2010.10.06 Wed
第四回目、テーマ「『均等法』成立と前後して行われた平等をめぐる三つの論争」の回に参加させていただきました。労働の領域はもちろんのこと、現実のジェンダーを取り巻く社会状況とどう向き合っていくかを考えるにあたって有用な文脈をたくさん確認することができ、大変有意義な3時間でした。
1970年代日本の低成長期、産業構造の変化にともなう労働のフレキシブル戦略化による、若年女性の結婚退職と家庭の主婦のパート労働を中心に想定した「労働力の女性化」が、時を経るとともに次第に上手く機能しなくなる。例えば、女性が正規労働を「辞めなくなる」。そういった状況下において、1985年に成立する「男女雇用機会均等法」に先立つ6年半、男性労働とは異なった形で構築された「女性労働」のあり方をめぐっての議論が行われる。今回の講座は、このようないくつかの議論についての論点を中心に行われました。
まず、労働市場における女性を、母性として保護する対象と考えるか、あるいは、結婚退職をするわけでもなく男性同様の働き方をしているのに女性だけ過度に優遇する必要はない、と考えるか、という、いわゆる「保護か平等か」という議論。この議論においては「母性保護と平等の統一を図る新しい運動」が提示され、そこで先生は、母性保護は人間として不可欠な人権であり、保護のコストは企業の競争利潤下の負担にせず、社会保障に負担させることが必要である、ことを主張されました(しかしそのような実践的取り組みにも関わらず、日本では均等法成立とともに抱き合わせで労働基準法が改悪され、雇用差別に結びつく女子保護規定の緩和がなされました)。さらにここでの重要な論点として、母性とされているものを両性の問題と考え、男性のほうの労働条件を高めることの必要性についても述べられました。
二点目の論点は、1980年代男女雇用機会均等法の成立の時期、男女はともに自由な個人であると見なす「機会の平等」をめぐって行われた議論に関するものでした。先生の主張における「機会の平等か結果の平等か」という問題は、アファーマティブ・アクションのような、競争条件が不利となっている特定の属性の人々への特別措置にとどまらず、より広義に考えていく必要がある。ここでの「結果の平等」とは、自由な個人が前提とされている、実際は女性が自由な個人たりえない社会システムを変えることであり、例えば、表面上だけ平等になっても残る間接差別の問題などに切り込んでいくことをも意味します。
そして、私は特にこれは近年の日本の社会意識との関連でも意味のあることだと感じたのですが、こういった「機会の平等」批判は、すぐに「逆差別だ」との反発を招きやすい。しかし、スタートラインにたつ権利を形式的に与えるのみならず、まずは同じスタートライン同じようににたてる社会を作ることが重要という言葉の重みを、今を生きる全ての人間が認識する必要があると感じました。
三点目の論点は、女性の労働を、その特殊性とともに論じる竹中先生にたいし、大沢真理氏からの、それは女性の特殊化を招き「女性労働をゲットー化する」、という批判に関するものでした。しかし先生曰く、さまざまな低賃金の問題が存在する中で、女性労働が低賃金という理由はほかとは違うのは明らかである。そして、むしろ、女性労働がなぜ「特殊」な性格を持ったか、アンペイドワークを想定した女性労働だからこそ、その価値が低められている、その構造自体を変えないといけない、という反論が述べられました。大沢氏の批判のように「女性が特殊で男性が一般」だとは一度も言っていない、男性が稼ぎ主であることが「特殊である」と。
最近、私がしばしば感じることに、ジェンダーに関する議論の際、男性をとりまく構造が問われないこと、すなわち男性のそこでの他者尊重や平等に背く行為が免罪される、という無念さがあります。もちろん、男性にとっても不都合な構造でさえ、同じメカニズムで隠蔽される危険性もあります。ジェンダー問題は女性のみの問題として議論されがちであり、結果として様々な立場の女性同士が分断・対立させられる、という今日的問題を考える際にも、このような「特殊性」の議論はとても意義深いことだと感じました。
また、今回の講座で、もっとも印象に残ったのは、先生の主張されてきた諸理論が、常に「女性の労働運動」との関係の中で、実践的な意味を持っていたということです。血の通った、人間のための議論がなされていたこと。そのような実践および現在との連続性の重みにたいし、不勉強ながらも後追いでジェンダー論に取り組む学生の一人として、深く敬意を払わせていただきたいと感じました。ジェンダーをとりまく理論は常に、それが実現可能かはともかくとしても、このような実践との関係性とともに考えていかないといけないと切に思いました。
実は以前私は、龍谷大学で開講されていた竹中先生の授業に単位互換で参加させていただいておりました。なので、今回の講座は私にとってはおよそ10年ぶりの、先生の授業。女性の「保護と平等」「機会か結果か」は、私がジェンダー論もフェミニズムもほとんど知らなかった当時、「女性解放の考え方というものは一枚岩ではないのか!」と衝撃を受けた、特に印象的なテーマでもありました。このような複雑さこそがジェンダー構造の問い直しを困難にしている、という信念は、現在も私の中にも変わらず存在しています。先生の、落ち着いた口調ながらも何本も芯の通った強いお話、わかりやすい講義、そして今回はそれをめぐって様々な角度からの議論が行われる「大人の」講座。今回レポートを担当させていただき、懐かしさと、刺激が混在した素晴らしい体験をさせていただきました。
カテゴリー:セミナー「竹中恵美子に学ぶ」 / シリーズ
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