2013.08.14 Wed
沖縄戦を生きのびた二人の女性 玉城福子
女性国際戦犯法廷から10年。今年の冬は、各地で法廷を振り返るイベントが開催され、市民グループも「今年こそは立法解決を!」と活動に力が入っている。この機会に「慰安婦」問題の関連書籍を読んでみようかな、と思っている方に、私が特に影響を受けた二人の女性に関する数冊の書籍を紹介したい。
沖縄では、戦争末期、日米の地上戦を睨んで軍隊が配備されるのに伴って「慰安所」がのべ数136か所設置された(図1.「沖縄の慰安所マップ」:出典「第五回全国女性史研究交流のつどい報告集」1994年収録 ※報告集の段階では、のべ数131とされていたが、その後の古賀徳子や日韓共同「日本軍慰安所」宮古島調査団らの調査でいくつかの訂正あり現在136となっている)。
「慰安婦」にされたのは、朝鮮人女性、沖縄人(ウチナーンチュ)女性、大和人(ヤマトンチュ)女性、台湾人女性であるとされる。数として最も多かったのが、就労詐欺で連れてこられた朝鮮人女性、次に多かったのが那覇の辻遊郭の沖縄人女性。大和人女性と台湾人女性についての情報は少ない。「慰安所」は、住民の目から離れた場所に設置されることもあったが、地域によっては民家や公民館など地域住民の近くに設置されることもあった。
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.『赤瓦の家』(1987年、筑摩書房)は、沖縄で「慰安婦」にされた女性として最も有名であろう朝鮮人女性のペ・ポンギさんのライフヒストリーである。彼女は、日本の植民地政策によって困窮する朝鮮の貧しい農家に生まれた。成人した後、よい仕事があるとだまされ渡嘉敷島に連れてこられ、「慰安婦」にさせられる。強制集団死(集団自決)が多く起きた島として知られる渡嘉敷島で戦争を体験し、戦後は沖縄島の町から町を転々とした。その後、故郷の朝鮮へ帰ることなく那覇市で亡くなった。フリーライターである川田文子さんが何度も彼女を訪ね信頼関係を築き上げる中でこの本は生まれた。興味深いのが、ペ・ポンギさんの声、彼女と関わりのあった人々の声、そして川田さんの声が重ね合わせられている点である。さらに、当時の時代背景とペ・ポンギさんの見たものが丁寧に記述されており、まるで、朝鮮、日本、沖縄をペ・ポンギさんと一緒に放浪している気持ちになっていく。
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.『辻の華―くるわのおんなたち―』(1976年、時事通信社)『辻の華 戦後篇 上』(1989年、時事通信社)『辻の華 戦後篇 下』(1989年、時事通信社)は、辻遊郭の遊女であった上原栄子さんの自伝である。いずれも絶版になっていたが、最近『新編 辻の華』(2010年、時事通信社)が出版された。上原さんは、4歳の時に那覇市の辻遊郭に身売りされる。辻は伝統的には女性のみで組織されている遊郭で、元遊女である抱え親と疑似親子を結び、子どもたちは厳しく芸や礼儀をしつけられる。彼女は、1944年の那覇の大空襲で辻遊郭を焼かれ、「慰安所」へ行くこととなる。その後、激戦地を逃げ惑い、捕虜となる。米兵に強姦されたことを示唆する記述もある。戦後には、彼女は辻遊郭を再建しようと奮闘する。彼女の自伝には、沖縄の伝統として遊郭が持ち上げられる一方、そこで生きる困難さも滲んでいる。また、彼女の自伝は、女性国際戦犯法廷の中で日本人「慰安婦」の被害を示すものとして取り上げられたが、実際に自伝を読んでみると沖縄の女として生きた彼女を留保なしに「日本人」と括ることの暴力性にも気づく。
私が「慰安婦」問題に取り組むようになったのは、小学校の低学年から高校までを沖縄で育ったにも関わらず、大学に進学するまで沖縄に「慰安所」があったことを「知らなかったこと」に衝撃を受けたからである。大学や調査先で、「沖縄人なのだから、現在の基地問題なのをやってはどうか」と言われたことがあった。そうした言葉には、「慰安婦」問題は、沖縄人の問題ではなく、現在の問題でもないという前提が見え隠れする。しかし、その前提は間違っているだろう。
女性国際戦犯法廷の判決文の中で、「性暴力の被害者である女性たちの苦痛が、自らの地域社会に帰ったときに人々から拒否されることで一層ひどくなるということであった」と指摘されている。ペ・ポンギさんは故郷に帰ることなく沖縄に留まり、上原栄子さんは辻遊郭について雄弁に語る一方で、「慰安所」に関することは数行しか記述していない。なぜだろうか。また、多くの元「慰安婦」が沈黙を守っているのはなぜだろうか。彼女たちが恐れているのは何だろうか。日本軍や日本政府の責任の追及が大事であることは間違いないが、「普通の人」の当たり前の偏見や差別の問題についても考える必要がある。
私は、沖縄人として、そして、現在の問題であると思うからこそ「慰安婦」問題に取り組んでいる。それに気づかせてくれたのもこれらの著作である。もちろん、読む人の数だけ、無数の気づきと様々な感情が生まれるのではないだろうか。法廷から10年。今、改めて、「事実」を証明するための言葉=証言としてではなく、女性たちの言葉に耳を傾けてみたい。
なおこの記事は、2011年1月8日にアップされた記事の再掲です。