2013.08.10 Sat
「日本食レストラン」が、もてはやされる一方で…
今、バルセロナは空前の日本食ブームだ。「Restaurante Japonés=日本食レストラン」の看板を出している店は、ゆうに200は超えていると聞く。私が知る限り、この10年で、おそらく10倍以上に増えていると思う。
ところが「日本食レストラン」だから、日本人が作っているのかと思えば大間違いなのだ。巷では、腕の良い日本人の料理人さんたちが実際に調理しているレストランは、全体の1割程度にすぎないといわれている。
それ以外の大半は、ほとんどが中国人が経営する、「日本食レストラン」もどきなのだ。彼らが日本風に調理したメニューを、私たち日本人が食べると、実に奇妙な食べ物だと感じずにはいられない。
なかにはきちんと日本料理の修行を積んだ調理人が働いているところもあるだろうが、正直なところ、私は良心的なこの手のレストランに入ったことがない。
いかにも美味しい日本食を提供しているかのごとく、純和風に装飾された看板と店構え…。私の場合、たまたま入ったレストランでは、「天ぷら」を頬張ると、口角が切れそうなくらい固かったり、見かけだけは和風にアレンジされていても、食べてみるあきらかに中華料理の味がした。中華料理に徹してくれれば、それで十分に美味しいと思うのだが、残念ながら、どっちつかずの奇妙な味付けが多いのだ。
この間、バルセロナの繁華街から、流しのタクシーに乗った時、運転手さんは私がどこの国の人間かをたずねてきた。私が日本人だとわかると、いきなり「日本食」の素晴らしさを熱く語りだした。しかしよく聞いてみると、生粋のカタルーニャ人である彼は、日本料理と中華料理の区別がよくわかっていない。
商売上手、マネることに関しては恐ろしいほどの才能を持つ、たくましい中国人のみなさんは、こうした彼らの味覚と曖昧な知識を見事に利用し、堂々と「Restaurante Japonés=日本食レストラン」と看板を出して営業しているのだ。
別に日本人以外のひとが、日本食の専門店を出して悪いわけではないが、少なくともそれなりの味は提供すべきだろう。
「日本食は、ほんとうに素晴らしい。健康的だし、家族全員、大好物なんだ」
運転手さんは、野菜を多く使った料理や、魚料理、そしてご飯があれば、その店は「日本食レストラン」だと認識しているようだった。
先日、仲良しのY子さんと話をしていて、彼女の失敗談を聞いて驚いた。
バルセロナの中心地で、彼女は思いがけず、「回転寿司」の看板を見つけた。思わず入ったその店に一歩足を踏み入れた途端、一瞬、違和感を感じとったらしいが、店のつくりは日本にある「回転寿司」店にそっくりだったそうだ。
もし、日本人以外のひと(=おそらく中国人)が作っているとしても、それなりのものは出てくるとふんだに違いない。ところが、回ってくる寿司を見ると、日本人が寿司ネタと認識するものとはちょっと違う。食べた途端、やたらに甘い魚や、食べても具材が何かがよくわからない味がする。寿司と呼ぶにはあまりにも程遠い食べものだった。
コテコテに脂っこく味付けされた不思議な具がシャリの上にトッピングされた「寿司」には、さすがにまいってしまい、バスケットボールの選手として活躍している現役高校生の息子さんといっしょだったというが、大食家の彼も、さすがに4皿食べただけで、気分が悪くなってしまったというのだ。「食べ放題」だったにもかかわらず、早々に店を出たふたり。後悔することしきりだった。
私ならともかく、Y子さんは結婚を機にバルセロナに移住し、大手企業勤務の経験を経て、通訳などの仕事をこなしている才女だ。裏を返せば、そんな彼女が思わず入ってみたくなるほど、実に雰囲気のある「回転寿司」の店構えであったのだ。
このように頭脳明晰の彼女でも、失敗することがあるほど、あやしい「日本食レストラン」が乱立しているのが、バルセロナの現状なのである。
「お寿司」や「天ぷら」という言葉は、いまやインターナショナルに使用され、多くのスペイン人も知っている。それだけに、きちんとした「日本食レストラン」だと一目瞭然でわかるようなシステムを、早く公的に作ってほしい。スペインは、ワインだってはっきりと産地証明書が、ボトルの裏に貼られている国なのだから。
今年の夏のバカンスは、フランス旅行をした彼女からは、パリではこうした「**もどき」ではないことを証明する表示が、各レストランの入り口にあると聞いた。
レストランやカフェでもアートを楽しめるのが普通
まじめに「日本食レストラン」を経営し、一生懸命に働いているひとたちのためにも、誤解のないようにいっておきたいが、私は日本人以外の外国人が経営する店は、みんな紛い物だと決めつけているわけではない。
この夏、私はバルセロナ市内の3カ所で「書」の作品を発表させてもらう機会を得たが、そのひとつが「日本食レストラン」だった。「畳ルーム」というお店で、キッカケを作ってくれたのは、バルセロナに在住し、Webデザイナーとして活躍する一方で、イベントの企画やコーディネーターを手掛けるKさんだった。
「畳ルーム」の1階にはカウンター席とテーブル席があり、地下にも広い座敷がある。このレストランの石造りの壁面を目いっぱい使って、好きなように作品を展示できたのも、彼女の交渉力と、事前に展示可能なスペースをどれだけ有効に使えるかという打ち合わせができたことが大きい。彼女の提案で、スカイプ(無料のインターネット通話)を使って、ディスカッションも重ねたのだが、インターネットがこれほど発達した時代だからこそ、実現できたのだともいえる。
実際にこの店に行ってみると、夜はほとんど予約で満席状態らしく、客層は友だちや家族で来ているひとたちの姿が目立つ。
会社を出ると同僚と一杯飲みに行くことが多い日本社会とは違い、彼らはプライベートの時間まで、仕事仲間と過ごすようなことはほとんどしない。彼らが楽しんでいるのは、友達や愛する家族との時間なのだ。
この店の経営者はイギリス人だが、優秀な日本人の板前さんと、気の利く日本人女性も働いている。あとはスペイン人と、南米やロシアから来たという移民の従業員がいて、まさにグローバルシティ、バルセロナを象徴するような店だった。
ちなみに「畳ルーム」に限らず、レストランやカフェで画家や写真家の作品を展示し、販売も行っているところは、バルセロナではめずらしい光景ではない。
「畳ルーム」以外にも、安心して日本食が食べられるレストランを、私は何軒か知っているが、知人のE子さんは、そのひとつの店で働いている。まさしく日本美人!と呼ぶのにふさわしい端正な顔立ちの彼女は、接客中心だが、時には厨房に入って調理もする。
幼い子どもをふたり育てながら、週に40時間以上働く彼女は、夫婦共稼ぎであっても、それくらいがんばらなければ、バルセロナでの諸物価の高騰に対応できないのだという。
経済の低迷が続いているスペインで、仕事を掴むのが難しいのは、大都市のバルセロナも同じだが、「日本人の場合は、日本食レストランで働くという手がありますからね。ほかの外国人よりも、ずっと有利なんですよ」とつぶやいた。
彼女の働く「日本食レストラン」の経営者は日本人で、従業員は日本人とイタリア人。だが、日本人とイタリア人の仕事に対する責任感には、雲泥の差があるらしく、閉店後に、飲食店ならではの後片付けが残っていても、さっさと帰ってしまうのが、イタリア人。
文句もいわず、彼らの分までせっせと仕事をこなし、その日のうちにやるべき事は見事に完結させるのが、日本人。経営者側にしてみれば、これほどありがたい働き手はないわけで、大半の日本人が持つ性分というか、いい加減なことはできない気質の賜物だろう。
彼女の例からもわかるように、「日本食レストラン」が繁盛していることで、日本人の雇用が生まれ、それによって生計を立て、バルセロナで暮らしていけるというひとたちも結構いるのである。
数年前、あるテレビ番組で、「寿司職人は、世界のどこでも生きていける」と聞いたことがあったが、日本食を提供できる料理人さんたちは、健康食ブームの波にのって、今後ますます世界のあちこちで活躍の場を拡げていくことだろう。
日本食ブームの陰に、健康意識への高まりがある
ところで、日本のテレビに映し出されるスペイン人女性は、惚れ惚れするような美形の持ち主が多い。はっきりとした目鼻立ちに、黒髪。豊かなバストを強調する洋服の着こなし…。彼女たちは10代そこそこで、男性を惹きつける自己アピールの方法をすでに体得している。
スペインにサッカー遠征でやってきた高校生たちが、若い女の子たちのあまりにも魅惑的な容姿に、目のやり場に困って落ち着かなかったという話は、私の身近で、最近聞いた話題でもある。
しかし、羨望に値する見事な容姿を保っている女性たちは、だいたい20代前半ぐらいまでで、結婚し、出産を経験するといっきに変化を遂げていく。街を歩いていると、どう考えても「この方は、飛行機のエコノミークラス席には座れそうもない…」と思ってしまう、立派な体格のセニョーラが圧倒的に多いのだ。
しかも、その三段腹は、ぴったりとした洋服のせいで、ほとんど隠されることがない。日本人なら、「お腹の出っ張りが目立たない、素敵なデザイン!」というのが商品のPRになるが、ここはスペイン。三段腹がくっきりと浮き出ていようが、そんなことにはおかまいなく、自分が着たい物を着るだけなのだ。三段腹の現実を、さほど嘆くことなく、「ありのままの自分」を出して、おしゃれをしている。体重や体型、容姿に対する脅迫観念が、きっと日本ほど強くないのだろう。
食べることが大好きなスペイン人は、3度の食事に加え、昼食前と夕方に軽く食べることから、「一日5回の食事をする」といわれる。夕食が夜の10時前後と遅いことから、たくさん食べてしまうと、どうしてもからだに脂肪がつきやすくなるのも確かだ。
しかし、もっとも問題なのは、砂糖の使い過ぎにあるような気がする。最近でこそ、コーヒーを注文すると、砂糖が2袋添えられてくるだけが、ほんの数年前までは、3袋も受け皿にのっているのがあたりまえだった。その3袋を、1杯のコーヒーに全部入れて飲む姿を見て、私はどれほど彼らが甘い物好きであるかを実感した。
朝食も甘いパンとコーヒーですませるひとも多く、午前中のバル(BAR)には、たっぷりとチョコレートなどがのった甘いパンが並んでいる。
スイーツ類の甘さもかなりのもので、日本でいう「程よい甘さ」は通用しない。日本人の私からすれば、頭にカキ~ンとくるほど甘いお菓子を彼らは「美味しいお菓子だ」という。
以前、日本通のカタルーニャ人青年が、来日してはじめて、「和菓子と渋いお茶」の組み合わせや、甘いケーキを食べる時には、コーヒーや紅茶をストレートで飲む日本人の感覚を知り、その繊細さに驚いたと聞いたことがある。
日本料理がそうであるように、甘さの調節や、ほどよい風味というのは日本人の得意とするところで、この味覚と感覚が今、世界で認められているといってもいい。適度に甘い料理のおかげで、食後に甘いスイーツを必ず食べるという習慣がないのだと私は思う(日本でも、必ず甘い物が食事の最後に必要だという女性もいるが…)。
7月中旬、先述した「畳ルーム」に展示された私の作品を見るために、4人のカタルーニャ人と、スペイン語が超堪能な日本人女性=M子さんの合計5人友達が来てくれた。
今回の作品には、スペイン語の意味も小さく書き込んでいるため、「書」を絵画のように見る彼女たちも、作品の意味や意図がよくわかったと感想を伝えてくれた。
午後7時に集まった私たちは、その場で、赤ワインのフルボトルを2本空にし、それから、そのなかのひとりの友人宅で夕食を共にするために移動した。
そこではM子さんが腕を振るった料理が用意されていたのだが、このとき彼女たちがどれほど、和風のテイストが好きなのかがわかった。M子さんは料理教室の先生でもあることから、プロフェッショナルであることに違いはないのだが、盛り付けの美しさや、素材のバランスの良さに関心しきり…といった感じであった。
小鉢料理をつまみに、またワインを2本空にした後、ちらし寿司をいただく。食後に出されたのは、たっぷりと白い砂糖がかかった甘いパイ。それからまた新たに赤ワインの栓がぬかれ、生ハムや、チーズが登場した。会話は絶好調で、すでに時刻は午前0時だ。
「セツコの瞼が閉じかかっている!!」と、ひとりの友達がいったとたん、私はもうギブアップ。子どもを見つめるような優しい眼差しの彼女たちを尻目に、ベッドに潜り込むことにした。
その後、午前2時までおしゃべりで盛り上がったというから、きっと食べ続けていたはずで、彼らの胃袋の強靭さは半端ではない。そして、7時間連続で喋りつづけても、疲れない底なしの体力!
結局は、太ってしまうことなど、人生にとって、なんでもないってことか…。
人生は楽しむためにあるのだから、ね。
カテゴリー:スペインエッセイ
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