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坂上香監督の“トークバック”製作ノート(3)

2013.07.14 Sun

坂上香監督の“トークバック”製作ノート(3)

私はバカじゃない!

                                                坂上 香(ドキュメンタリー映画監督)

自分は気違いだと思ってた。自分は他の惑星から来たモンスターだと思ってた。それで4、5人が集まっておしゃべりするなかでわかったのが、自分達の惑星は地球であり、自分達の家族は刑務所だったってこと[1]

                      ドロシー・アリスン(小説家)

 現在制作中の映画「トークバック 女たちのシアター」(仮題)は、サンフランシスコの女性短期刑務所で生まれたマージナルな(周縁を生きる)女たちの劇団「メデア・プロジェクト:囚われた女たちの劇場(The Medea Project: Theater for Incarcerated Women) 」についてです。2006年、私はこの劇団に「アーチスト・イン・レジデンス」という肩書きで関わりました。メデアは数ヶ月かけて刑務所の中でワークショップを行い、アーチストと受刑者のコラボレーションによってオリジナル作品を作りあげていくのです。今回は前回(2)に引き続き、当時つけていたフィールドノーツを参考に、映画企画に踏み出す前の助走段階を綴ります。

*****

 2006年8月10日、メデア・プロジェクトのワークショップに参加する初日。午後3時過ぎ、私は新しい世界に足を踏み入れる時のドキドキ感と、心細さの入り交じった複雑な気持ちで、少し早めにダウンタウンのはずれにある刑務所に向かいました。

 KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA待合室には私が一番乗り。まだ誰もおらずガランとしていました。時折面会や出所者の出迎えとおぼしき人が出入りするぐらいで閑散とするなか、壁面のポスターが気になりました。向かい側の壁には、いかにも悪そうな男女のマグショット(逮捕された人が番号を胸に掲げて撮る証明写真)や刑務所内部の写真が大写しにされた再犯防止を呼びかける6枚。右手の壁面に目をやると、DV(ドメスティック・バイオレンス)予防の二枚組のポスター。これまた悲惨で、一枚目は目に大きなあざを作った哀しげな女性が正面にむき、その奥には加害者と思われる男性が頭を抱えて座っています。二枚目は少年がつかみかかって殴り合うポスター。両方にかかっているキャッチコピーは「これが男になるために必要なことなのか?」

 いずれもインパクトはあるものの、啓発ポスターなるもの、どうしてここまで陰湿で絶望的にする必要があるのか?DVの被害者がこの場に居たら、フラッシュバックを起こしてパニックを起こしてしまわないか。加害者が見たら自分の素行の問題に気づくのだろうか?そもそもこのポスターは誰をターゲットにしているのか?そんなことをつらつら考えていると、短パンをはいた大学生風の若い白人の女性が息を荒げ、顔を赤らめて入ってきました。

 アナという名のその女性はメデアに関わるダンサーの一人で、職場から自転車で駆けつけたといいます。数年前にメデアの上演を一般の劇場で見て惚れ込み、知人を介して代表のローデッサ・ジョーンズにつなげてもらい、ようやく関わることができたと嬉しそうです。私が日本からやって来たということには少々驚いた様子でしたが、メデアに関われるということはラッキーだと納得したようでした。

 メデアは基本的にボランティアです。アーチスト達は他で生計を立てています。アナは食料品店でのアルバイトで何とか食いつないでいて、11月の上演まではメデアを中心とした生活を送るようでした。ダンサーとしての向上心からヨガやベリーダンスなどのレッスンも欠かせないので経済的に苦しく、ルームメートを増やして住居費を節約するつもりだといいます。出会ったばかりの私に「ルームシェアする気ない?」と真顔で迫ってきた時はさすがに吹き出してしまい、思わず「子連れで母親付きでよければ」と返してしまいました。

 私は当時、京都の大学で専任教員という安定した職についていました。大学からは調査費ということでまとまった助成金をもらい、夏休みだけ「アーチスト」を名乗ってサンフランシスコに滞在していたのです。3歳になったばかりの息子と世話係の母親を連れて、事前にネットで探しあてた東海岸近くにある、セキュリティのしっかりしたマンスリーマンションに滞在していたのですが、アナの話を笑いながらも、実は私自身の「恵まれた環境」に後ろめたさを感じていました。と同時に、アナのように生活を犠牲にしてでも関わりたいと思わせる何かがメデアにはある、と確信したのでした。

 当時メデアには、10数名のアーチストが関わっていました。ヒップホップ・ダンサーで振付師、高校の美術の教員、ヨガのインストラクター、演劇を通した社会変革を研究しているという大学院生、学校の事務職についている脚本家、プロのコスチュームデザイナー、公務員兼俳優まで、実に様々な背景を持った多ジャンルのアーチストたちです。人種も、白人、アフリカ系、ラテン系、フィリピン系、インド系と多様です。そのうち二名は、刑務所で服役中にメデアに出会った卒業生です。全員が集まる頃には待合室は騒然とし、最初のガランとした空間とは全く別の空間に感じさせられます。

 ローデッサは、彼女達のようなアーチストの存在がメデアには欠かせないといいます。なぜなら受刑者にとってアーチストは、同伴者であり、ロールモデルであり、シスターであり、時には代弁者であるからだと。

 今まで周囲とまともな関係を築けてこなかった多くの受刑者たちにとっては、アーチストとの出会い自体が「未知との遭遇」です。アーチストには元受刑者が含まれているといっても、シャバに身を置き、それなりに安定した生活を送っている現在の彼女達の姿は、受刑者にとっては「異界」の人に映ります。立場、生活環境、経験、学歴、職歴等全てが異なる両者がすんなりと関係を築けるわけはなく、受刑者からアーチストが信頼を得られるようになるまでには時間やプロセスが必要です。一方、アーチストのほうにも、受刑者に関する先入観や偏見が多々あり、そこがほぐれていくまでには同様に、時間もプロセスも要します。

 演劇やアートという行為は、こうした両者の距離を縮めるのに多いに役立ちます。たとえば、メデアの活動の基本は、参加者が自らの体験について詩や絵を書いたり、身体を使って表現することです。たいていの場合、受刑者、アーチストに関係なく、そこにいる全員が参加します。ここでの私の役割は、映像で彼女達の記録をすることでしたが、機材を持ち込まない日や撮影をしていない時は、体操や踊りに駆り出されることも多々ありました。罪を犯した女性たちも、受刑者の目には恵まれて見えるアーチストも、実は様々な差別や偏見に苦しめられていたり、虐待やレイプなどの暴力の被害にあっていたりします。詩の朗読、絵画、歌、身体表現などを通して、お互いについて知り、共通点を見出していくことが可能になるのだと思います。

 受刑者の中には、書いた文章があまりにも生々しく、自分で読み上げることができなかったり、身体で表現できなかったりすることがあります。そんな時は、ローデッサを初めとするアーチスト(他の受刑者も含む)が代わりに読み上げたり、身体を使って表現したりします。自分では読めなかった自分の文章が、表現できなかった動きが、他者によって表現される時、受刑者は少し距離をもって自分の体験を見ることができるのです。そうすることによって、今まで自分と一体化していた痛みや哀しみといった感情を、少しずつ身体からはがし(離し)、表出させていくことができるのだと思います。

 私が滞在していた間にも、そのような場面が何度かありました。全く一言も読み上げられない人から、途中で声を出せなくなってしまう人、なかには皆の前で自分の文章が読み上げられること自体を拒絶する人もいました。ローデッサは書き手本人の意志を尊重し、合意を得たうえでアーチストや他の受刑者に朗読をさせたり、ダンサーに身体の動きで表現させたりしていました。ある受刑者は大勢の前での朗読はできないけれど、別の場所で朗読を録音して皆に聞かせるならかまわないといい、ホールの片隅にあるトイレのなかで録音したこともあります。言葉にはできないけれど、絵、歌、もしくはダンスでなら表現できるという人もいました。

 また、こんなこともありました。受刑者の一人が朗読をしている最中に、誰かがハミングを奏で始めたのです。それに連なるようにして、手拍子や足踏みやかけ声があちこちから起こり、気がつくと全員が身体を使って何らかの表現をしていました。中学生の時に見た「フェーム」という映画(ニューヨークの音楽学校が舞台)を彷彿とさせるもので、私は鳥肌が立ち、その場で涙が溢れてきました。

 その時、撮影機材を持って入っていなかったことを、私はどれほど恨めしく思ったことでしょう!

*****

 ある日、ローデッサは紙とマジックを参加者に配りながら、次のように言いました。

 「自分は人からどう思われていると思う?一つだけ紙に書いてみて」

 たくさんあり過ぎて選べないと悩む女性もいましたが、たいていはすぐに書き終わりました。

 バカ、売女、アバズレ、ブス、デブ、キモイ、ぶりっこ、ヤクチュウ、ドロボー、ジャンキー、母親失格、おしゃべり、クソ、役立たず…..。否定的なイメージが床を埋め、前向きなものが一つもないことに私は胸を突かれる思いがしました。

 そして、なんとローデッサはその紙を胸に張れというのです!戸惑いの表情を見せる人、へらへらする人、無表情で胸に紙をはる人、とその反応もいろいろでした。ホールの両端に半分ずつ分かれて一列に並ぶようにとの指示を受け、女性たちはゆっくりと壁のほうに向かいました。

 気がつくと、白い紙に書かれた卑語を胸に、オレンジのジャンプスーツを着た女性たちがホールの両壁を埋めています。待合室のポスターや映画でよく見かけるマグショットのようでもあり、なんとも屈辱的な印象を受けます。正直、カメラをまわし続けることが苦痛に感じられました。私があの中にいたら、絶対撮られたくない。ただ、そんなことを感じながらもカメラを切らなかったのは、その先に何かあるはずだと信じたかったからだと思います。

 ローデッサは、一列に並んだ女性たちに、反対側に向かってホールを歩いてみるようにと言いました。見知らぬ女性たちとすれ違うように振る舞う。そしてすれ違う瞬間に、相手の胸に書いてある否定的な呼び名を相手に投げかけろというのです。女性たちは戸惑いながらも言われたとおり、すれ違いざまに相手の胸をのぞきこみ、「バカ」とか「売女」とつぶやきました。すると、ローデッサの大声が飛んできました。

 「ちょっと、ちょっと、自分のシマにヨソ者がうろついてんのよ!そんなヤワな言い方しないんじゃない?」

 確かに。皆うなづいていますが、どう振る舞っていいのかわからないといった表情を浮かべています。ローデッサは「アバズレ」と書かれた受刑者の手前に立ち、見本を見せようとしました。すれ違う時、相手の肩すれすれに顔を近づけ、挑発的な眼差しで一瞬フリーズ。そして「このアバズレ!」と吐き捨て、肩すかしを食わせて立ち去ったのです。悪意さえ感じられ、身震いが起こりました。言われた受刑者も黙っておらず、ローデッサに向かって「このアマ!」と言い返し、ホールじゅうがドッとわきました。

 すれ違いのワークの次は、自分の胸に書かれた呼称を打ち消すワークです。

 「私はバカじゃない!私はバカじゃない!私はバカじゃない!」

 何度も声を張り上げて宣言した後に、受刑者は胸の紙を自らはがします。心底そう思って言えているか。ただ言わされているだけではないか。説得力がない。響いてこない、とローデッサは容赦なく何度もやり直しをさせます。逆に、思いが強く伝わってくると、「その調子!」「いいね!」とあちこちから自然に声もあがります。

 最後は、他人に思われたい、呼ばれたいと思う言葉を書き、読み上げるというものでした。これにはかなり時間がかかりました。皆なかなか思いつかないようでした。ペンをにぎったまま固まってしまう人、ペンを弄ぶ人、周囲をのぞきこんでばかりいる人…..。

 ローデッサが見かねて見本を示しました。一人の受刑者にジリジリと詰めより、「私は単なるアバズレじゃない!」と目で刺すように言ったかと思うと、突然、上目遣いに切り替えてこう続けたのです。

 「セクシーなアバズレよ!あんた、ホントはわかってるくせに」

 大爆笑です。皆、身体をよじりながら笑っていました。自分や他人の思い込みを逆手にとり、ユーモアを交えた彼女の対応はさすがです!受刑者を取り巻くストリートのリアリティも十分感じられ、私も笑いながら感動したものです。ローデッサも皆と一緒になって笑いながら、両腕を自分に引き寄せて叫びました。

 「申し立てなさい!自分の思いを申し立てるのよ!」

 ローデッサが刑務所でワークをし始めた1980年代末、彼女は受刑者の自尊心の低さに驚かされたといいます。彼女達の大半が、心の底から自分のことを否定しているのです。単なるジャンキー、売女で恥ずべき存在、社会のクズ、厄介者、堕胎し損ねの望まれない存在、生きる価値のない女….。

 今回紹介した自分のイメージをめぐる少々手荒なワークは、そんな受刑者に向けて「あなたには価値がある」というメッセージを伝えるためにローデッサが編み出した手法の一つです。しかし、長年刷り込まれてきたこの囚われから自由になるのは、容易なことではないということも、彼女は承知しているのです。

                (続く)

*  ****

お礼とお知らせ

Motion Gallery(ネットによる寄付)は7月12日に無事終了しました。

おかげさまで目標金額の110%に到達しました。皆さん、ご協力ありがとうございました!

なお、映画完成後のPR活動費がまだ不足しています。

お気持ちのあるかたは、引き続き下記のサイトを通してご協力お願いします。

トークバック応援団HP:

http://outofframe.org/talkback.html

Facebook Outofframe:

https://www.facebook.com/outofframenpojp?ref=hl

写真のキャプション:

米国で巡回展示が行われているアート展Interrupted Life:Incarcerated Mothers in the United States(キュレーター Rickie Solinger)におけるInside/Outsideのコーナーの展示作品。親や友人に刑務所服役者がいる十代の子どもたちが、アーチストとコラボレーションをして刑務所をイメージして描いたもので、これはマグショットを撮られている女性と、順番待ちをしている女性を描いた絵画。




[1] Allison, Dorothy. 1993. Forum III: Self-Revelation:The Art of Rewriting Personal History. pg.108. Critical Condition: Women on the edge of Violence, edited by Amy Sholder. San Francisco: City Lights.

カテゴリー:新作映画評・エッセイ / 坂上香監督の“トークバック”製作ノート

タグ:貧困・福祉 / セクシュアリティ / 身体・健康 / 坂上香 / DV・性暴力・ハラスメント / LGBT

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