2013.09.21 Sat
1986年に「ローザ・ルクセンブルク」というそのものずばりの名前をタイトルにして歴史上名高い革命的な女性政治活動家を映画にしたフォン・トロッタ監督はまたも歴史上名高い政治哲学者の名前のタイトル映画を作った。
前作には、投獄後虐殺されるローザの波乱万丈に富んだ生のドラマがあるが、ハンナはナチを逃れ、米国に亡命したのちさまざまな議論を呼ぶ著作で有名だが、それらは政治思想/哲学論なのだから人口に膾炙するほどのものではない。聞いて驚いたものだ。「へえ、どうやってそんな人の映画作成が可能になったの」と。
しかし一言ですませれば、非常に見ごたえのあるすばらしい映画に仕上がっている。見逃してはなるまい。
ドイツに住むユダヤ人のハンナは、学生時代、世界的に著名なM・ハイデッカーやK・ヤスパースに学ぶ。やがてナチが台頭し、パリに逃れるが、そこで「敵性外国人」として抑留収容者所に拘束されたのち、この時に夫となるブリュッヒヤーとともにアメリカに逃れる。のち『全体主義の起源』の著作で知られ、大学にも招聘され、作家メアリー・マッカシーという親友にも恵まれる。ちなみにメアリーを演じたのが、「アルバートの人生」で女性を愛する男装の女性を演じた長身のイギリス女優、ジャネット・マクティアである。蛇足ながらこれも必見の映画だ。
話を戻そう。ハンナは、1960年、アルゼンチンの路上で、元ナチスの高官、アドルフ・アイヒマンがイスラエルの諜報機関によって逮捕され、翌年エルサレムで裁判にかけられることを知る。映画は実はこの逮捕ドギュメントシーンから始まり、衝撃的だ。ハンナはニューヨーカー誌に寄稿することを約束し強く傍聴を望む。この経緯を主にして物語は推移していく。
イスラエルにわたったハンナは旧友や、ナチの援護者だったハイデッカーと再会。そして裁判でハンナが知ったのは、アイヒマンが悪魔や妖怪ではなく、礼儀正しく、ナチスの官僚用語繰り返す人間であることだった。「自発的に行ったことは何もない」「善悪を問わず、自分の意思は介在しない」「命令に従っただけ」と。このような人間には、動機もなく、信念も悪魔的な意図もなく、反ユダヤ主義ですらない。
人間であることを拒絶した者。2年後、ハンナは苦悩の末ナチ大量虐殺を「悪の凡庸さ」とニューヨーカー誌に書く。
雑誌には、ナチスに協力したユダヤ人の存在もあぶりだされていた。
発行後、ハンナは、アイヒマン(ナチ)を擁護していると受け取られ、ユダヤ人たちのみならず世界からの反発と激怒は轟々とわき、手紙、電話は鳴りやまない。またイスラエル政府からも身体的脅しを受ける。
大学からは辞職を勧告され、友人たちにも見放される。しかし、ハンナは毅然としてひるまない。
どこからあのような勇気をくみ取ってくるのだろうか、と感嘆。
ハンナは教鞭をとった大学で、まさしく血のにじみ出るような素晴らしい最後の講義をする。
「悪の凡庸」となずけた現象の説明および決してアイヒマンを擁護していない、理解と許しは別ものであること。
「ソクラテスやプラトン以来、私たちは《思考》をこう考えます。自分自身との静かな対話だと。
人間であることを拒否したアイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。それは思考する能力です。その結果モラルまで判断不能になりました。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。私が望むのは、考えることで、人間が強くなることです」。
悪は決して根源的ではありえない。根源的なのは善のみと。
なんとうなずける解釈・理解であろうか。
そうか、かつての第二次世界大戦に突入した日本も、決して賢人たちが仕掛けたわけではなかろう。
賢人たちは、戦争が敗戦で終わることを予知していた。しかしそんなことを言いだせるフインキではなかった、従って先の戦争はフインキから出発したと喝破したのは、山本七平(『空気の研究』)さんである。空気自体には考える能力がない。
別の見方をしてみよう。たとえば、猟奇/残虐/大量殺人者の犯行動機を裁判やメディア等は言挙げするが、そんなものはわからないのである。少なくとも言語で表現するには。悪は凡庸でなおかつ説明不可(アイヒマンのように)なのである。被害者側が動機によって殺害された事実をなんとか理解したいと思っていることはよく理解できる。
が、人間の実存そのものは説明しつくせない。この実態を「心の闇」と名ずけるなら、それもよかろう。
しかし、「闇」の解明の試みなどなどは不可能なことだと評者は思っている。
ハンナが名ずけた「悪の凡庸さ」は、この心の闇を掬い取る明白な断片と言いうる。
どうか、お見逃しのないように。
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制作:2012年 ドイツ・ルクセンブルク・フランス合作
タイトル:ハンナ・アーレント
主演女優:ハンナ・アーレント(バルバラ・スコヴァ)
主演男優:ハインリッヒ・ブリュッヒャー(アクセル・ミルベルク)
監督:マルガレーテ・フォン・トロッタ
脚本:パメラ・カッツ/マルガレーテ・フォン・トロッタ
写真のコピーライト:©2012 Heimatfilm GmbH+Co KG, Amour Fou Luxembourg sarl,MACT Productions SA ,Metro Communicationsltd.
10月26日より東京神保町の岩波ホールにて上映。全国順次ロードショー
カテゴリー:新作映画評・エッセイ
タグ:仕事・雇用 / 憲法・平和 / 河野貴代美 / 女性監督 / フォン・トロッタ / ドイツ・ルクセンブルク・フランス合作