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5月のシネエッセイ 5月革命のその後の青春を描く、映画『恋人たちの失われた革命』 川口恵子

2010.05.28 Fri

「舗石の下は砂浜」 Sous les paves, la plage. 1968年、5月革命の最中に、パリの街のどこかに、誰かが、書き残した、詩句のような落書き。

舗石を剥がしては警官隊に投げつける日々の終わったあとの、静けさと、虚無を感じさせる言葉だ。砂浜といっても、きっと、南仏とかではなくて、ノルマンディーとかブルターニュあたりの砂浜なんだろうな。ブルターニュ、行ったことないけど。5月革命に参画した作家マルグリット・デュラスが、革命のなりゆきに絶望した中から生みだしたといわれるテクスト『破壊しに、と彼女は言う』(1969)の、文庫版解説(田中倫郎氏)によれば、この落書きは、1982年、パリの国立図書館で開かれた「68年5月落書き展」で紹介され、氏が訪れた時点では、人気投票二位に選ばれていた。

寺山修司もこの言葉に熱い共感を寄せていたらしい。一位は「禁ずることを禁ず」C’est interdit d’interdire. 革命の本場フランスならではの選択だ。たぶん、日本なら、順位は逆だったのではないか。いや、そもそも、アスファルト道路に、舗石なんて、ないか。

舗石の確かさと、砂浜のとりとめなさの対照。さらさらと過ぎてゆく無機質な日常に、突然、放り出された若者たちは、それぞれに自分をもてあまし、静かに狂い、病んでいく。待ち受けるのは、退廃と、死と、虚無だ。

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『内なる傷痕』(1970)、『自由、夜』(1983)、『ギターはもう聞こえない』(1990)などの作品で知られ、「ヌーヴェルヴァーグの恐るべき子供」の異名をもつ、フィリップ・ガレル監督の27本目の映画『恋人たちの失われた革命』(2005)が、3時間余の長い時間をかけてスクリーンに描き出すのは、そんな革命に挫折した若者たちの、「その後」の物語である。

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前作『夜風の匂い』(1998)では、カトリーヌ・ドゥヌーヴを主演に、革命世代の暗い中年男をからませ、男の政治的絶望をやや滑稽なまでにロマン化していたが、本作では、若さゆえのいたいけな絶望が、詩情豊かな映像とともに語られる。この世の絶望をすべて背負ったような暗い男が、ホテルで読んでいた本のタイトルが『自己解放への道』(autodeliverance)だったのは、監督のユーモアだったのだろうか。日本食レストランで、ドゥヌーヴ演じる人妻に、突如、「これおいしいよ」と箸で食べさせる場面もお茶目だったが。

絶望しつつも、孤にこもらず、出会いと別れを繰り返しながら友人たちが関わり続けるところが、いかにもパリの若者たちらしい。

青年たちがそれぞれに自滅していく中、かろうじて、主人公フランソワの恋人、リリーだけが、生きる道を、国外に見出す。彫刻家志望の彼女が、白い石膏にむきあう姿が、ひどく孤独に見えて、そこだけ、清冽な風がふきぬけていた。

若者たちの、甘くやるせない無軌道ぶりが、ほほえましい。ガレル監督特有の、陰影あるモノクロームの映像に、硬質のロマンチシズムが漂うせいか。同年代の若者の巣立ちを、すでに私自身が、見送ったせいか。

しかし、それでも、5月革命を、今、語ることにどんな意義があるのですか――

4年前、東京日仏学院で開かれたプログラム「フィリップ・ガレル、現代映画の秘密の子供」Philippe Garrel, en substance(2006年11 月4日~12月24日)で、この作品が、先行上映された後、会場から、質問をガレル監督に投げかけた。正確にどう言ったかは忘れたけれど。

どんな質問でもよかったのだ。ともかく、若者がつめかけているわりには、まったりした会場の空気感を、思いきりKYに、うちこわしてみたかった。壇上の監督も、なんだか退屈しているように見えたので。主催者には迷惑だったろうが。

当時の警察が、いかに抑圧的で、若者たちを追い詰めたか――監督は、そういったことを、かなり熱を帯びた調子で、語り続けた。その熱気がうれしかった。

ラスト近くの、警察の突然の来訪場面が、見逃せない。派手なアクションなどまったくないものの、適度なユーモアと、洗練されたスタイルで、日常に突然、権力がはいりこんできた不気味さが、うまく描出されている。正当に抗うすべをもたない若者たちの無力さも。

若者たちは、そうして静かに権力に追い詰められ、行き場をなくしていったのか。

その夜、プログラムがおわったあと、熱にうかれたように、日仏会館のある飯田橋から神楽坂方面に向かい、ふらふらと横道にさまよいこみ、気がつくと、学生時代の友人の家を、記憶をたよりに探していた。すると、偶然、奥の路地から、ガレル監督の一行が現われた。

うつむき加減に神楽坂の路地を歩く大柄なガレル監督の歩き方が、以来、脳裏にやきついて離れない。それがなぜか、ずっとわからなかったのだけれど、今、原稿を書いていて、日仏会館発行のプログラムをひっぱりだし、ようやく理由がわかった。

神楽坂の路地裏に現われたガレル監督の歩き方が、少し前にスクリーン上で見たばかりの、パリの街の舗道を歩く主人公の青年フランソワにそっくりだったせいだ。

主人公を演じていたのは、監督の息子(ルイ・ガレル)だった。5月革命当時、監督もまた、20才だった。

思えば、幸福な、映画と人生の相互関係じゃないか。

ガレル監督の一行がさったあと、気がつくと、旧友の家のそばに立っていた。学生結婚した夫妻が住んでいたアパートは、ビルに建て替えられていた。チャイムをおし、名前をつげる。驚いた声があがり、ドアが勢いよくあけられ、友が、顔を出す。

「どうしたのォ!」
はぎれのよい江戸前の声が変わらない。四半世紀ぶりの笑顔も。続いて、しっかりものの奥さんが顔を出す。あの頃生まれた、赤ちゃんも成長して、思慮深い青年に成長していた。四半世紀なんて、あっという間だったね――

そんな、昔なじみの、「その後」に会いたくなる映画です。時は、5月――

2005年ヴェネチア映画祭 銀獅子賞受賞(監督賞)・オゼッラ賞(技術貢献賞)
2006年セザール賞 最優秀新人男優賞受賞/2006年ルイ・デュリュック賞

関連映画: フィリップ・ガレル監督作品『内なる傷跡』
『自由、夜』
『ギターはもう聞こえない』
『夜風の匂い』

関連書籍: マルグリット・デュラス『破壊しろ、と彼女はいう』(河出文庫)アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.








カテゴリー:新作映画評・エッセイ / DVD紹介

タグ:くらし・生活 / 川口恵子 / シネエッセイ / フランス映画