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障がいが個性になる社会 秋月 ななみ
2012.10.04 Thu
発達障害かもしれない子どもと育つということ。2
「障がいは個性だ」といういい方がある。言葉としては美しいが、関係ない人が気軽に発言しているのを聞くと、「そう簡単じゃないのに」と思う。「障がい」という言葉がついているのは、少なくとも何らかの「ハンディキャップ」となるものがあるからだ。もちろんそれはその「人間」についているものではなく、状況についているものである。近視の人間は、もしも眼鏡という補助器具が存在しなければ、ほとんど社会生活が難しい(少なくとも私はそうだ)。眼鏡があり、コンタクトレンズがあり、それらがあって初めて「普通」に暮らせている。それがなければ、「障がい」だ。眼鏡があるからこそ、「眼鏡をかけている顔も私の個性」だと思えるけれど、眼鏡も何もないのに「目が悪いのも、あなたの個性よ!」といわれたとしても、「じゃあ何とかしてくれ」と思うだろう。大事なのは、障がいを個性にすることのできる社会ではないか。
それはさておき。自分の子どもが発達障害ではないだろうか、と親が思うのはどういうときだろうか。私にとっては、生まれてすぐだった。「この子はなんだか他の子と違う」と思った。子育て経験もないけれど、「なにかが変」と思う直感は、抑えきれなかった。生まれたばかりの子どもは本当にすやすやとよく眠り、合間におむつを替え、ミルクをあげれば、あとはまったくといっていいほど、手がかからない子どもだった。
「うちの子は何かが違う。あまりに手がかからないし、目が合わない気がする」。周囲にそう訴えても、義母には「育てやすいのに文句を言うなんて変ですよ」といわれ、母には「インターネットをみたりするからそんなことを考えるんだ」といわれた。実際にはインターネットは、あまり役にはたたなかったけれども。発達障害、自閉症、という単語をいれて検索すると、「うちの子は自閉症ではないでしょうか」という相談にヒットする。そして答えにはたいてい、「大丈夫です。心配し過ぎ。近所に同じような子がいました」、「うちの子どもも同じだったけど、健常児だったから大丈夫」というようなものがある。そういう回答の「他人事感」には違和感があった。
その子を実際にみてもいないのに、「大丈夫」ということなんてできない。「あなたは心配し過ぎ」、「安心させてあげなきゃ」ということの無責任さは、どういう心理からなのだろうかと思った。「こんな症状があるから癌かもしれない」と悩む友人には、「病院に行って検査すれば」というだろう。「大丈夫。同じ症状の人が、この間、癌じゃなかったから! 心配し過ぎ!」といって、本当に癌だったらどう責任をとるのだろうか。そこでいうべき言葉は、「もしもあなたが心配するなら、保健所なり医療機関になりに行って、相談しなさい」なのだ。誰だって相手がショックを受けるような真実を告げる役回りは演じたくないものだ。だが本当の親切とは、相手が穏やかに真実に直面することを、なんらかのかたちで手助けすることではないのだろうか。
発達障害支援センターの人は、「まだ小さいし医師じゃないから、確定的なことはいえないけれど、みた感じは大丈夫だと思うわよ」といってくれた。それは確かに「気休め」ではあったが、どうしようもない状況で聞く気休めと、真実に向き合うことを回避させる気休めは全然違う。後者の場合は、あきらかに不利益が生じる気休めで、無責任な自己満足なのではないかと思うのだ。もちろん善意から出ているのだとは、理解できるのだけど。
なんとか目があうようになり、人より遅く指さしをするようになっても、つねに発達障害の心配をしていた。自閉症には折れ線型の自閉症というのがあり、それなりに発達していたものが、ある日突然「退行」してしまうことがあるというではないか。小さなときから子どもを育てていて、心の底から無条件に「可愛い!」と思えたことは、正直いって最近までなかった。「この子はどうなってしまうんだろう」という心配が、つねに頭の片隅から離れなかった。子育てを満喫できなかったのは、今思うととても残念だ。
グズグズいっている私をみた母に「どんな子だって育てなきゃいけないじゃないの!」といわれて仰天した。私は、障害児だから育てたくないとか、そんなことをいっているんじゃない。発達障害を抱えてこの子が将来苦労しないだろうか、もしもLDで本が読めなかったりしたら、豊かな書物の世界を知ることができないかもしれない――その子の将来の苦労を憂いているのだ。もちろん、障がいを抱えているから不幸だということはできない。けれど、しなくていい苦労はさせたくない、子どもの可能性を精一杯のばしてやりたいと思うのが、やはり親心ではないかと思うのだ。
*注:9月15日にアップされた前回のエッセイにかんして、誤解をあたえる表現があったので、一部加筆訂正しています
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