2010.10.11 Mon
<特集:セミナー竹中恵美子に学ぶ6>
~「均等法」成立と前後して行われた平等をめぐる3つの論争~ 伍賀偕子
9月17日、第4回目のセミナーは、テキスト『竹中恵美子の女性労働研究50年』(ドメス出版)の第2期(1980年~90年代はじめ)における、上記テーマで開講。毎回と同様会場いっぱいの高出席率で、熱意に満ちた講義に応える張り詰めた緊張感が会場にあふれ、質疑討論も興味深い内容だった。
私は、当時の女性労働運動の真っ只中にいた者として、竹中理論・研究による問題提起が、どのような影響を与え、運動と理論の交流がどう紡がれたかを、主として大阪の女性運動から、運動の中で出された原資料をそろえて回覧しながら、証言の役割を務めた。
<「保護」か「平等」かの二者択一論に対し、「保護と平等の統一の理論」を提起>
1970年代、政府と財界は、「保護」か「平等」かの二者択一論キャンペーンを展開し、1978年11月に出された「労基研報告」(労相の私的諮問機関)は、「女子保護の廃止の必要性」を結論づけ、一方で「男女平等法」の制度化に言及。
1974年「第19回働く婦人の中央集会」の記念講演はじめ、情勢の節々で提起された竹中論文は、「いま男女雇用平等法をめぐって問われているのは、女性の人権であり、同時に労働と生活の人間化の視点からの労働者保護である」として、従来の女性概念を、―①生殖機能の保護②妊娠・出産(哺育を含む)③育児のための保護― に精密化して、②を母性保護とし、①と③については両性保護をめざすべきと方向性を示した。
「保護」か「平等」かの二者択一論に対して、「保護も平等も」のスローガンで「既得権擁護」の主張も見かけられたが、それでは説得性が弱く、竹中理論は、運動の方向性を明確に提示。私たち大阪総評女性運動のビラや討議資料は一貫して「女も男も人間らしい労働と生活を」のスローガンで、均等法の後に強行された労働時間法制の改悪にも積極的な反撃を展開して、男性も含めた基本組織の運動を牽引した。この論理は、21世紀のいま、「ディーセント・ワーク」の言葉を得て、ますます重要性をもっている。
<「機会の平等」の落とし穴と「結果の平等」をめざして>
女性差別撤廃条約の批准を直前に控えて、1982年5月、政府の「男女平等問題専門家会議」(公労使3者構成)は、男女平等の判断基準を「機会均等を確保するのであって、結果の平等を志向するものではない」として、「均等法」のレールを敷いた。
これらの動きに対して、竹中理論は早くから、「機会の平等」論の落とし穴=性別分業体制への再編の危険性、男性基準の「機会の平等」は女性を排除する間接差別の手段ともなりうると批判して、「結果の平等」を実現するための戦略と運動の道筋を― ①生命の直接生産のための両性共有の諸権利を労働条件として確立②労働力の共同体的再生産形態の創造にむけて労働組合が地域運動と結合して新しい領域を拡大すること―と明快に示した。
当時、機会の均等と結果の平等を「段階論」にすり替えて、“小さく生んで大きく育てよう”というキャンペーンが横行した中で、大阪総評女性運動は、「男女平等問題専門家会議」答申批判のリーフレットを翌月に職場配布。その主張は― ①能力主義強化による女性の分断⇒母性をかなぐり捨てて男性並みの労働条件で働く者にのみ平等待遇を与える分断政策②結果の平等をめざす特別措置を否定する誤り⇒就労が家族的責任の遂行を阻まないよう労働条件や社会制度の改革こそが重要 ― であり、何度も配布した街頭ビラにもこの主張が貫かれた。
二つの写真は、①84.4.21の集会=機会均等法案粉砕・労基法改悪阻止・真の男女雇用平等法を制定させよう!②85.3.9の大阪総評決起集会=労働法規の全面改悪反対!男女雇用機会均等法案反対、労働者派遣事業法案反対大阪決起集会―均等法と派遣法、労働法規の全面改悪反対とを結んだ、全国的にも数少ない集会。これらの運動は正規労働者だけの運動でなく、市民団体や、未組織・非正規労働者との連帯の運動形態を手探りで追求。(詳細は著書の第2部を参照ください)
カテゴリー:セミナー「竹中恵美子に学ぶ」 / シリーズ