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『ハンナ・アーレント』を見る前に 岡野八代

2013.11.29 Fri

わたしの住む京都では、11月30日(土曜)から京都シネマにて、『ハンナ・アーレント』が公開されます。

映画を見る前に、ということで『京都民報』11月24日版に掲載されました、映画についての記事をここに再掲いたします。

ハンナ・アーレント メイン

ドイツ系ユダヤ人女性ハンナ・アーレントは(1906-1975)、20世紀を代表する政治思想家の一人である。1933年ヒトラー率いるナチス政権誕生後、パリに逃れるものの、40年にはアーレント自身もピレネー山麓にあったギュルの抑留キャンプに連行された。しかし彼女は、混乱に乗じて運よくキャンプを脱出し、41年に合衆国へと亡命する。

本映画は、アーレント・ファンにたまらない情報に溢れている。マンハッタンの書斎の雰囲気(机の上には最愛の夫、ブリュッヒャーの写真とともに、ハイデガーの写真が飾られている)や、マンハッタンに集う亡命ドイツ知識人と煙草とともに楽しむ論争、そして、思想家として活躍し、思索に耽る側ら、夫を慈しむアーレントから、有名なアーレントの公私二元論について考えさせられる。アーレントの講義を聴く学生のまなざしからも、この人たちは後に活躍するアーレントのあの教え子だろう、などとついつい細部に見入ってしまう。

また、主演であるバルバラ・スコバがすばらしい。彼女がたばこを持つ姿、ドイツ語なまりの英語、のっけからアーレント色満載である。

ここでは、映画で初めてアーレントに出会う人のために、映画をさらに楽しめるよう、映画の背景となる彼女の思想を簡単に紹介したい。とりわけ、映画最後の圧巻である「思考することDenken/ Thinking」に関する八分もの講義シーンが、なぜ聞く人をここまで魅了するのかを少しでも伝えることができれば幸いである。

ハンナ・アーレントサブ6アーレントは、当時哲学界に彗星のように現れたハイデガーに魅了され、大学で本格的に哲学を学び始める。ハイデガーは、『存在と時間』(1927)という長大で難解な大著を記した20世紀最大の哲学者であると同時に、33年にはフライブルク大学の総長に就任し、就任講演でヒトラー賛美をした廉で戦後はその責任を問われることになる。18歳のアーレントが35歳のハイデガーと恋愛関係にあったことは、現在の思想界では有名であり、当時も学生たちの間では周知の事実だったようだ。反ユダヤ主義を前面に出すヒトラーを、「思考の王国の隠れた王」(アーレントは彼を後にこう呼んでいる)であるハイデガーが批判できなかったそのナイーブさが、本映画でアーレントが「思考すること」とは何かを考える上での大きなモチーフとなっている。

アーレントを合衆国で一躍有名にしたのは、1951年に公刊された大著『全体主義の起原』の衝撃である。アーレントにとって、全体主義の経験は彼女がユダヤ人女性として世界から抹消されたかもしれない経験であり、かつ、ドイツ哲学を中心に最先端の哲学に親しんできた彼女には、ヨーロッパ哲学の伝統の破綻を意味した。彼女は、ユダヤ人の歴史を根こそぎしようと、実際に600万人ものユダヤ人を殺戮した全体主義を、「前代未聞の体制」と呼び、そうした政治体制を可能にしたのはなぜかを、反ユダヤ主義、帝国主義を分析することで明らかにしようとした。その後、彼女を政治思想家として、合衆国初の女性哲学教授へと導いたのは、『人間の条件』(1958)である。

映画でも、いかにもタフなアーレントが、夫ブリューヒャーに暖かいまなざしを向け、どんなに仕事が忙しくても彼を世話しようとする姿がでてくるが、『人間の条件』は、公的な領域と私的な領域を峻別することの重要性を説くという、現代のフェミニストたちにとっては少々やっかいな政治理論書である。たとえば、彼女の生涯の友人となる編集者のメアリー・マッカーシーとのやりとりのなかに、ある意味で頑固な保守主義者であるヨーロッパ人女性アーレントの一面を見ることができる。

ハンナ・アーレントサブ3彼女にとって、家族は私的領域であり〈選べない〉、公的には隠されてあるべき関係である。その一方で、「友人」は、開かれた公的領域において、共有する関心事をめぐって、自由に議論を闘わせる関係にある。喧々諤々の議論は、関心を共有しているという、むしろ喜ばしい経験である。何かに関心interest があることを、人との間にあること(inter 間にest ある)とアーレントは考えた。

アイヒマン裁判のレポートをめぐって、論争することは喜びであると分かち合っていた長年の友ブルーメンフェルトから自らの考えを拒絶されるアーレントの苦悩は、したがって彼女の思想の核心を揺るがすほどのものだったに違いない。アーレントこそじつは、アイヒマンが悪魔のような人間であればどれだけ救われたか、と思ったのではないか。しかし、本映画で示される思考は、〈分かりやすさ〉や〈自分が知りたい〉ことではなく、自らを裏切らないことの大切さと同時に、自らに誠実であることの困難さを示している。

アイヒマン裁判のレポートを通じて、共にある、という喜びを分かち合う友人を失うことすら恐れずに、自らの思考の働きに忠実であろうとしたアーレントに、危機の時代に必要な人間の営みとはなにかを、現代のわたしたちは問い返されているのだ。

『ハンナ・アーレント』
10月26日(土)より岩波ホールほか全国順次公開
©2012 Heimatfilm GmbH+Co KG, Amour Fou Luxembourg sarl,MACT Productions SA
,Metro Communicationsltd.
配給・宣伝:セテラ・インターナショナル 宣伝協力:テレザ+VALERIA
ホームページ www.cetera.co.jp/h_arendt

全国の劇場情報はこちらから http://www.cetera.co.jp/h_arendt/theater.html

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カテゴリー:新作映画評・エッセイ

タグ:映画 / 岡野八代 / アーレント