2014.03.13 Thu
がんのお姫様—転んでもタダでは起きないの巻
がん患者が一番気にする「5年生存率」。最近になって、起点がどこなのかを初めて知った。手術を含む初回の治療の終了時からカウントが始まるらしい。私の場合は「癌です」と言われてから根治術を受けるまでに9ヶ月もかかったため、なーんだ、今でもまだ3年半しか経っていないことになるらしい。ちょっとがっかりである。診断が下ってから丸5年目に入った今年のお正月、私は「もうすぐ5年生存率クリア!」と喜んでいたのだ。
昨年(2013年)10月に、再々発治療が終了し、これでしばらくは普通の生活を送れるだろうと思っていた矢先、終了後1ヶ月の検診ですでに腫瘍マーカー右肩上がりで、主治医は「気にならなくはない」と苦しいコメント。翌月、翌々月とマーカーは順調に上昇し、また遠からず抗がん剤漬けの日々が始まることが確実になった。とはいえ、前回の治療から半年たたずに再び治療開始ということになると、「前の薬が奏功しなかった」と見なされるため、同じ薬は保険がきかなくなる。こうやって使える薬が減って行き、同時に再発と再発の間隔が短くなっていって、患者は最後を迎えることになる。卵巣がんステージⅢCの患者の辿る大方の道筋である。
がしかし、私は泣きくれる暇もない生活に突入してしまっていたのだ。上野千鶴子さんが『女たちのサバイバル作戦』の第12章に書いておられる「一人の個人や一つの組織に自分の運命を預けず、ダブルどころかトリプル、クワドプルのマルチプル・インカムソースが望ましい」を地でいくことになったのである。
私はがんで退職するまで、専門職の正規雇用の夫と同様の妻の組み合わせという、現在の日本の俸給生活者の中で最も恵まれた世帯の構成員だった。調子にのってというべきか、世の倣いに沿ってというべきか、収入がそこそこならば消費行動もそれに見合ったものになる。ローンを組んで大きな家も建てた。ろくに貯金もせずに3人の子どもに教育投資を重ねた。ところが、あららら、突然その片方がゼロ収入になってしまったわけだから、これは家計にとっては大打撃である。もちろん夫の収入だけでやっていけないわけはない。しかし、治療費に加えてローンから子どもの学費まで、ダブルインカムを前提に組み立てた生活をくるりとシングルインカム仕様に切り替えるのは、それは大変なことなのだ。
で、私はつつましい専業主婦になる道を選ばずに、あらたな収入源を探すことに邁進した。自分の収入があってこそ、地域猫の保護活動や近隣のホームレス支援にお金を使うことができていた。それを止めたくない。とはいえ、再発再々発のがんをかかえた身である。勤めに出ることは望むべくもない。自宅で塾を開くこともできない。
『がんのお姫様』に書いたように、私は土地に縛られて何世代も生きて来た田舎長者の娘である。土地と家には断ちがたい執着がある。バカらしいと切り捨てられない、風土病のような感覚といえばいいだろうか。それを断ち切る決心をした。
父亡き後、無人になっていた実家を解体し、書画骨董を古物商に引き取らせ、代々の和ダンスに閉じ込められてきた和服や軍服も売り払った。祖父の軍刀も、父が大切にしてきたさまざまな先祖の遺品も残らず処分した。そして、実家周辺に父が展開した家作を整理し、土地利用を図ることにしたのだ。事業は立ち退き訴訟を含む、まる3年がかりの大仕事になり、私は父が残してくれたお金を全て使い果たした。親族、近隣の人々からの強硬な反対意見を封じるために神経をすり減らしもした。八方駆けずり回り、やっとのことで、田舎のこととてわずかではあるが安定した地代を得ることができるようになった。あのぼろ家と借家人つきの家作と膨大なガラクタを私の死後、子どもたちに片付けさせる心配がひとまずなくなった。
さて、私の企てはこれで終わらなかった。夫の育った向島の小さな家が空き家のまま朽ち果てそうになっているのがずっと気にかかっていたので、ことのついでと言っては何だが、実家の事業にのっけてこっちも何とかしてやろうと私は思ってしまったのだ。
この家は戦後すぐに建てられた長屋の一軒で、夫の叔母が一時小料理屋をやっていた作りのまま、夫が大学に入る年まで暮らした家である。30年以上手つかずで、まさしくボロッボロで見るのも怖い、足を踏み入れることすら躊躇するような廃屋だった。
隣地に建つ神社が戦後、GHQの神道指令に沿って規模の縮小を余儀なくされた際、国が接収して売り払ったらしい一画で、神社の参道に面して棟割り長屋が4区画、12件建っている。公道に面していないため新築のできない区画であり、流通価値ゼロの物件だと、相談した全ての不動産屋に口を揃えてそっけなく言われた。「まったく価値がない。ほっとくのが一番です」。
そう言われると、「そんなことないだろう」とムキになってしまうのが、私の悪いところ(もしかしていいところ?)なのだ。リサーチ開始のフルスロットル。脱法シェアハウスがあらたな社会問題として浮上してきた時期だったため、若者のための安価な合法シェアハウスにしたらどうだろうかと思いつき、その線であちこちあたった。そして出会ったのが、下町の若い建築家である。
それまでに何人もからフラれていたので、また今度もどうせだめだろうと思ってメールをしてみたら、翌日返事が来た。「現地見ました。素晴らしいところです! ああいうところこそ残さなくてはならないのです。放っておいたら、根こそぎ味も素っ気もない画一的な街に作り替えられてしまう。あの建物を生かしましょう!」と熱いメールに驚いた。言われてみれば、アジール的な不思議な空間に見えないこともない。新築不可なので改築して人に貸せればいいや、と思っていたのだが、意外な展開でヴァケーションレンタルというものを始めることになったのは、彼の後押しあってのことである。
30年のホコリとゴミと雨漏りにやられて、家のなかは根太がゆるみ、屋根が腐り、床が傾き、とんでもない状態だった。敷地は10坪。2階建にて建坪18坪のミニミニハウスは、小料理屋だった時の姿にすこしづつ戻っていった。まるで時間が巻き戻されるように、丸めたカーペットがさーっと広げられるように、私の知らない夫の子ども時代や青春時代が目の前に立ち現れて来た。
ガラスの引き戸、石をちりばめた三和土の玄関、古い木のカウンター、そして氷を入れて使う、今ではテレビドラマでしかお目にかかれない冷蔵庫。茨城の大きな家を解体した際、どうしても捨てられずに取り置いて、叔母の家の物置に保管してもらっていた欄間や屋久杉の茶箪笥、数本の掛け軸や仏頭の彫刻、数枚だけ残した扁額や祖母の女学校時代の写真など、私にとって大きな精神的意味を持つものを少しだけ夫の故郷に運び込んだ。歴史の合体だ。神秘的な思いにかられた。故郷喪失者になってしまった侘しさが救われる思いがする。
と、感傷に浸っていられたのは最初だけで、あとはまあ近隣への説明、不安と嫌悪感をあらわにする一部の人たちへの対応、役所の立ち入り調査(墨田区は重点的防災地区につき、古い建物の補修にむける目が厳しい)、ヴァケーションレンタルの専門サイトへの英語での登録、写真撮影、ガイダンス作り、インテリア造作、物品の調達、運び込み、契約書作り、料金決済サービスの導入、ああ、もう頭がおかしくなりそう。それに、私が思ったより早く死んじゃった場合に備えて、バックアップ要員の育成もある。
建築家と初めて会ったのが昨年の初夏だったから、それでも8ヶ月で小さいけれど魅力的な貸家をオープンすることができた。旅館業法に抵触しないように、最低5連泊から受け入れる施設で、1回ごとに契約書を交わす。
2月頭にサイトに情報をアップしたところ、世界中から問い合わせが来る。ヨーロッパからが多いのは、クールジャパンが好きなフランス人の影響だろうか。細かい質問に答えながら、一人と何度もメールのやりとりをする。その間に別の問い合わせが入る。「新しいプラネタリウムができたそうですがどこですか」「コミケに行きたいのですが、何分かかりますか」「食事に関してだけ保守的な夫と一緒なので、スペイン料理の一番近いレストランを教えてください」「太平洋の真ん中の軍事基地からバケーションで日本に行きます。おみやげに砂をもって行きたいのですが、いかがですか?」。まさに千差万別、ありとあらゆる質問に答えながら、やがて予約が決定した時の充実感はけっこう素敵だ。あんまり使わなくなっていた英語がスラスラ出てくる。をを、私ってばこんな気の利いた英文書けたっけ?と自分でも驚くことがある。ははは。
というわけです。また借金です。亭主巻き込みまくりです。でも亭主、君がこれで元気になるならよかったな、と(ホロリ)。来年3月の予約が入った時、身体が熱くなって生命活動が活性化する実感があった。来年3月まで私は確実に生きていなければならないんだと思うと、自然に未来志向になっていくのである。
先週、初めてのゲストをトロントからお迎えした。成田空港から押上/スカイツリー駅まで直通52分、なかなかのロケーションだ。改札で待ち合わせた彼らの第一声は、「すごくわかりやすくて感激だよ! 去年パリに行った時にはホテルに着くまでに何度も迷ったのに」。嬉しくなっちゃった私である。
お姫様はどっこい生きてます。よかったらみなさん、泊まりに来てくださいな。日本在住のお客様は3連泊からお受けしていまーす。
http://www.homeaway.com/vacation-rental/p3708079
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