エッセイ

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人生で最も辛く忙しい日々(フェミニストの明るい闘病記7) 海老原暁子 

2012.10.10 Wed

 父の葬儀を終え、1週間を実家で過ごした私は、術後抗がん剤の再開のため癌研有明病院に舞い戻ったが、まだまだ処理しなければならないことが山ほどあった。弱り目に祟り目とはこのことかと思ったものだが、跡取り長女の私が八方出向かなければならない田舎の事情があり、義理としがらみで死んでしまうのではないかと思うほどの忙しさだった。

 しかも。田舎では「癌」であることは公表できないのである。なんとばかなことかと内心憤っても、周辺が絶対にそれを許さない。私に先んじて嘘をつくものだから、打ち明けようがないのである。10時間近い大手術を受けたばかりの、しかも抗がん剤で白血球が底値になっている人間が、あたかも健康な中年女性のように振る舞わなければならないこの不条理。

 二人に一人が癌になるご時世だというのに、未だに癌になったのは何かの報いであるかのように取りたがる人たちがいることには、愕然とせざるを得なかった。私は地方にルーツをもつ者の一人として地方文化を愛し、因習に囚われているが故の慎ましさや素朴さを愛してもいるのだが、この何でも因果応報で理解する心性だけは理解不能である。そして、この考え方が障碍者差別、女性差別、部落民差別、在日外国人差別、ありとあらゆる差別構造をまったくもってシンプル至極に説明してしまう恐ろしさには、絶句するほかない。そう思うのなら正々堂々と「あたしゃ癌です」と言えばよろしいのだが、余計な軋轢でさらに弱ってしまう選択はできなかった。

 術後抗がん剤はタキソール・カルボプラチンの標準薬剤。1週目に2剤を入れて、翌週翌々週にはタキソールの単剤を入れる。1週休んで再開。つまり1ヶ月で1クールを終えるわけで、順調に推移すれば6クールは半年で終了する。しかし葬儀のあとの忙しさのせいだったのであろう、私の体力はいつまでも回復せず、結局治療再開は11月1日までずれ込んだ。その後もただの1度とて予定通り3回連続で点滴できたためしがなく、結局私は休職期間を延長せざるを得なくなる。以前も書いたとおり、これは個々の人間の持つ体力と体質の問題で、頑張っても数値が良くなることはない。向上心を原動力として頑張って来た私にとっては、ショッキングな壁であった。

 2010年10月、ひとりぼっちの父が西陽のあたるキッチンで大相撲のテレビ中継を見ていた姿が繰り返し思い出されて、私は一人でよく泣いた。大嫌いな父だったはずなのに、どうしてこんなに悲しいのか、自分でも不思議なぐらいだった。抗がん剤のせいかも知れない。ありとあらゆる感染症に対して防御機能が働かず、皮膚炎、水虫、風邪、何でもかんでも感染してしまうので、外出は命がけ。赤血球も底値なので、ちょっと歩いただけで心臓がばくばくしてどうにもならず、電柱につかまって吐くような姿勢でしばらく休まなければ、駅までも歩けない。電車の中でくしゃみや咳をしている人が近くにいたら、せっかく座った座席を立って避難しなければ不安で仕方がない。血小板が下がっているときには、さらに制限がかかってくる。自分が究極の弱者になってみて初めて、強かった私が切り捨てたものが、後悔の余波を伴って胸を衝くのだった。私ってば案外古い人間だったんだな、と嘆息することしきりであった。

番外編:緊急報告 腸閉塞で泣きの涙 親の因果か前世の咎か?!

 連載はまだ2010年の秋をうろうろしていますが、今回はリアルタイムで痛い報告です。開腹手術を受けた人間にとって、いつ襲ってくるか知れない腸閉塞は不気味な伏兵ですが、とうとう私もやられてしまいました。

原生林(天国)

 そもそも2年前の根治術で、大腸小腸合わせて10カ所以上も転移巣の切除を行っていたため、腸閉塞の危険をお腹にいっぱい抱えてはいたのですが、この2年、あまり意識することもなく、基本的には食べたいものを食べていました。揚げ物大好きな私は、かなりの頻度で家でもてんぷらやとんかつを作っていましたし、お腹いっぱいに詰め込んで食べることも多く、私に腸閉塞は起こらないと思い込んでいたのです。

 9月4日、私は友人に教えられた湯河原の養生施設に出向き、半断食プログラムに参加しました。玄米がゆとお味噌汁を朝晩いただき、お昼は人参ジュースだけという食事で、身も心もすっきりしようという目論みです。

 温泉は最高だし自然は豊かだし、大満足で迎えた5日目の夜。なんか変。胃がきりきり痛む。若い頃に胃潰瘍をやって以来、あんまり胃が丈夫とは言えない私でしたが、こんな痛みはめったにない。これはまずいぞと思いつつも、ゆっくりしてれば収まるかな、旅館に救急車じゃ迷惑だろう、と逡巡していたのが悪かった。深夜になって「助けてくれー!!」の大絶叫。のたうちまわってゲロ吐いて、結果としてもっと迷惑をかけることになってしまったのでした。

 救急隊員に「保険証はどこですか」と聞かれて、「そーこーの財布のーなーかー」とかろうじて応えたものの、「はい!お名前仰ってください」に「海老原暁子です!」と妙にはっきり答えたものだから、隊員は?? 保険証には山本暁子と書いてある。旅館からも「海老原さんという宿泊客が」と救急要請が行っており、まったくこんな時に「戸籍名と本名で〜」と説明するはめになってしまいました。ちなみに「旧姓」という言葉は使いません。親が届け出た姓名が私の本名にかわりはないので。

イレウス管(地獄)

 搬送された小田原の病院は野戦病院みたいにワイルドな雰囲気で、あっという間にブスブス点滴が刺され、はいCT、はいレントゲン、そしてこれが最悪でしたが、はいイレウス管。かなりの太さのある固い管を鼻から小腸まで挿入して、サイフォンの原理で中身を吸い出す腸閉塞の定番治療法です。やり直しがあって泣きを見たというのに、3日たっても効果が出ませんでした。

 その間、絶え間なく襲う激痛に文字通り七転八倒し、繰り返し嘔吐し、そのせいで体力がどんどん失われていきました。飛んできた亭主と妹が、「あれだけ我慢強い彼女が唸ってる、これはまずいんじゃないか」と、枕元でひそひそ話しています。点滴の痛み止めでは到底足りず、頻繁に痛み止めの筋肉注射をしなければ、息もできないほどの痛みのために意識が朦朧となり、このまま死ぬのかな、とさえ思いました。実際、腸閉塞で死ぬ人はけっこういるのだそうです。

 やがて、担当してくれた医師がありがたいことに、癌研に行け、と言ってくれたのでした。抱え込まず、手に負えないことを正直に表明してくれたことに心から感謝しています。

 さて、民間救急車というありがたいシステム(値段的にはぜんぜんありがたくない、妹がこの商売始めようかと言ったほど高かった)のおかげで、点滴をつけたまま癌研に移動したのが13日。その日のうちに緊急手術とあいなりました。すでに2度切っているお腹の、同じところをもう1度開けることになったわけで、麻酔から醒めればデジャブよろしく、また集中治療室、ドレーンだらけ、酸素マスク、足には間歇収縮バッグと、振り出しにもどってしまったのでした。とほほ。いつまで持つかわからない命の貴重な1ヶ月を、また病院で過ごすことになってしまった・・・

 ちなみに今回切り取った部位の写真を見たところ、二つ折りにした長いソーセージに無理矢理指輪をはめたようにきつきつのバンド(癒着で生じる)がはまっていて、バンドの下部に折り曲げられて首つりになってしまった部位は壊死寸前だったとのこと。その、約30センチを切り取って捨てたのです。ああもったいない。私はそもそも日本人の標準よりかなり腸が短いのだそうですが、前回の手術と今回の30センチで腸はさらに短くなってしまったのです。

 特に小腸を失うと栄養の摂取に支障がでるため、今後は積極的に消化が良くて栄養価の高い食物を食べるようつとめなければならないとのこと。食事と生活に関して一から勉強やり直しになりそうです。疲れると腸炎を起こし腸閉塞を誘発するそうですから、主治医にワーカホリックと指摘されている私としては、ゆっくりすることに全力を傾注しなければならないようです。

 さて、ちょっとコワイけれどおもしろいエピソードを披露しましょう。小田原の病院で同じ部屋に高齢の女性がおられました。彼女は修験道の修行をした尼僧です。看護師さんたちが私のためにベッドのセットをしている時から、「ご先祖さんがずいぶん心配してる人が入ってくるな」と感じていたとか。そして、私がストレッチャーで運び込まれるときに、「仏さんが沢山ついてきた」のだそうです・・・・・

 彼女は若いときからいろいろなものが「見えて」しまって大変な思いをし、山に籠って修行をして、霊のノイズにさらされずにすむようになったのだそうですが、それでも強い霊感のせいでいろいろな体験をするのだとか。「仏さんがいっぱい」の下りで、不謹慎な私は阿弥陀如来の一行が音楽を奏でながらお迎えにきてたんじゃないかと思ったりしたのですが、そのあとは何だかあったかい気持ちになりました。いとこの中で最年長の私だけが知っている曾祖母(いつもきんつばを買ってくれた)や、父母双方の祖父母や、なつかしい両親や亡くなった妹などが私にわらわらついてきてくれたのかと思えば、こんな心強いことはありません。思わず両手を合わせてしまったのでした。

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カテゴリー:フェミニストの明るい闘病記

タグ:身体・健康 / 海老原暁子 / 闘病記 /

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