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『灼熱の魂』 <産む性>としての女の悲劇と<民族紛争> 川口恵子

2011.12.15 Thu

   悲劇の全容が明らかになる時、奇跡が――

「歌う女」――かつて中東の監獄で、15年間、いかなる非道な拷問にも屈することなく、歌い続け、地獄を生き延びた女闘士がいた。

彼女の名は、ナワル。辺境の村で異教徒の男を愛し、子を孕み、「家族の名誉を汚した」と目の前で男を殺された女。産んだ息子は連れ去られ、村から追放された女は、やがて、息子を襲撃で殺されたと思い込み、テロに身を投じる。監獄に入れられ、レイプ拷問をうけた女は、身も心も傷つき果てた後に、釈放され、カナダ・ケベック州に亡命した――

映画『灼熱の魂』は、こうした過去をもつ女闘士ナワルが、その後、歳月を経て、亡命先のカナダのプールサイドで突如、意識朦朧となり、不可解な死を遂げたという設定から始まる。続いて、双子―姉弟―の遺児が公証人に呼ばれ、遺言を言い渡される。それは、死んだと聞かされていた「父」と、存在すら知らなかった「兄」に、それぞれ一通ずつ、手紙を届けてほしいという内容の遺書だった。母に愛された経験のない弟は激しく拒否し、姉娘だけが、手がかりを求め、遠い母の故国へと旅立つ。一葉の写真をその手にたずさえて。やがてそれは、母が「歌う女」と呼ばれていた監獄内で撮られた写真だと、映画の後半、判明するのだが、その時、娘はまだ、母の悲劇の全容をしるよしもない。

そしてそれは、観客も同じなのだ。結末で初めて明らかになる話法の全容をここで明かすわけにはいかないが、その話法を支えているのが、生殖機能を有する<女性の身体>と<母親性>であることは、ここで明言しておく必要がある。とはいえ、それは凡庸なプロパガンダ映画によくあるような、国家の興亡のメタファーとしての女性身体の用い方ではないのだが。

 ともあれ、冒頭、手早く示された状況設定に基づき、観客は、娘とともに、ドキュメンタリータッチの映像に誘われ、中東の紛争地へと赴くことになる。最初に訪れるのは、母の生まれ育った村だ。娘が、通訳を通して、村の女たちと話をする場面に、新鮮な見ごたえがある。フランス語を話す西洋の娘を前に、笑いさざめく村の女たちが、<ナワル>の名を耳にしたとたん、一転して、態度を変え、因習に縛られた村の前近代性を表面化させる。<ナワル>に、何があったのか? 何が村の女たちを怒らせたのか? ミステリーへの導入としても巧妙。

 そしてやがて、映画はゆっくりと、若き日のナワルの人生へ、そのすさまじいドラマへと比重を移してゆく。紛争地で<女>であることがもたらす、おそるべき悲劇の結末へと、映画が、観客を、連れてゆくのだ。

 終盤、姉娘の探求が進み、最後に弟が呼ばれ、「父」と「兄」の正体が明らかにされる時、ようやく、観客は、畏怖と共に、おそるべき<真相>に向き合うことを許される。「父と兄」、「双子」、「二通の手紙」といった、最初に提示された「対」構造は、この時、「ひとつ」に収れんされるだろう。その時、観客は、ナワルの魂を焼き尽くした出来事の真の意味を知ることになる。したがって、観客は辛抱強く待たねばならない。ナワルの身におきた出来事の意味が明らかになり、悲劇の真相が、啓示のごとく、そのおそるべき姿を現すまで―

彼女の魂は、まさに焼き尽くされたのだ。

原題は、地獄の炎を想起させるIncendies. 原作は、カナダ、ケベック州モントリオール(フランス語圏)に住み、2009年にはアカデミー・フランセーズ演劇大賞を受賞したワジディ・ムアワッドの同名戯曲。第一部「沿岸」に始まる四部作「約束の血」の第二部にあたる。第一部は「沿岸」。第三部「森」、完結編「空」へと続く。1968年ベイルート生まれの原作者自身、8才でレバノン内戦を逃れ、フランス亡命を経て、カナダに移住した経験をもつ。

残酷で無慈悲で冷酷な事実であるにもかかわらず、なぜか、厳粛な気持ちにさせられる。

ラスト、ナワルの魂は、おそるべき意志の力で蘇生し、愛と赦しを与える奇跡的瞬間へと、子どもたちを導く。

魂の震えと、深い沈黙と、大団円の醍醐味が待ち受けるその時まで、目をそらすことはゆるされない。焼き尽くされた魂が、再び、愛の力によって、蘇るのだ。

二通の手紙を読む声を通して。

12月17日(土)よりTOHOシネマズシャンテほか全国順次ロードショー

(2010年/カナダ・フランス映画/フランス語/131分)

(c) 2010 Incendies inc. (a micro_scope inc. company) – TS Productions

sarl. All rights reserved.

 公式HPはこちら

予告動画を見たい場合はyokoku 灼熱の魂

初出:月刊『女性情報』11月号 (WAN転載にあたり、大幅に加筆修正した)。

カテゴリー:新作映画評・エッセイ

タグ:DV・性暴力・ハラスメント / 川口恵子 / 女性表象 / カナダ・フランス映画 / 民族主義 / 妊娠、出産