターサイクル・ダイアリーズ』)。『シティ・オブ・ゴッド』の製作総指揮も務めたといえば本作の立ち位置が想像されるだろう。アルバム「CAFE DE LOS MAESTROS」は2006年ラテン・グラミー最優秀アルバム賞に輝き、映画はベルリン国際映画祭パノラマ部門に出品された。
監督は、ブエノスアイレス生まれでカリフォルニア大学ロサンゼルス校で映画・TV製作を学んだ後、アルゼンチンに戻ったミゲル・コアン。流麗に回転するカメラワークと編集で、街や人を、魅力あふれる映像に変貌させる。
アデージョ、ビルヒニアも、紅一点的存在として、華やかなりし頃のアルゼンチンを、その艶やかな容姿で再現せしめる。十八番「ブエノスアイレスの歌」とともに。
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もう一人、自作アルバム名にちなみ「タンゴの黒真珠」と呼ばれた「タンゴ界唯一のアフリカ系女性歌手」ラグリマ・リオスが登場するが、彼女は隣国ウルグアイ出身。ラテン・ヨーロッパ系のビルヒニアの存在感と比べると、こちらは地味。インタビューに答える表情も元気がない。それが気になっていたのだが、見終わったあとで、2006年11月、モンテビデオで逝去したと知った。ブエノスアイレスよりもむしろモンテビデオに多く残るアフリカ系文化を擁護する団体「ムンド・アフロ」の会長を、彼女は10年以上つとめてきたという。激しくリズムを刻む黒人音楽カンドンベのパレードで、ダンサーに敬意を払われた彼女が、ひどく明るく陽気に顔を輝かしていたのが忘れられない。
キューバの船乗りが持ちこんだハバネロ、旧宗主国スペインの伝統音楽ガウチョにつながるミロンガ、アフリカ系音楽カンドンベ――ブエノスアイレスの場末で「やくざ者のダンス音楽」として誕生したタンゴの音楽的ルーツは、それぞれに、高尚とは程とおい。民衆の音楽であり、酒場が似合う。
旧世界から新天地を求め、最果ての地にやってきた移民の見果てぬ夢、水夫の欲情、あるいは強制的に連行された黒人奴隷の絶望と悲哀、苦悩――さまざまに深い感情が溶け合い、場末の安酒場や売春宿で、路地裏で、束の間の陶酔とともに生まれたのがアルゼンチン・タンゴではなかったか。洗練されたコンチネンタル・タンゴにはない、身体のすみずみにしみこむ味わいだ。
ミロンガと呼ばれる古いダンスホールで、人生の時を重ねてきた男女たちが、静かにタンゴ音楽にあわせ、踊る光景が忘れられない。社交ダンス大会などで披露される、歯切れの良い二拍子のリズムとは異なる、限りなくスローな、じっとり汗ばむような、こくのあるダンス風景である。停滞とあきらめと。夢の残り香がする。こんなタンゴならいつか踊ってみるのも悪くない。
写真:c 2008 Lita Stantic Producciones S.A. / Parmil S.A. / Videofilmes Producciones Artisticas Ltda.
公開は、6月26日より、Bunkamuraル・シネマ他全国順次ロードショー
参考文献
西村秀人「History of Tango」「映画にうつし出されるマエストロたちの素顔」
松下洋「アルゼンチン 激動の一世紀~マエストロたちが生きた時代~」
(『Cafe de los Maestros』 本作品宣伝資料掲載)
『女性情報』(2010年5月号)掲載。本欄掲載にあたり大幅に加筆修正した。
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カテゴリー:新作映画評・エッセイ / DVD紹介
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