2011.07.30 Sat
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「聡明な女は料理がうまい」という本が、昔、桐島洋子さんによって書かれましたね。 中身は読んでいません。だって、私にとって、「いたたた、、、」と言いたくなるようなタイトルですもん。でも、確かに、私のまわりの聡明な女たちは、みんな料理好き。料理の話になると夢中になるし、実際に自分でつくるし、またその腕前もすごそうだし、、、、。なぜ? なぜ、聡明な女たちはあんなに「食」に情熱を持てるの?
私は、父親に似ているように思います。父は、料理に一切興味がなく、母が入院したときは、何も調理しないで食べることの出来るパンや買い置きしてある袋菓子などを食べるだけで、お湯すら沸かしませんでした。父は出される物を黙って食べるだけ、自分が何を食べているのかということすら興味がなかったと思います。そして、私も限りなく父に近く、特に食事の内容に興味もなく、好き嫌いだけを言っていたように思います。
今、息子が食に関して、この父とそっくりです。でも、彼らは男性なので、それで苦労しているようには見えません。それは許されてきたのです。が、私は許されませんでした。私は、子どもの頃、母が病気で寝込んだりすると、父に夕飯を作るように言われ、「作れない」と言うと、「女なのに、何故作れないのだ」と叱られました。そして、寝ている母の枕元に行って、母の指導を仰ぎながら食事の支度をしましたが、それはそれは苦役のようでした。
そして、結婚したら、家事担当になりました。何の約束もした覚えがないのに、私が料理を作ることが当たり前になりました。当時の私は、理不尽なものを感じながらも、自分の役割のように思っていて、とりあえず毎日、今日は何を食べよう、と考えていました。学生結婚でしたので、大学の帰り道にある「すぐまにあうおかずや」という、そのものずばりの名前のお店をどんなによく利用したかわかりません。
こういうのって、大工仕事が苦手なのに、日曜大工で棚を作ることを期待される男性なら、苦痛をわかってもらえるでしょうか。いえ、食事の支度は毎日(日によっては1日3度)のことですから、日曜大工ともまた違うかもしれません。
それでも、毎日やっていると、出来るようになるものです。結婚した頃は、おみそ汁を作るのに、袋いっぱいのおみそをまるごと放り込んで、夫を塩分過剰で殺しかねない勢いでした。もちろん、飲めたものではありません。夫が、「こんなの食えるか」と怒るような人なら、「じゃぁ、自分で作りなさいよ」と、ブチ切れていたと思いますが、「大丈夫、まだ致死量じゃないよ」と笑っているような人でしたから、それから、私の料理の自主修業は始まりました。本を買って来て、みそ汁の作り方を調べて、真面目につくるようになりました。それまで興味がなさ過ぎて、世の中に料理の本があるのも気づかなかったのですが、書店に行けば結構いろいろな料理本があって、私のレベルに合うのもちゃんとありまして、「そうか、何でも書いてあるものなんだ」と感心しました。そして、それらを見ながら料理らしいものを作るようになりました。
子どもが幼稚園に行く頃には、もう、食事の支度はすっかり手慣れたものになっていました。レシピ通りに作るのはおもしろくないので、たいてい、自分流にアレンジをして、工夫する楽しさも覚えていました。お弁当や来客の時には、自分の持てる能力を総動員して料理にかかっていましたから、時には「料理上手」などと見当はずれなお褒めの言葉もいただきました。
それでも、無理していたんですね。やっぱり、好きにはならなかったのです。一人暮らしになって、最初にやめた家事は、料理です。
一人暮らしは気ままそのもの。食べたい時に食べたい物を、買って来たり、食べに行ったり。テレビを見ていても、料理番組が始まると、チャンネルを変えてしまいます。親戚の新年会などでは、自慢料理を持って来る人たちがいて、褒め合ったり、レシピを披露し合ったり、料理の話がいつまでも続きます。白熱してくる頃には、私はそっと女性達の輪からはずれて、ぼんやりテレビを見ている男性のところに行って、「このテレビ、何インチですかね」などと話しかけたりするしかなくなります。
前置きが長くなりました。いよいよこのエッセイの順番がまわってきまして、う~、恐れていたことが、、、と頭をかかえました。でも、おうちごはんに限らなくていいよ、と言っていただいたので、それなら、ということで、「おそとごはん」について、書くことにします。
夫が生きていた頃から、誰かのお誕生日には、その人のお気に入りのお店に行って、食事をするのがなんとなく習慣になっています。それぞれが、自分の好きな生き方をし始め、いっしょに食卓を囲むということがなくなってしまった頃(まだ中学生だった娘は、「一家離散」と呼んでいました^^;)、夫が思いついたのでしょうか、誰かのお誕生日や就職祝いや○○祝いや、、、ということがあると、おいしいものを食べに行こう、とメールで呼びかけるようになりまして、始まりました。時々会って、おいしい物を食べるというのは、ほんとうに楽しくて幸せ。時には、本人が遠方に旅行中なので、本人不在の誕生パーティとかもやっていまして、パーティの最中に、「今あなたのお誕生日会やってます!」なんてメールを送ったり。私が転職した時、私の転職祝いパーティをする、と彼から言われて、「あ、その日、都合が悪いの」と言ったら、「いいよ、みんなでお祝いやっとくから」と、とぼけたことを言われたこともありました。
7月は、娘の誕生日がありました。娘の愛犬も同じ月。娘の希望で、愛犬も参加できるお店を探します。車で一時間ですが、なかなか良いレストランを見つけました。いつもは母の好みに合わせて和食が多いのですが、今回は、犬がOKという条件つきですので、ファミレスです。が、ファミレスにしては、そのお店でシェフが調理しているので、大味ではなく、ちゃんと作った良心的なお味と量。大阪市内のテナント料を考えたら、とてもこの値段と味と量とサービスは無理だろう、と思うようなお店が、生駒にあったのです。
玄関。ちょっとバリ風らしいです。→
母と娘と私の3人は、そんなに量は食べませんが、30代のそこそこ体格の良い男子が二人いるので、日ごろのファミレスのイメージで注文しましたら、食べきれませんでした。ちゃんと、量が入っているのです。(今では、夫は、写真参加です。)
ワンコはおとなしく、食事中、静かに待っています。レストランで、小さな子どもたちが走り回っていたり、大声をあげて騒いでいるのに遭遇しますと、「うちの子の方がよほど静かなのに、なんでお断りされるんだろう」と、娘は嘆きます。
久しぶりにちょっと若者風な食事をしました。結構、満足。ま、なんと言っても、好きな人たちと楽しく食べるのが一番のご馳走ですね。
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