エッセイ

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「家政婦さん」に頼るのは贅沢?~スペインエッセイ連載 第7回目  中村設子

2013.11.10 Sun

 スペインの中流家庭では、家政婦さんを雇うのはふつうのこと

 スペイン人女性は、家の中をとてもきれいにしている人たちが多い。私が今まで訪ねたお宅では、リビングが雑然としていることはほとんどなく、キッチンはピカピカに磨かれ、レンジが汚れていることなどありえない。

スペインの一般的な家庭では、セニョーラたちは初めて自宅に招く客に対して、子ども部屋から夫婦の寝室、さらには洗面所にいたるまで、家のなかをすべて案内し、見せてくれる。

それが、来客に対してのマナーであり、「あなたを信頼していますよ!」という意思表示でもある。家の中を見れば、その人の生活スタイルや生き方感じることができるし、互いの距離がぐっと近くなる気がして、私にとっては嬉しい慣習だ。

 夫が60代で、妻が20歳も若いあるお宅など、食器棚はもちろん、各部屋の窓ガラスも、床もピカピカで、手垢ひとつなかった。極めつけは、ホテルのように美しくベットメーキングされた寝室で、おしゃれなクッションや小物がアクセントとして置かれ、そのまま雑誌の撮影ができそうな優雅な雰囲気に、目を見張った。よくもまあ、みんなこんなにきれいに掃除をする時間が取れるのだと、私は感心してばかりいた。

 ところが、今から10年ほど前、カタルーニャ人夫妻のピソ(マンション)の一室をお借りすることになったときのことだ。この家に間借りしてみて、通いの家政婦さんが週3回やってくることがわかった。いち日おきに毎回3時間、何種類もの洗剤やモップを使って、家中を徹底的に掃除していた。

しかも、こうした慣習は特に裕福な家庭に限ったことではないということにも驚いた。

私がお世話になったお宅のセニョーラは、専業主婦なのだが、自分で掃除はほとんどしない。夫は外資系企業に勤めているし、子どもはインターナショナルスクールに通っていたが(当時は小学生)、ごく中流の家庭だ。

 専業主婦は時間があっても、掃除をしないですむ社会・・・なんだかうらやましかった。その時間、彼女は自分の自由な時間が過ごせるのだし、ホコリまみれになることもない。

家政婦さんを雇っているのは、よほどの資産家か、芸能人のような高額納税者のイメージがある日本社会とは、ずいぶん事情が違うのだ。

 だが、彼女はこの5年後に離婚をし、シングルマザーとして、働くことになった。夫が外に恋人をつくり、家を出てしまったからだ。彼女はそのことで悩み、げっそりとやせてしまったけれど、私には、

「いつでも自分の家だと思って、泊まっていいのよ」

といってくれる優しい女性である。

離婚の際、自宅の権利は彼女が得ることになったが、家政婦さんを雇うことはできなくなった。再就職したばかりの彼女ひとりの収入では、支出がきついからだ。

日本では、家事を手助けしてくれる人もいなければ、ひと息つける場所も時間もない!!

 もちろん、生活にある程度の余裕のある家庭がすべて、家政婦さんを雇っているわけではないが、私の知る限り、ほぼ安定した収入のあるお宅の多くは、通いの家政婦さんの力を借りている。

週末は友達の家で、食事に招かれることが多い(バルセロナで)

週末は友達の家で、食事に招かれることが多い(バルセロナで)

この夏、小学校の教師をしているカタルーニャ人の女友達の家で、私は何度も食事をご馳走になったが、あるとき、彼女も家政婦さんに、週3回、掃除をしに来てもらっていることがわかった。

「そうしないと、とてもフルタイムの仕事なんて、やってられないわよ!!」

彼女は学校の仕事を終えると、自宅で夕食をとるまでの時間に、スポーツジムに通い、ダイエットに励んでいる。しかも、教師という職業柄、長い夏休みの間、教員も2カ月半ほど、仕事がオフとなる。スペイン国内を旅していて、知り合いになった人たちに教員が多いのは、彼らには安定した収入があり、長い休みか取れるからである。会社勤めのひとでも、夏には1ヵ月のバカンスをとるスペイン。休めるときには休み、家族と過ごす時間をしっかりと確保している社会だともいえる。

 よくよく考えて見ると、特に都市部で、中流家庭以上では家政婦さんを雇う慣習が根付いているスペインでは、同時に、家政婦さんの雇用も産み出している。バルセロナでは、多くのアフリカから移民の女性が、家政婦さんとして働いていることも多い。アジア系の人たちでは、フィリピン人が目立つが、彼女たちは、英語を上手に話せることから、子どもに英語の力をつけさせたいと願っている教育ママたちに好評だと聞いている。

 スペイン人の友達と一緒に食事をしていて、仕事のやり方や労働時間の話になると、彼女たちは、必ず目を見張って、

「セツコ、早く日本を脱出して、スペインで暮らしたほうがいいわよ!」

と力説される。日本人は働き過ぎだといわれるのには慣れているが、確かにスペイン人から見れば、異常に見えても不思議ではない。

 私は今、短期で請け負った仕事で、某地方自治体が発行する印刷物の制作(=下請け会社のディレクター)をフルタイムでしている。昼食時は、パソコンの画面を見ながら、持参したお弁当を10分で、口に放り込み、定時の午後6時に帰れることはほとんどない。

 今日は13時間も働き続けた・・・という日も珍しくないのだ。子どもがある程度、手がかからなくなったからやれるものの、幼い子どもを持っていたら、とても無理な仕事だ。

 玄関には何日分になるのか、わけがわからなくなった郵便物が山済みで、洗濯カゴも富士山のようになっている。遅い夕食だけはなんとか、自宅で食べているが、夜10時、塾で勉強を終えた子どもと食卓を囲む時間だけが、唯一の家族との団欒で、ほっとする時間だ。

 あと、数ヶ月、この仕事をなんとかがんばって、生活費はもちろん、支出が増える一方の子どもの教育費を稼がなければ・・・という気持ちが強い。また、収入を得られる仕事が、なかなか確保できなかった期間のつらさを思うと、労働条件はさておき、仕事があるだけでもありがたいと思ったりもする。

スペイン風オムレツ「トルティージャ」と生ハムがあれば、ワインもすすむ

スペイン風オムレツ「トルティージャ」と生ハムがあれば、ワインもすすむ

 だが、スペインで暮らす友達のように、週末の金曜日、友人たちを招いていっしょに食事をする時間も、夜遅くまで騒いでおしゃべりを楽しむ体力もない。休日出勤をなんとか免れ、休みが取れた日は、家のなかでただぐったりとしている。からだを休めるのが精一杯で、大好きなヨガも、このところずっとサボっている。

 最近、よく「ワーク・ライフ・バランス」=仕事と生活の調和という言葉が、盛んにつかわれるが、それは正社員で安定した企業に働く人たちに対しての言葉で、私のような、立場が不安定な人間はどうバランスを取っていけばいいのだろう。

 また、正社員の女性であっても、残業があるのが当然という、労働環境が大前提のような日本の企業では、家庭を持つ女性は、常に仕事との両立にあえぎ、無理を重ねて働き続けているように思う。これではワーク・バランスどころか、精神のバランスも崩しかねない。

 家事を助けてくれる「家政婦さん」もいなければ、日常的に子育てや仕事の悩みを打ちあけ、協力し合えるような地域社会もない。これでは母親がゆったりとした気持ちで子どもに接することは難しい。必ず、どこかにひずみが必ず生まれてくる。

 日本だって、何十年も前は、「電気食洗機」なんて、贅沢!と思われる時代があった。だが、今では働く女性にとって、はなくてはならない存在になっている。国民性も違うだけに、スペインの慣習をすべて日本人の私たちが真似すべきだとは思わないが、家庭を切り盛りしながら働く女性が、自分のからだばかりを酷使しないで、家庭生活がうまくまわっていくよう、「家政婦さん」の力をかりてもおかしくないのではないか。

 リタイアした人たちの中には、子育て世代の役に立ちたいと思っている女性も多いような気がする。誰かの役に立つことで、新たな人とのつながりができ、自然と心が通う人間関係も生まれる。そうしたことから、地域でのつながりや、帰宅が遅い母親を待ちながら、「孤食」になってしまう子どもたちを救うことにもなるように思う。

 最近の私は、電車のなかで見かけるお母さんたちの表情が、険しいのが気になって仕方がない。

仕事帰り、気さくなBARのオーナーと話がはずむ。夕食の準備をする前の息抜きにもなり、一日の疲れが吹き飛ぶ

仕事帰り、気さくなBARのオーナーと話がはずむ。
夕食の準備をする前の息抜きにもなり、一日の疲れが吹き飛ぶ

カテゴリー:スペインエッセイ

タグ:くらし・生活 / 家事労働 / 主婦 / スペイン / 中村設子

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