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上野千鶴子「男おひとりさま道」をすすめてみると 田原晋
2010.06.20 Sun
<p> 上野千鶴子「男おひとりさま道」の中に登場させられた者(216ページ登場 タハラススム 73歳)として、こちらが言わないと絶対に読まないだろう周辺にすすめているのですが、それはまた、いろいろと教えてもらうことになりました。上野さんの名前を知っている方とか、自分から求めて読んだ人たちとは、その読み方はまるで違います。</p>
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<p> まず、上野千鶴子を知らない。当然「おひとりさまの老後」が75万部のベストセラーになったことも知らない。ほとんどが大卒だから、年令から見て知識階級に属しているのだが、そういう分厚い層が厳然と存在している。</p>
<p> 定年退職者で、子どもたちは独立して専業主婦のお連れ合いと2人世帯。といって、家事の分担具合や定年を機会にそれがどう変わったとか、お互いの位置関係はわからない。男同士でそれを話題にすることはまずない、だから他人の生活や考え方を聞くことで自分の日常生活を見直す可能性も少ない。二人の健康状態によっては相手の介護をしなくてはならない状況になることや、お互いがおひとりさまになることなどは、日々の考えざるをえないことだと思うが、お互いがどこまで考えているかそれもわからない。<!–more–> ということで、この本を取り上げることは、以上のようなことに目を向ける絶好の機会になると思うのだが、著者の意見をつつしんで拝聴するという態度はまったくなくて、むしろ読む前から反発し無視しようとする。こちらに言われシブシブ読んだとしても、その態度は変わらない。自分が感じたことを、正直に話す者はほとんどいない。重い内容だね、と言ってくれるのはむしろ大変に好意的な反応だ。書評に「老後のことなんて考えたことがないであろう世の男性に向けた、”現実から目をそむけるな”という著者からの愛のムチ」などと書かれると逆効果になったりする。</p>
<p> そんな中で、高校時代とても親しかった友人から長文の封書をもらった。とても正直に書いていて、彼との関係が変わらないことをありがたくうれしく思った。</p>
<p> 週1回のゴルフ、趣味の囲碁などして元気に過ごしているのだが、「年寄りはどういう状況になろうが、自己責任ですべてを受け入れ淡々と自然体ですごしたい。人に迷惑をかけない限り、今さら『こうあらねばならない』とか『こうやるべし』はノーサンクス」となる。男の原点にはメンツとプライドがあり、新聞を取り入れる事や玄関まわりの清掃という周りの人から見える場所は、かみさんがやることだそうだ。毎日の過ごし方や生活の手法が表立つのを意識的に避けている。彼の中にある年寄りは男しかいなくて、かくあるべきという規範(なんと親から伝わっている)があって、それに従っている。</p>
<p> もうひとつ、イザと言うことが起こったらなんとかする。単身赴任や独身時代に一人で住んでいたのだから、それはできる筈だ。介護だって、やってやる。こちらの方が肉体的に大きいし力もあるから、何とかなる筈だ。無知であることの裏返しに過ぎないのだが、ほとんど信仰のように思い込んでいる。</p>
<p> とはいえ、年齢的に自分が先に逝くことになっている。その後のことは、なんとかやるだろう、生活ができるだけの年金はもらえるのだから。いずれにしろ自分を肯定的にしか見ない、甘えというか一種の思考停止状況にある。</p>
<p> 結論として、読んでもらうことはもちろん大切だが、それだけでは読んだという意識が残るだけで、ご本人の生活行動には結び付きそうにない。誰かと話し合うとか感想を聞くなどの、コミュニケーションが必要だと思うようになった。お連れ合いのいる方はそちらにも読んでもらって、その感想を話し合って欲しいものだ。</p>