2012.07.18 Wed
『わが母の記』監督:原田眞人 原作:井上靖
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井上靖『わが母の記』は、認知症を患った母親とその家族を描いた私小説。小説家である〈私〉の八十歳の母が、妹宅や著者宅に滞在しながら八十九歳で亡くなるまでを描いている。1964年から書き出され1975年に出版された。
いま読んで驚くのは、この小説に「医者」が一度も登場しないこと。「介護」という言葉も出てこない。「認知症」という病名さえ存在しなかった時代なので、〈老耄の母〉という表現がされている。当時の平均寿命は七十四歳、八十歳以上の高齢者人口も現在の約十分の一だ。〈老耄〉という状態はそれなりに珍しかったのだろう。〈私〉と家族は人間の加齢の神秘とでもいったふうに、母の変化について興味津々語りあう。
たとえば〈私〉の妻は、実母を看取った経験から「こちらのおばあちゃんも赤ちゃんの方へ向かって歩いて行っていると思うの。いま丁度十歳ぐらいのところで停っているんです」と判断する。娘も「なるほど。結婚しなかった年齢だからおじいちゃんのこと言わなくなってるのね」と納得する。この〈母親十歳説〉を、郷里で母と暮らす妹に披露すれば、「十歳ぐらいかと思うけど、概ね三十歳ぐらいじゃないかしら」と反論される。妹の夫はしかし、「何歳で停っているか知らないが、年齢からは割り出せない変わり方もしているように思うな」という。「おばちゃんはおそろしくこの世の中のことに無関心になっている」。
もちろん相手は痴呆の高齢者。きれいなところだけ選って書いている印象もある。また、小説家の〈私〉は、妻と娘、そして二人の妹、介護を女手にまかせている。とはいえ、老母にまつわるショッキングな事件を逐一世間に晒すものでもないだろうし、〈私〉の冷静なふるまいや混沌とした状態を平明な言葉にして語れるものにしようとする姿勢は、母の挙動にいちばん手を焼いたであろう妻や妹を支えたのではないかと思う。女たちとしげしげ情報交換し、どういうことが母親におこっているのか話し合う様子には、高見の見物といいきれない暖かみを感じる。
〈私〉の母への視線は冷静だ。はじめは〈母親十歳説〉を唱えていた〈私〉だが、やがて、母は〈幾つかの感覚的データを拾い集め〉、その都度のドラマを組み立て生きているのではないか、と観察していく。たとえばある夜中、母はどうも嬰児のころの〈私〉を探し、外にさまよいでてしまう。〈私〉は、母に当時の記憶を甦らせたであろう〈感覚的データ〉に気が付く。〈私〉が生まれたころにアメリカに移住した叔父が、つい最近亡くなったのだ。母にとっては、ほとんど生き別れに暮らした弟だ。弟を弔う気持ちが、母に過去を甦らせたのではないか、と考える。それにしても〈嬰児の私を二十三歳の若い母親が探し求めて〉歩いている絵と、〈還暦を過ぎた私が八十五歳の老いた母親を探し求めて同じ道を歩いている絵〉をふたつを想像すると、後者の絵は〈何か凄まじい〉とおののく。
井上靖は、壮年期は『敦煌』『おろしや国酔夢譚』など歴史小説で知られた作家だが、五十代からは故郷湯ヶ島での少年記『しろばんば』など自伝的小説に向かっていた。肉親との縁が独特に薄い人で、小学校時代は祖父の妾という戸籍上の祖母と暮らし、中学校時代は父母のほうが転勤で遠方に去り、その概要は『わが母の記』にも綴られ、父親について〈手放していたから愛が薄いとか、手許で育てたから愛が深いとかそういったものは、父の場合もともと持ち合わせていないもののようであった〉。冷たいようでだれにでも公平な人であったと肯定的に回想している。
さてその父が亡くなり、急に〈次は自分の番だという気持ち〉が芽生えた。〈父に死なれてみると、死と自分とのあいだがふいに風通しがよく〉なった。親子の愛情やはからいではなしに、父という存在そのものが、死から私をかばっていた、と思い当たる。そうして残された肉親である母を綴り始めたのが、この『わが母の記』。母が死ねば、死が一層間近に迫るであろうと予感している息子による、人間の生の衰退の記録で、母への思慕を綿々と記した小説ではまったくない。
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください. 翻って映画『わが母の記』。この小説が原作、らしいのだがまるで内容が違う。
戸籍上の祖母と暮らした小学校時代を「母に棄てられた」と根に持つ息子が、幼い息子の影を求めて徘徊する母をみて、「母さんもオレを棄てたのをこんなに後悔してるんだ!」と発見して心が癒される物語になった。
映画のはじめ、作家(役所広司)の書斎に書籍が積まれ、家族が「検印紙」を貼りつけている。小説に増刷がかかり、妻・娘・女性秘書、女たち総出で働いているのに、三女(宮崎あおい)の姿がない。作家は三女の部屋に怒鳴り込み、「奉仕があるから愛がある。愛があるから奉仕がある」と激怒して息巻く。これが家訓というか彼のモットーで、やがて三女は、祖母(樹木希林)への「奉仕」を進んで行うようになる。
だけど三女は、父の小説作品がちょっと迷惑。「おとうさんまた私のこと書くんでしょ」と顔をしかめる。彼の書くのは暴露小説なのだ。でもベストセラーになるので金回りが良く、小説家志願の青年を運転手として雇い入れ、ゴルフや軽井沢の別荘へ連れまわす。別荘付近の瀟洒なバーでウイスキーのみながら狭い机に原稿用紙をひろげ、興奮気味に万年筆を走らせ、「俺に母親のことを書かせたらディケンズなみだ」とか口走るのは、なかなか俗物的。
母親役の樹木希林は、とりとめのない脈絡のセリフを、ワンセンテンスごと態度を切り替えて喋ってみせる。認知症そのものにはどうも見えてこないのだけど、それは脚本があまりにご都合主義だからで、好演と思う。なにしろこの母親、書斎で息子(役所広司)を前におぼつかない会話の末、とつとつと息子の小学校時代に書いた詩、というのを暗唱してしまうのだ。それを見た息子は、母さんそんなに俺のことを・・と、涙がとまらなくなって、編集者の待つ客間を顔をおさえて通り抜け洗面所にかけこみ顔を洗う。いや、もう、びっくり。惚けても息子の詩は忘れない。
やがて作家は、母のことをめぐって親族とやりとりするうち、もうひとつ母のこころを知る。彼は中学時代、父母の台湾赴任で自分一人が日本に残された。これも「母に棄てられた」とうけとり反発を感じていたのだが、じつは「息子に海を渡らせて万が一のことがあってはならない。一族のひとりは日本に残るべきだ」という計らいであった。この発見を妻にうちあけると、妻(赤間麻里子)は、「あら、ご存知なかったの?」という。「知ってたのか?」、驚く作家。「なんで言ってくれなかったんだ」「だって、あなたが書かなくなってしまうから」。妻は、作家である夫が作品を書き続けるには「母に棄てられた」というトラウマが必要だと考え、情報をコントロールしていたのだ。おそろしい内助の功。息子が母の愛情を確認できなかったのは、この悪魔のような妻のためだった。
そしてラストシーン。
母(樹木希林)は、息子を探して徘徊のすえ、トラック運転手に頼みこんで葉山まできてしまった。作家(役所広司)は母を徹夜でさがし、ひとけのない森に包まれた海辺の砂浜で焚き火をしている。すると早朝、波打ち際をヨロヨロと母が登場。やや遅れて「おばあちゃん!」と娘(宮﨑あおい)が追いかけてくる。作家はにこっと笑って母と娘に駆け寄り、よっこらせと母を背負う。娘もにっこり。ああ血族はすばらしい、血のつながった女こそ信じるに足りる、というのがテーマなのだと思う。
来年あたり、確実にテレビで放映されるので、そのときとっても暇なら、いろんな番組とザッピングしながらみるのに丁度良いように思う。映画のおかげで文庫が再刊行され、かつての講談社文芸文庫版の約半額で手に取れるようになったのは嬉しい。
(七月三日 楽天地シネマズ錦糸町にて鑑賞)
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カテゴリー:新作映画評・エッセイ