2011.08.23 Tue
「わたくし『会社命!段取り命』、営業一筋のサラリーマンでございました。
定年退職後、第二の人生を謳歌し始めた矢先、ガン宣告を受けたのでございます」
そして「わたくし、終活に大忙し」という、段取り命氏のエンディングを「段取りが悪く」生まれてしまった次女が、ドギュメンタリー作品として(「次女がわたくしを追い掛け回して」)作った初の監督作品である。
実は評者には、この映画を見たいという個人的事情があったのだが、映画そのものは、評者の思い入れとは全く異なるものに仕上がっていたのである。
評者の思いは置いて、「エンターテイメント・ドギュメンタリー」というほど、おかしさというかペーソスに満ちた作品である。
試写会の客席にはしばしば笑いが起きたぐらい。
たとえば、もう時間が残されていないという病室で、これまた段取り好きの長男が葬式に招く人の段取りを枕もとで確認している。
疲れたのか主人公は、同僚に言うように
「わからなくなったら、携帯に電話して」と。
また、教会に行って「主の祈り」を唱えるように言われた彼がそれを機械的に唱えているすぐ横で女性たちが何かの飾り付けを賑やかにやっている。
・・・というようにドギュメンタリーならではの、巧まざる一級のユーモアがにじみ出る。
「私にとっては一人しかいない父ですが、ただのおじさんであるという事実は大前提なので、この何の変哲もないおじさんをどうしたら笑ってもらえるか、というのを常々考えていた」のだそうな。
妻からすれば何度か離婚を考えざるを得なかったぐらい会社一筋の、ニッポンの男たちのその一人に、笑ってもらえる要素を見出したという、この若い女性 監督に端倪すべからざる資質を感じるのである。
「ございます、わたくし」調が笑いを誘うが、これ自体が実にリアルな表現(主人公は会社でこんな風に話していたに違いない。公的場面での男たちの、間違った敬語を含む丁寧語の横行)であり、死という深刻な出来事をちゃかしているのか、というとそうでもない。
冒頭「本日はお忙しいなか、わたくしごとでご足労いただき、誠にありがとうございます」
という丁寧な口上に始まって、ずっと主人公の内面(といっても深刻・思索的ではない)をナレーションしていくのが監督自身で、最初は女性の声にいささかの違和感を持つが、 そのうち充分に段取り氏の声になっていき、その内容は秀逸である。
既述のように驚くほど主人公(父親)をよく観察してきている。
で、話を戻して。
「この人生の誤算をきっかけに始まった『死に至るまでの段取り』は、私の人生最後の一大プロジェクトとなりました」。
一大プロジェクトとは、パソコンにエンディングノートと名づけた段取りを書き残し、 そして1から10までの「To do」の開始。
たぶん後者は作品の流れとして監督の編集であろうが。
To doとは、ちなみに「1。神父を訪ねる」「2。気合を入れて孫と遊ぶ」 「3。自民党以外に投票してみる」「4。葬式をシュミレーション」
「5。最後の家族旅行」「6。式場の下見をする」など。
「9。妻に(初めて)愛していると言う」
そして最後が「エンディングノート」。これは死後の連絡先、債権・債務、遺産配分の希望、銀行通帳の事情等々、後で誰もが困らないような詳細な覚書となっている。こんなにまで丁寧に「段取り」のできる人は稀有だろう。まさしく段取り命氏の氏であるゆえんだ。
観賞第一の驚きは、写されている家族の自然さ。
よく映画や芝居で死や臨終の場面を見るが、あれはリアルさの欠けた作り物なんだなあ、と思わせられるほど作為がなくまたたんたんと物語は進行する。
「家族にカメラを向けるというのは日常的なことになっていたので、皆取られることに慣れていて自然でいられたと思うんです」と。
第二には妻の存在。ほとんど彼女が言葉を挟む場面はないし、夫からは子どもに支えられないと一人では生きていけない専業主婦という評価である。夫婦の一方としてもっと言葉も行為もあったろうに。
To do9で、愛していると夫に初めて言われ、もっとやさしく してあげたかった、自分も付いて行きたい、と、泣く。
第三は、きわめて個人的出来事をこのような形で公の作品にしてしまうという作家魂。
「わたくしごとで恐縮です」と冒頭教会の神父に述べるが、主人公にとって私的事項は恐縮すべきことで、(建前だとしても)、また明らかに公的事項より価値が低いという典型的な「男性原理」が垣間見える。
出来事や父親は、監督の、この変哲もないおじさんを笑ってもらいたい、という素材にすぎない、というのだろうか。
最後に評者がとても気にいった監督の意図はこれである。
「(このような)タイトルをつけていることで、『死の準備をすることが大切だ』と言うことを伝えようとしているのではありません」。
なるほど、なるほど。昨今の震災関連の言説をみよ。元気になってもらえば、勇気を与えられたら、ちょっとでも助けになれば、という、これこそ生き様モデルとでも言いたげな教訓的言辞が満ち溢れすぎていて(マスコミの罪でもあるが)、へそまがりな評者など、よけいなおせっかいだ、と思っているところである。
どなたにも観賞をお奨めしたい一本であることは間違いない。
画像:
(C)2011「エンディングノート」製作委員会
題名:エンディングノート(90分)
監督:砂田麻美(第一回監督作品)
製作・プロデューサー:是枝裕和
上映:東京・新宿ピカデリー 10/1からロードショー
カテゴリー:新作映画評・エッセイ
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