エッセイ

views

3969

休職期間延長・本格的な療養へ(フェミニストの明るい闘病記9) 海老原暁子

2012.12.10 Mon

 1年半も仕事を休むなんて。休職期間延長の手続き後、私はしばらく落ち込んだ。友人たちは私を気遣って、さまざまなやりかたで元気づけようとしてくれた。中高、大学の同級生、昔の職場の仲間、ママ友、勤務先の同僚から、ありとあらゆる贈り物が届いた。手作りのミサンガやお守り、美しい写真集、アロマオイル、色とりどりの千羽鶴、料理本、私の好きな漫画、山芋のすり流し!そして同僚からは病人にワイン(笑)、病室で美顔マッサージをしてくれた友もいる。学生の有志は若者らしい見事なセンスで、写真をコラージュしたメッセージ集を編集して送ってくれた。私みたいな人間をこんなに応援してくれる人がいることに戸惑いつつも、ただ嬉しくありがたく、恩返しは精一杯生きることでしかできないと月並みだけれど心の底からそう思った。

 進行した癌は完治しないと言われている。寛解の状態をどれだけ保てるか、QOLを一定水準に保ちつつ、可能な限り普通の社会生活を送ることが闘病の目標になる。私は必死だった。2011年4月、桜は入学式までもつかな、新入生はどんな子たちかな、と絶え間なく職場のことを気にしながら、私は9月末の復職に向けて抗がん剤後の療養計画を立て始めた。

 夫は4月から1年間の予定でカナダのUniversity of British Columbia で在外研究に入る。私も夫に合わせてサバティカルを取る予定を立てていたのだった。いろいろなことがおじゃんになり、サバティカルの代わりに病気休職ということになったわけである。夫は在外研究を返上すると言ってくれたが、頼むから予定通り行ってくれと説得した。夫の仕事までおじゃんにするわけにはいかない。

 問題は息子であった。長女は結婚して家を出、次女は遠方の大学院に行っている。思春期の息子と2人きりというのは、健康体でも難儀なのである。抗がん剤治療を受けながら、高1の息子と煮詰まる事態は避けなければならない。私たちは息子をカナダに送り出すことにした。夫の住むバンクーバー郊外でホームステイをさせることにしたのである。息子にしてみればまさに晴天の霹靂で、いやだいやだと騒いだが、最後は諦めた。どれだけの負担を強いることになったか、今思うと気の毒になるが、その時はそれが最良の選択だと信じて心を鬼にした。

 3月末に2人が出発すると、ああせいせいするわい、と解放感も感じたが、薬でフラフラの時にゴミ出しや食事の支度や掃除洗濯、来客の対応など、全て一人でこなすのはやはり大変である。夫も息子もそれなりに役に立っていたのだなあ、とちょっぴり感謝した私であった。

  紆余曲折はあったが、丸1年以上を費やした抗がん剤治療が5月末にやっと終了した。骨髄をはじめ、身体はまさにボロボロである。主治医は、復職までの数ヶ月を極力ゆっくりと過ごせと繰り返した。腸を10箇所もつぎはぎしたため排便のコントロールが非常に難しく、外出にはパンツタイプのおむつをしなければならないことや、眉毛、睫毛まで完全に抜けてしまっているため、どう繕っても普通の顔ではないなど、仕事に集中できるようになるまでには相当な時間が必要だろうと自分でも感じていた。主治医の町田医師は、日本の猛暑に一人で耐えている必要はない、家族のいるカナダで涼しく気持ち良く治療の仕上げをしろと、英文の紹介状を書いてくれた。

UBCの森にて

 夫がバンクーバーに滞在することが決まったあと、私はカナダ関連の本を数冊読んだのだが、桐島洋子がバンクーバーを紹介する趣旨でものした美しいグラビア本の一節に引きつけられた。それは、日本で余命半年を宣告された末期癌患者の男性が、人生の最後をカナダの大自然の中で迎えようと移住を決意し、原生林を毎日歩いているうちに、すっかり癌が消えてしまったというエピソードである。癌患者はこういう話しにヨワイ。私も原生林を歩こう、もしかしたら完治の夢が叶うかも知れない、と思うわけである。私は胸に複雑な思いをたくさんかかえてカナダに飛び立った。そしてこれがやがて職場での大問題に発展することになる。

豆知識:代替療法その4 転地療養

 若い頃、スウェーデンで研究生活を送った医師の友人がいます。日照時間の短いかの国では鬱病を発症する人が多く、療養のために健康保険が転地療養をカバーするのだそうです。多くの人が数ヶ月をスペインで過ごし、すっかり元気になって戻ってくるのだとか。

 日本における転地療養の位置づけはどのようなものなのでしょうか。どうも諸外国とはかなりニュアンスの違う受け取り方をされているようです。日本には湯治という立派な転地療養概念が古代からあったにも関わらず、ベルツ博士に指摘されるまでその医学的有効性を近代科学の視点でとらえることがなされず、そうなったらなったで、今度は富裕層の難治性疾患患者のためのサナトリウムなど、高額医療の先駆けのようなカテゴリーに分類されていくわけです。

 資生堂を興した福原有信は館山の出で、東大でベルツに学んだ川名博夫という医師に娘を嫁がせ、彼が館山に開いた館山病院に出資していたそうです。銀座の資生堂ビルには館山病院の営業所があったというのですから、転地療養が一部のお金持ちのためのものだったことは間違いないでしょう。その伝統は近年まで連綿と続いていたように思えます。何せ遠隔地まで出かけて長逗留というのは、お金がなくてはできません。このあたり、ルルドの泉への巡礼など、治癒祈願の旅が転地療養にかぶっているヨーロッパの伝統と比較すると面白い考察ができそうです。

ジェリコビーチの野ウサギ

 近年、森林浴の治療効果が医学的に実証されつつあり、本来の意味での転地療養が森林療法として定着しつつあることは驚くにはあたりません。私も穂高で行われた森林療法のワークショップに参加しましたが、精神科のドクターに導かれて森を歩き、樹林気功という一種の体操を教わりながら、心身ともに蘇生していく感覚を身を以て味わいました。知的障害をもつ子どもたちを森林で療育する森林療育という実践があることも知ったのですが、子どもを育てる森の力について、私には教師として忘れられない思い出があります。

 短大生数十人をつれて、沖縄に平和学習キャンプに行った時のことです。任意参加とはいえ単位になるからやってくる学生も多く、事前学習では居眠りばかり、沖縄の歴史も悲劇も何も学ばずに旅行気分で浮かれている一部の学生を持て余していたある日、米軍基地問題を考えさせるために現地のガイドさんと一緒にやんばるの森へのミニツアーを行いました。「ここから先は歩きです」とガイドさんが言ったとたんに、車内はブーイングの嵐。彼女たちのお尻をたたいてバスからおろすと、足首の腱鞘炎で山道が歩けなかった私だけがバスの中で1時間待つことになりました。

 文句たらたらで降りていった学生が、1時間後戻ってきた姿を見て、私は心底びっくりしました。ぶーたれた膨れっ面が、いかにも19才の若者らしい清々しい美しさに輝き、瞳がキラキラ好奇心に燃える、まさに命の盛りの若者になって帰ってきたのですから。何のことはない、1時間森を歩いただけなのです。森の空気が彼女たちの本来持っている生命力を刺激したのでしょう、あれは私にとって本当に驚きの体験でした。転地療養の効能とは、海や山の自然の力で生命力を刺激する、日常生活の煩わしさから逃れて気分を新たにする、といった複数の要素が組み合わさることで、免疫力が大きく上がるということなのでしょう。

 加えて、私は女性の病気に転地療養がいかに大切かを強調したいと思います。

 家事労働から解放され、となり近所の目を意識せずに済み、夫や子どもの世話でキリキリカリカリすることがなければ、それだけでどれだけ治療効果があがることか。子どもの宿題の面倒を見ながら天ぷらを揚げ、洗い物の山をやっつけながら宅急便に応え、洗濯物を畳みながら回覧板に目を通し、風呂場の掃除をしながら息子に明日の時間割をそろえるよう怒鳴り声をあげ・・・そして夕飯の後片付けを終えて、やっとこ自分の翌日の仕事の準備をする日々。常に気を張り、常にイラつき、常に走り回っている。これじゃ病気はなおりません。

 フェミニズムが、主に女性によって担われる家事労働こそが生産労働の不可欠の前提条件であることをいくら謳っても、再生産労働に対価が発生したことはいまだかつてありません。結婚を選んだ時点で、専業主婦だろうが働くかあちゃんだろうが、あらゆる家事労働に専従することも同時に選んでしまうのです。私もそうでした。おまけに、私が「不機嫌権」と呼ぶところの権利の行使が圧倒的に夫に篤く保証されているカップル文化の中で、妻は自分の感情をすなおに相方にぶつけることから生じる夫の不機嫌権行使を避けるために、日々の生活の中で常に自分を低く見積もる保身術を駆使することを余儀なくされます。家事を行う者が我慢をする、この構図は夫と同業の私にもやはり当てはまっていたのでした。身体だけでなく、心の健康も損なう素地はいつも女の側に十分用意されているのです。女は日常生活に少しずつ殺されていく、そんな思いに囚われたこともありました。そんな私に、転地療養は涙が出るほどありがたいオプションだったのです。

 カナダにももちろん生活があります。どこに行っても洗濯物は出るし、一日3食外食というわけにもいきません。それでもカナダでの3ヶ月は本当に本当にリフレッシングでした。UBCの一部になっている原生林を毎日1時間歩きました。鼻が敏感になって、フィトンチッドの濃い場所がわかるようになってきます。癌の再発防止に運動が非常に有効であるとの論文を友人が送ってくれたこともあり、私の原生林散歩は単なるエクササイズではなくなりました。9月から以前と同じように働くための準備、つまり仕事の一部になったのです。

 連載「フェミニストの明るい闘病記」は、毎月10日に掲載の予定です。この連載の以前の記事は、以下でお読みになれます。

http://wan.or.jp/reading/?cat=46

次の記事はこちら

カテゴリー:フェミニストの明るい闘病記

タグ:身体・健康 / 海老原暁子 / 闘病記 /