2010.08.15 Sun
はじめのごあいさつ
今年の2月末から、大韓民国・ソウル特別市の片隅で暮らしています。約束された滞在期間はたった1年。大学院の博士後期課程に在籍し、日本と韓国を含む東アジア近代の歴史を勉強している者として、「研究」のための滞在であり、来年の2月には必ず日本へ帰国しなければならないという期限付きの生活です。
初めて韓国を訪れたのは2001年、大学1年生の時ですが、それから毎年のように計10回程度は渡韓していながらも、居を構えて生活するのは初めてのことです。とは言え、幸いにも頼りになる知人友人がこちらにいたため、彼女ら彼らの好意と並々ならぬ尽力のおかげで、始めからとてもスムーズに、心地良い生活を送ることができています。
この10年で、私自身の韓国に対する距離感は大きく変わりました。2001年の韓国旅行は、私にとって(パスポートを携帯して旅行するという意味で)初の海外旅行でもありました。何度も訪れるうちに慣れてしまったところもあるとは言え、当時受けた衝撃や感覚を、今でもいくぶんかは覚えています。例えば、初日、仁川国際空港で、飛行機を降りてから入国審査を行うまでに寄ったトイレですでに、「PUSH」という英語の存在に心底ホッとした時の気持ち。
また、滞在期間中、最終日に訪れた焼肉店以外では、白米を除いてほとんど口を付けることができなかったのですが(トウモロコシ茶ですら、抵抗があり、一口で置いてしまった)、宿舎の食堂の雰囲気や食べられないおかずを前にした時の閉口した感覚などなど。食べ物が口に合わないということは、私にとってとても深刻な問題であり、たった5日間ほどの滞在でしたが、食事の際に手にとらざるをえない銀製の箸やスプ-ンでさえうらめしく思い、日本に戻ってしばらくは、偏狭にも、もう二度と行くものかと思っていました。 ですが現在では、こちらで口にする食事の90%以上が口に合い(レバーが苦手なので、それに近い食品はどうしても避けてしまいがちです)、辛いものも、韓国で暮らす人々が体調に異常をきたさずに食べられる程度のものは全く問題なく食べることができるので、体重に注意しなければならないほどです。
あまりにも情けない回想から始めてしまいましたが、このようなことからも窺えるように、初めて韓国を訪れてから10年近くが経つ現在までに、韓国に対する私の意識や距離感は変わったと言えます。そしてその間に、日韓共催ワールド・カップや「韓流」ドラマの流行をきっかけとして、日本の地方スーパーですらキムチを数種類取り揃えるようになるほどに、日本と韓国の距離も(ある面では)縮まったように思われます。
しかし一方では、その急速な「雪解けムード」のために(とくに日本側からは)見えにくくなっている問題や置き去りにされかけている切実な問題が数多くあり、大げさではなく、予断を許さない状況であることもまた確かです。
2010年という年は、考えさせられることのとても多い年です。私がこちらへ来た時は、ちょうど冬季オリンピックの最中で、まさに国を挙げての「キム・ヨナ大フィーバー」の最中でした。そして、3・1節をはさんで、新年度が始まりあたふたしていると、天安艦沈没事件が起こり、真相究明と被害者の追悼にメディアは多くの時間を割いていました。
そうこうするうちにあっという間に6月。前半はワールド・カップが話題をさらい、後半は同月25日が朝鮮戦争の開戦から60年を数える日であることもあり、関連行事の開催や記念ドラマが放映されたりしました(ちなみに現在でも、「朝鮮戦争」――韓国では「韓国戦争」や「6.25戦争」と呼ばれています――を題材にした「ロード・ナンバー・ワン」が放映されています。初回は6月23日放映)。そして8月には、韓国併合から100年、日本の植民地支配からの解放から65年が経つ「その日」を迎えます。そんな意義深い今年、韓国に滞在することができることの意味を噛み締めつつ、しかし私自身は平凡な日々を送っています。
現在生活しているのは、受け入れ先大学のある某洞(「洞」は、日本でいう町の下の単位)ですが、韓国の首都であり、人口の25パーセント(なお、仁川市・京畿道をあわせて首都圏と考えると、約半分になります)が集まる世界的大都市ソウルの一角にあるとは思えないほど、この某洞は穏やかで(もちろん学生街なので、そういう意味での活気はありますが)、過ごしやすいのです。もちろんその「過ごしやすさ」は、私の恵まれた立場や感性の鈍さによるものであるかもしれませんが、緊張感と熱狂が時折顔を覗かせつつ、いたって平静な日々を積み重ねるソウルのある場所、ある洞、ある大学、ある交差点、ある食堂、ある家で、私が見聞きし、私なりに考えたことを、これから綴っていきたいと思います。
以上のようにささやかな韓国滞在記ではありますが、ひとまず「ハナ通信」と名付けました。「ハナ/﨑俯x」は、ハングルで「ひとつ」という意味です。それは、ここで書くことは、あくまで私にとっての韓国であり、それが全てでもなければ絶対でもなく、「一般的」ですらないということ、そして私にとっても、この地で体験させてもらえたことや学ばせてもらったたくさんのもののひとつに過ぎないという意味で、名付けました。たかが数ヶ月滞在しただけの私が書けることなどたかだか限られていますが、お付き合いいただければありがたく思います。
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