エッセイ

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やおい/BLについて語るということ        堀あきこ

2010.10.13 Wed

 911のシンポジウムから早一ヶ月。ご来場いただいた方々、エッセイをお寄せくださったみなさま、ありがとうございました。壇上から見た会場はほぼ満席で、当日はかなりうろたえていたのですが、「楽しかったよ」という声を多くの方にかけていただいてホッとしています。

 シンポジウムではアンケート用紙が配られ、たくさんの質問や感想をいただいたのに、あまりに多岐にわたる内容で、ごくごく一部のものしか紹介できなかった…… ということで、後日それらのコピーを送っていただきました。

 それぞれの論者に向けられた質問のほか、多かった質問として、女の子間の物語である「百合物」をどう考えるか、「腐男子」についてどう考えるか、男性キャラクターが妊娠・出産するような「女体化」をどう考えるか、やおい/BLにおける「世代間格差」をどう考えるか、オリジュネ専の腐女子と二次創作専の腐女子の違いは何か、などなど。また、会場からあがった「ジェンダー論以外の視点からいかに考察できるのか?」という質問に賛同する声もありました。

 しかし、どの質問に答えることもむずかしい、というのが正直な気持ちです。というのも、私がやおいやBLについて何かを書いたり話したりする時には、いつも迷いが生じ、その迷いを埋めるには長い時間がかかるからです。

 私は、やおい/BLと性表現についてこれまで考えてきました。なかでも、男性向けのエロメディアとやおい/BLは何が似ていて・何が違うのか、ということに関心があります。そして、研究方法としてマンガ表現に注目する手法を選び、その中から「関係性」が1つのポイントとして浮かび上がってきました。

 そうしたことをシンポジウムでお話したのですが、いただいたアンケートの中に「男性がエロ本やAVを見るのと同じように、やおい/BLを消費している女性もいると思う。そういった人はそこまで関係性を重視しているのか」というご意見がありました。

 そうなんです。おっしゃるとおり、明確にエロを求め、重視する層が存在するわけです。私が関係性をやおい/BLの魅力として取り上げることによって、その層を無視することになるのではないか? ということは常に引っかかっている問題なのです。

 そして、そうした質問の一方、「BL=性的なものじゃないということを、もっと広く知ってもらいたいです」というご意見もあって、こちらに関しては、「性的」ということをクローズアップしてしまってごめんなさい、という気持ちになってしまいます。

 やおい/BLの魅力について語る時に「性的」ということを持ち出すこと自体、そして、どうも「関係性」がキーっぽいけれど、そうじゃない読み手や作り手もいっぱいいるし……こんな感じで、ウロウロ迷ってしまうのです。もちろん、マンガ表現として研究していく過程で、「関係性」を重視しているということを導けたわけですし、そこに揺らぎはないのですが、“そうではない層”のことを考えずにはいられないわけです。

 また、野村史子さんのエッセイの「やおいのいやらしさはどこへ行ったのか?」という問いにも、立ち止まってしまいます。「私にとってやおいは、まず第一にマスターベーションの道具だった」という言葉に、拍手喝采せずにいられません。女性にとってマスターベーションの話は、いまだ語りにくい領域なのですから。

 けれど、私個人としては、野村さんの言葉に賛同しきれないのです。なぜなら、私はマスターベーションにやおいもBLも使わないからです。

 では、私にとってやおい/BLの性的な部分の魅力は何なのか、というと、言葉にするのが非常にむずかしいのですが、一服の清涼剤、といえるかもしれません。

 妙な例えになるのですが、電車の中でいわゆる“夕刊紙”を読んでいる男性っていますよね。結構、面白い記事もあるんですけど、なぜか必ず目に入ってくるのが性風俗の記事で、アレ、ちょっとイヤなんですよね。性風俗の記事が悪いわけじゃなく、「電車の中では見たくない」という感覚。

 知人の男性に「なんで満員の電車の中で、堂々と読めるんだろうね?」と聞いてみたところ、彼からかえってきたのは「俺も個人的にはイヤやけど……でも、分かるねん」という答え。何が分かるのか、さらに聞いてみると「仕事で疲れて、もう何にも考えたくない時に、ああいう記事って頭をぼーっとさせてくれるねん」とのこと。

 彼の意見がどこまで一般的なのか分かりませんが、私は「あっ!!」と思ったのです。ちょっと分かるんですよ、その「ぼーっとさせてくれる」という感覚が。良いイメージの言葉を使えば「癒し」とでもいえるでしょうか。

 私がやおい/BLの魅力としてエロの側面を取り上げる時、マスターベーションのことは、たいてい保留にしています。“夕刊紙”を読みながらマスターベーションする人もいるでしょうが、多くは頭がぼんやりしたら、それで終わりなのではないかと思います。私にとってのやおい/BLのエロも、マスターベーションに直結するものではなく、頭をぼんやりさせてくれるもの、という位置にあるような気がするのです。

 やおい/BLの性的な部分を男性向けポルノと対称的に位置づけて良いのか、私がこだわる理由は、このマスターベーションをめぐる感覚からきています。けれど、野村さんのように、「使います!」と言われる層も知っている。やおい/BLのエロの魅力とは? と聞かれて、すんなり答えられないのです。

  多様で多彩なやおい/BLの世界を語ることは、楽しくもあり、悩みのつきないことでもあります。こんなことが切り取れた!と思った瞬間、そうではない事例が出てくる。守さんが「純愛」と「エロ」を求めている層がBL雑誌の投稿はがきに混在していたことをおっしゃっていたように、読み手の求めるものも多様なのがやおい/BLなのだし、東さんがおっしゃっていたやおいの「女性同士のコミュニケーション」も、それを求めない腐女子だって存在するでしょう。

 やおい/BLのすべてを語ることは、とうていできません。それができると思っているのは、上から目線で「やおい同人誌なんて何の価値もないクズだが、そんなものを好きな人もいるのだから許してやろう」なんていう、パターナリズム的で、自分の権力性に無自覚なマンガ研究者ぐらいでしょう(あるシンポジウムで実際にあった発言です)。

 表現規制問題やゲイ差別問題など、やおい/BLをめぐる社会的な状況が厳しい今だからこそ、魅力を語る場にしたい、という主催者側の意図に頷いたものの、あーでもない・こーでもないを繰り返す論者が、どこまで魅力を語れたか微妙なところですが、それでも、やおい/BLを語ることはやはり楽しく、いただいた熱い質問やご感想にも、何度も立ち止まるでしょうが、おいおい答えていければと思っています。ありがとうございました。

カテゴリー:シリーズ / やおい/BLの魅力

タグ:同性愛 / 堀あきこ / ボーイズラブ