エッセイ

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20年間の水曜日 8月は、日本軍「慰安婦」問題=軍事性奴隷制度を考える月に ⑩

2013.08.24 Sat

去る7月31日大阪歴史博物館にて開催された、「慰安婦」問題に関するシンポジウムに参加した。「韓国挺身隊問題対策協議会」常任代表である尹美香(ユン・ミヒャン)が韓国で昨年公刊した『20年間の水曜日』が、梁澄子さんの翻訳で、日本でも刊行されることになったことを記念したシンポジウムでもあった。

尹さんが本書の「はじめに」で書いているように、昨年2010年は韓国で日本軍「慰安婦」問題の解決を求めて「挺身隊問題対策協議会」(略して挺対協)が結成されて20年という年であり、そして今年は、日本軍「慰安婦」として世界で初めて金学順(キム・ハクスン)さんが、被害事実について勇気をもって告発されてから、20年を迎える。

学順さんが、胸が張り裂けそうになる、と言いながら、胸の奥にずっと閉じ込めてきた過去を語り始めたのは、それまで日本政府が繰り返してきた、慰安所は民間業者が経営していたことで、軍、ひいては日本政府にはいっさい責任がない、といった発言にいてもたってもいられなかったからだ。45回目の終戦記念日、韓国にとっては、大日本帝国からの解放を祝う光復節の前日に、学順さんは、世界に向かって声を挙げた。

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.それから20年。91年わたしは、「慰安婦」問題を留学先で初めて聞き、それ以降、日本社会が抱えるさまざまな問題のなかで、もっとも深刻な問題として自分なりにできることはなにかを考えてきた。しかし現実には、過去20年にわたる様々な活動、とくに10年前の国際女性戦犯法廷に代表される市民の運動にも関わらず、社会全体からみれば、すでに問題は風化し、日本社会は彼女たちから投げかけられた呼びかけに応えることなく、なんら反省することなく、先の見えない未来へと無謀にも足を踏み出してしまったようにもみえる。

そんな思いもあって、シンポジウムに向かう途上は、なんとも暗い気持ちであった。しかも、本シンポジウムには妨害が入ることが予想されていた。事前にネットで検索すると、本当に姑息で陰湿な呼びかけをしている。わたしは、多くの参加者の一人となって、どんな妨害にも負けないような市民の態度には、どのような態度が相応しいのだろうかと考え、かなり身構えていた。地下鉄から会場まで歩いていけないんじゃないか、開場時間よりずっと早く行くべきだったのではないかと、地下鉄から地上に上がるさいには、本当に緊張した。

しかし、広い会場までは、炎天下の中、会場整備の方が誘導してくれ、なんの混乱もなく受付を済ますことができた。大きな驚きは、すでに約300名定員の会場は満員で、多くの方は2時間半のシンポジウムの間、ずっと立って聞かなければならなかったほどの参加者がいたことである。もちろん、20年の運動を振り返る会にしては小さいと思われるかもしれないが、さまざまな逆風が吹き荒れるなか、それでも、これだけの人が集まったことには、望外の喜びがわたしにはあった。

シンポの冒頭、すでに亡くなられている被害者の方々の写真とともに、哀悼の時間がとられた。なにもできない、不甲斐ない自分の無念さと、自分に被害の様子を語り続け、最後に「こんな話を聞いてくれてありがとう」と笑顔で証言を締めくくった、何人もの記憶の中にあるおばあさんの顔を見て、悔しさと悲しさと、そしておばあさんたちが見せてくれた尊厳の尊さに、胸が熱くなった。みなで起立して捧げた黙とうは、おばあさんたちに、ありがとう、という言葉と、やはり、ごめんなさい、と心の中でつぶやかずにはいられなかった。

黙とうの後には、大変貴重な金学順さんの証言を含む映像をみることができた。初めて、学順さんが暮らしていた2畳半の広さという、お部屋でのインタビューの様子を見た。一人で小さな部屋で暮らす彼女が、公開の場で声を発することを決意するまでの葛藤は、いったいどれほどのものだったのだろうか。

その後、尹さんのお話が始まった。先ほどまで、暗い気持ちを払拭できなかったが、彼女の話には、「20年という歴史は希望の歴史」という主張が込められていた。たしかに、ソウルにある日本大使館前で、92年から始めたハルモニたちとの「水曜日デモ」は、当初の冷たい反応から、今や高校生たちが集いに来るほどの、未来の世代にも届く声となった。ハルモニたちは自分たちで絵を描いたりすることで表現者となり、また同時代の多くの問題に対しても発言することで、人権活動家、平和運動家となり、わたしたちの多くを逆に励ましてくれた。さらに言えば、女性に対する戦時性暴力に対するアカデミックな議論にも、彼女たちの証言は多くの貢献をもたらした。

そして、この20年間の韓国社会の変化は、おそらく、ハルモニたちの存在を抜きには語れないほどなのだ。

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著作『20年間の水曜日』もまた、ハルモニたちと、ハルモニを支える同世代の尹貞玉(ユン・ジョンオク)先生たちが、どれほどのメッセージを若い世代に伝えてきたか、そしてその言葉が多くの若い世代に受け取られてきたか、といった希望にあふれた本となっている。美香さんのお話は、運動をこれまでずっと続けてきた方々には、大きな労いと勇気を与えてくれる言葉であったに違いない。

最後は、方清子(パン・チョンジャ)さんの司会で、女性史研究者の藤目ゆきさんと、在日朝鮮人「慰安婦」被害者、宋神道(ソン・スンド)さんの裁判支援を中心に活動を続けられてきた梁澄子(ヤン・チンジャ)さんのパネルディスカッションがあった。

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.ヤンさんからは、これまで支援者として、そして、証言の通訳者としての活動を通じて分かり得た、被害者たちの証言の意味することが語られた。かつて被害者の証言が時と場所によって変化することを非難・批判する声があったが、それがいかに、甚大な人権侵害の被害者にとっては的外れな見解であるかが、説得力をもって語られた。

また、そうした被害者の立場を理解し得ない無責任な批判が、学順さんはじめ、多くの被害者たちの声を次第に奪っていくという、彼女たちが受けた理不尽な二次被害についても、多くを教えられた。当然ながら、「慰安婦」被害といっても、女性たちが被った被害の在り方はさまざまであり、その傷の違いから、彼女たちの証言の様子、支援者たちとの関係も違ってくるのだ。

藤目さんは、歴史研究者として、学順さんのカム・アウトがもたらした衝撃について触れられた。確かに、自分を振り返っても、資料のように「歴史」として〈読む〉過去の出来事と、目の前に、同じ時間を生きている彼女たちから発せられる出来事の重みはまったく違う。それは、決して過去ではなく、わたしたちが生きる社会の問題だと気づかせてくれるからだ。

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藤目さんが教員として、若い世代にどれほど、歴史を学ぶことの意味を伝えられているのか、と真摯に自問された姿には、本当に心を打たれた。歴史には、わたしたち自身が現在を問い返すことを求める力があることは理解できても、それを他人とどう共有できるのかについては、自分でもうまく説明する言葉が見つからないからだ。それは、藤目さんが指摘されたように、人権を踏みにじる、破廉恥な言葉で人を傷つける言葉が、一般には受け入れられ、通っていく日本社会では、大きな悩みなのだ。

シンポジウムに参加する前は、本当にどう前を向いて歩いていいか分からないほど、整理のつかない暗い気持ちであったが、梁さんが最後に、それでもわたしたちが獲得してきたことがある、と力強くおっしゃっていただいたことに、少しだけ、前を向ける気持ちになった。梁さんは、「日本社会の市民たちは、それでもむしろ、被害女性たちの声に傾ける耳をもってきたのだ」とおっしゃられた。わたしも20年、それでも、こうしてなんとか彼女たちの声を誰かに届けようとしている。ここでくじけちゃいけないな、無力こそが、わたしにも「ありがとう」といってくれた、ハルモニたちを裏切ることになるな、ともう一度力を出そうと思った、そんなシンポジムだった。

来る2011年12月14日(水曜)、ハルモニたちの水曜日デモは、第1000回目を迎える。

シンポジウム写真については、主催者の方の承諾を得て掲載しています。

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http://www.jca.apc.org/ianfu_ketsugi/

なお、この記事は2012年8月2日に掲載された記事の再掲です








カテゴリー:団体特集 / 慰安婦問題 / シリーズ

タグ:慰安婦 / 戦時性暴力 / 軍隊性奴隷制