2014.04.20 Sun
高視聴率だったNHK朝ドラ「ごちそうさん」の終盤、め以子の義母・お静さんのセリフ。
「家族いうてもな、みんなひとりひとり。みんな孤独なんよ。そやけどな、たまーに心が一つになることもあるんやで。そんなときは、ごっつぅ、うれしいもんなんや」。
海軍へ自ら志願し、戦死した次男・活男のことを思い、「思い止らせなかったのは自分のせい。あの子を殺したのは私や」。久々に再会した女友だち・桜子に思いを吐露する母の言葉を、蔵屋敷の外で聞く長男・泰介。「なんでお母ちゃんは僕に、ほんまの気持ちをいうてくれへんかったんやろ。なんか寂しいなぁ」と気落ちする彼に、お静が語る言葉だ。
しごくあたりまえの、この言葉の意味を25年前の私はわからなかった。当時、夫からの離婚の申し出に戸惑い、女と男の関係の謎に踏み込みつつ、その問いへの答えを出しあぐねていた。
田中美津の「わかってほしいは乞食の心」(『いのちの女たちへ――とり乱しウーマン・リブ論』じゃないけれど、私が思ってることは同じく相手も思ってると、好んで望んだ結婚以来、ずっと20年間、そう思ってきた。そんなことはありえないと思い知らされ、その謎を解きあかそうと、マルティン・ブーバーの『孤独と愛 我と汝の関係』『我と汝・対話』を夢中になって読み進めた。
ユダヤの宗教哲学者ブーバーは、世界は人間のとる態度によって「我-汝(Ich-Du)」と「我-それ(Ich-Es)」の二つとなる。物象化に陥りやすい「我とそれ」とは違い、「我と汝」は真に語りあうことによって世界は拓かれていくという対話の哲学を主張。そこにあるのはひたすら「関係(あいだ)」(Beziehung)を生きることだという。
我と汝のあるべき姿を追い求める彼方に、ある一瞬の合一をみることがある。「他者を自分自身の欲求や目的から引き離し、それとは無関係に<自立的な向こう側>として認知すること、つまり他者との間に<原距離>(Urdistanz)をおくこと。そして他者が自分と根本的に異なる存在であることを肯定すること、すなわち<異他化>(Anderheit)」が、その必要十分条件であるという。あるかなきかの一瞬に心が一つになる。お静のいう「ごっつう、うれしい」ときが現れる。しかしそれはほんのひととき、人はまた真の関係のプロセスを求めて生き続けていくのだと読みとった。
先頃、向田邦子賞を受賞した「ごちそうさん」の脚本家・森下佳子も、もしかしたらブーバーのこ の本を読んでいて、あのセリフを書いたのかもしれないと、ふと昔の私を思い返して、そう思った。
もう四半世紀も前に書いた自著『関係を生きる女(わたし)――解放への他者論』(批評社)に、こんな一節がある。(この本、まだ絶版になっていないのにはびっくり)。
「ただ無媒介的に他者に自分の気持ちをわかってほしいと、ありのままの自分をさらすだけではだめなのだ。それは甘えと依存の裏返し。一旦は自分一人の孤独の中で思いを反芻し、対象化した上で言葉やその他の表現手段で表す。その限りにおいて自己をさらすことは自己主張になりうると思う。さらされる場合も同じく自と他を一旦は区別し、自分自身と相互作用を繰り返す。そこで初めて互いに自己を変えていくことができるのではないだろうか」。
まあ、今も同じようなことを考えているのだから、あんまり進歩してないなと思うけど、私にとって関係はなおプロセスの途上にあり、その謎はいまだ解けたとはいえない。
先日、BSテレビ朝日「あの人に逢いたい」で岸恵子に糸井重里がインタビューしていた。彼女は私よりずっと年上だが、「人間の色気」(女の、それではなく)を漂わせて今も魅力的。「歳をとってもステキな人とは?」と話が弾み、それは長い人生、他者への尊重と豊かな想像力をもつこと、相手からもそのように愛された人ではないかというのが二人の答えだった。
自分を大切にすることと他者を大事に思うことは同じ。自己主張しつつ相手への想像力を決して忘れない。その折り合いをつけていく作業が「関係」だとすれば、そこに向かう糸口は人としての「素直さ」ではないかと、私は思っている。
小さい頃、十分に愛された子は大きくなって人にやさしくなれるという。子どもにとって「甘え」とは「依存」であり、「反抗」とは「自立」なのだ。甘えと反抗を繰り返しつつ、子どもは自立に向かっていく。そのもとにあるのはやはり安心感ではないだろうか。
3歳半になる孫娘は、ようやく自分の気持ちを、たどたどしく話せるようになった。「ゆいちゃんはなぜ、そう思ったの?」「ママが、ゆいちゃんにお話した気持ち、わかる?」。自分の気持ちを言えて相手の思いもわかる子になってほしい。想像力は小さいうちから育まれていくと思うから。
私にとっても元夫にとっても、離婚はいい選択だった。そののち、それぞれの自由な道を歩いてきた。
あれから25年、思いがけず孫娘が生まれて、元夫は、ときどき娘と孫を車に乗せてイチゴ狩りにつれていく。子育てにいっさい関わらず、自分のことしか考えなかったエゴイストの彼も、年月を経て少し変わったのかもしれないなと、ちょっとほほえましくなった。
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