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映画評 『カケラ』    林 千章

2010.05.18 Tue

― うん、大丈夫だよ、イマドキの女子たち ―

 ハル(満島ひかり)はカフェでぼーっとしていた。ココアが口ひげみたいにくっついているのも気づかずに。リコ(中村映里子)が声をかけ、ココアを拭き取ってくれた。「すてきな人だなって思ったから」「気が向いたら電話して」。ん? ガール・ミーツ・ア・ガール?

 ハルがぼんやりするのも無理はない。マンモス私立大に入学し、上京しての一人暮らし。一応恋人はいるものの、チラシによれば「どこか満たされない、何かが足りない」。私に言わせりゃ、ハルの彼は、女性のからだをマスターベーションのティッシュ代わりにしてるだけだ。でも、ハルは、二股かけている男から「彼女とは別れた」とメールが来れば浮き立ち、やっぱり切れていないと知ると落ち込む。うんうん、恋ではない恋モドキだって、渦中にいればそんなもの。ハルは、自分が、何がわからないのかもわからない女の子なのだ。 
 一方のリコは、自分が欲しいものははっきりしている。たぶん、リコは男には関心がない自分自身について一生懸命考えてきたのだろう。セクシュアル・マイノリティの女性のためのバーに出入りするという冒険だって辞さずに。ハルが聞く。「女の子が好きなの?」「私はハルちゃんだから好きなんだよ」「男も女もヒトでしょ。男だ、女だって思うから苦しくなるの」。オジサンばかりの居酒屋で、「甘えてるだけだよ。弱すぎるよ」とリコに言われてカッとしたハルは「男と恋愛したことないくせに」と口にする。「男知らなくて何が悪い!」と全身でハルに怒鳴り返すリコが愛おしい。また、「お前らレズ? キモい」というハルの元カレを、「キン◯マついてりゃえらいのか!」と蹴り上げるリコがカッコイイ!

 リコの仕事は、事故や手術で失われた耳や乳房などを精巧に作る職人。電話の音も聞こえないほど没頭し、徹夜してでもよいモノを仕上げる。ニセモノでも、失われたカケラが戻ることの大切さを十分に想像できるから、精魂を込める。下町でクリーニング店を営むリコの父(光石研)と母(根岸季衣)は、一瞬しか登場しないけれど、いかにも実直そうで開けっぴろげ。なるほどリコはフツーに愛されて育ったんだな。そして、これまた一瞬登場するおばあちゃん(作家の志茂田景樹!)がシュール。うん、家族ってフツーにシュールなものだもの。

 監督・脚本の安藤モモ子(1982年生まれ)は、俳優の奥田瑛二、エッセイストの安藤和津夫妻の長女。海外で美術や映画づくりを学び、父の監督作品を手伝い、行定勲作品の助監督などを経て、デビュー。桜沢エリカの漫画の原作を女性の初監督で、という女性プロデューサーの企画。途中で資金繰りが危うくなり、祖母が結婚資金にと安藤監督に遺してくれた保険金を使ったという。キャスティングもスタッフの選び方もしっかりしてる。リコの部屋は監督の私物を持ち込んで構成した由。

 リコはハルのアパートで同棲生活を始める。けれど、リコはハルの交友関係にまで介入してしまう。うんうん、ついつい、相手を所有してると勘違いしちゃうんだよね。ただ、リコの直球の想いは、ふらふら流されやすいハルにはもともと受け止めきれなかったのかも。異性愛を“自然”なものと疑わないで済んでいるのが、マジョリティの特権ならぬ傲慢だから。

 でも、モドキであっても、恋という関係は人を成長させる。真剣に相手にぶつかったリコだけでなく、ぶつかられたハルにも、太陽の光を集めたような黄色のみかん一個分ほどの祝福が訪れる。

 イマドキの女子たちを、イマドキの女子が、イマドキの女子ふうに描いて、たぶん男子の追随を許さない快作。
(映画評論家)

 4月3日より渋谷ユーロスペースほかにて全国順次ロードショー。
 
(『女性情報』2010年4月号、「女性映画がおもしろい」より)

カテゴリー:新作映画評・エッセイ

タグ:セクシュアリティ / セクシュアル・アイデンティティ / 安藤モモ子 / 林千章 / 女性監督 / 邦画