2012.09.14 Fri
すべては台所から――男女の関係精とイラン文化を鮮やかに描く映画
「女は死ぬまでに、あと何回食事を作り続けるのだろうと思うと、途方もない気分になるわ」、「夫は私の家事より、自分の仕事の方が重要だと思っているの」。妻の不満や夫婦の問題は、どこかで万国共通なのだなあと思う。思わず、現在離婚の危機に直面している友人夫妻のやりとりを思い出してしまった。
私たちの親世代は、まだ女性は専業主婦になるのが当たり前の時代だった。そのせいか、周りの友人夫妻を見ても、「うちは自由にやっているから」と言う反面、伝統的な夫婦あり方にどこかしら縛られている部分があるのではないかという感は否めない。時代の流れとともに生活様式は変化しても、幼年時代に親から受け継いだ“幸せな家庭像”や“良い夫婦の在り方”のイメージは、簡単には変わらないのだろうか。
社会や文化が大きく変化する過渡期において、“消えゆく封建時代の専業主婦”と、新しい夫婦像と家庭の在り方を模索し、その間で揺れる現代の若い夫婦を捉えたのが本作だ。2011年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で、観客賞にあたる市民賞と、コミュニティシネマ賞の2冠に輝いた。
料理と食事の現場を撮るだけで、これだけ鮮やかに、男女の関係性と文化を描けるのかと驚く。この映画は、20代から90代の老婦人まで世代の異なるイラン人主婦たちが、それぞれ自宅の台所に立ちながら、カメラに向かって伝統料理の作り方や今晩の献立について説明する。テレビのお料理番組のようなシンプルな構造で進むが、なにしろ登場人物がめちゃくちゃに魅力的で、それぞれの家庭のドラマを垣間見ることができて、面白い。
多彩なスパイスを使い分けながら、大きなフライパンや鍋を使って、次々と料理を作る40代の主婦。途中で姑が登場すると、「お義母さんにはいじめられたけど、今は私がボスですよ。手が空いているなら手伝ってくださいね」とやりあいながら何時間もテキパキと働く主婦には、途中で現れた夫も「お前には誰も勝てないよ」と退散。 そして、宗教行事ラマダンが始まると、隣人の主婦がひとつの台所に勢ぞろいして、何時間もかけて色とりどりの夕食を作りだしていく。
美しいブルカを身にまといながら、お喋りをしつつ、真剣に料理に励む主婦たちの様子を見ていると、台所が社会とつながっていて、家族や隣人が集まる社交の場になっていることがわかる。だからこそ、女性が台所という舞台で輝き、その役割と母性を持って、家庭内の実権を握っているのだということも。そうした生き生きとした女性の姿を観ていると、かつて福田恒存が言った「愛情と信頼が欠けていることから起る不幸の原因を、封建性に帰してはいけません」という言葉を思い出し、イスラム文化圏の性差別問題に対する杞憂をも吹き飛ばされるような勢いを感じる。
しかし、彼女たちの結婚歴を聞くと、老婦人はわずか9歳の時に、40代の主婦は14歳の時に、決められた結婚で嫁いできたと言うので驚く。口数が少ない老婦人にスープの作り方を尋ねると、そのレシピを病的なまでに克明に語り始めるさまは、主婦にとって食事の支度がどれだけ重要な仕事であり、同時に過酷でもあったのかを物語る。映画は、封建時代の専業主婦の光と影の両方を記録しつつ、そうした伝統的な家庭に育った次世代の夫婦の結末を追う。監督自ら身体を張ったラストでは、家族や夫婦の在り方、そして社会とのつながりがどうあるべきかという疑問を、観客に投げかける。
「私たち男性は、イラン人であっても、家庭の台所で何が行われているかよくわかっていないため、この映画を撮りました」と苦笑するモハマド・シルワーニ監督は、カンヌ国際映画祭など世界各国の映画祭で50以上の受賞を誇る、イランを代表する映画監督だ。しかし、近年イラン政府による表現弾圧が厳しさを増し、数年前には海外渡航を一時的に阻止されたため、本作を機に、今後活動を休止すると宣言した。「亡命も考えましたが、いい作品は、1本の木が大地に根を張って実るものだと思うので、イラン人である私は、今後も母国でイラン人のために映画を撮りたい」と涙ながらに話し、国内の窮状を訴えた。これが最後の作品にならないことを祈るばかりだ。(鈴木沓子)
※雑誌「週刊金曜日」(2011.11.25)より転載
「イラン式料理本」
監督、脚本、製作:モハマド・シルワーニ
イラン/2010/ペルシャ語/カラー/72分
配給:アニープラネット
9月15日より、岩波ホール他にて全国順次ロードショー。
公式HPはこちら
カテゴリー:新作映画評・エッセイ
タグ:非婚・結婚・離婚 / くらし・生活 / ドキュメンタリー / 料理 / モハマド・シルワーニ / イラン映画 / 鈴木沓子 / 家事(育児)労働
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