エッセイ

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「老い」への想像力(旅は道草・59) やぎ みね

2014.12.20 Sat

yagi-san 12月は別れた元夫の父の祥月命日。88歳で亡くなり、もう20年たつ。久しぶりに娘と孫と自転車で北野天満宮近くのお墓に参る。お天気もよく、ちょっと足を延ばして金閣寺まで。遅い紅葉が鮮やかに冬の空を彩っていた。

 舅はひとりで、いい晩年を全うした。妻を送り、嫁の私が余儀なく家を出た後も、いい家政婦さんに恵まれ、老いを楽しんでいるようにも見えた。たまに訪ねる私に、いつもお茶を入れて迎えてくれた。命日が近づくと、元気な頃の舅と姑が夢に出てきてくれるのがうれしい。

 かたや熊本に住む私の母は、いまや「老い」への道をまっしぐら。電話で「今日は亡くなったおばあちゃんの命日だよね」「あーら、そうね。知らんかったわ」「今さっき、おじゅっさん(お坊さん)がお経あげに来なはったじゃなかね」と向こうで叔母の声がする。今、いまのことをすっかり忘れても本人は少しも苦にならないところが救われる。90歳も過ぎれば、こんなふうになるんだと、ゆく道を教えられる思いがする。

 叔母が神経痛で腰を痛めて、いつも二人で来る秋の京都への旅が叶わない。ならば「せめて湯治にいったら?」とすすめて、二人で近くの温泉宿へ。いとこが送り迎えしてくれて10日ほど、のんびり過ごしたらしい。「早くよくなってお正月には京都に来てね」と誘うが、どうなることやら。

 「みんなで温泉に行きたいねぇ」と4歳の孫に話を振ると「ゆいちゃんは幼稚園に行かんとあかんし、ばあばは、お仕事があるからだめ。お休みになったら行こうね」といわれてしまった。

 まだまだ、この世とあの世をいったりきたりする年頃、さかしいことをいうかと思えば、夢の中の空想のままに、わけのわからぬことを言ってはゴネる毎日。

 日々、新しい発見を繰り返し、あの世とこの世を分離しつつ大人になっていく子と。
 浮世ばなれして、この世とあの世をいったりきたりする高齢の母と。

  はてさて、その両方に想像力を働かせながら、とはいえそろそろ私も「老い」の入り口にさしかかり、これから老いゆく道をしっかり学んでいかねばと思うこの頃。

 「何を怖れる――フェミニズムを生きた女たち」を観た。リブの女たちの生と性と反逆と。そして老いと。為政者は必ず、「性」と「政治」をセットに刃向かう者たちを攻撃してくる。身をもってそれを知る彼女らは老いてなお鋭く、本質を見抜く力を失わない。リブの女たちの言葉は、今なお新しい。

 2014シニア映画祭・大阪「いま、ここから始まる チャレンジするシニアたち」を観に豊中に出かけた。「おひとりさまを生きるpart2~最後の選択」は「在宅ひとり死」を選びとる、昔からよく知っている女(ひと)が主人公。

 「42歳からの解放~テレーズ・クレルクの場合」は、1968年のパリ5月革命を機にウーマン・リブを生きるテレーズ・86歳の、あくなき女の性を追求する日常を描いた作品だ。

 「人生100年時代をどう生きる」(高齢社会をよくする女性の会・京都創立25周年記念フォーラム)に参加。今、この二人を超える人はない、樋口恵子さんと上野千鶴子さんを迎えての「21世紀・爆談トーク」。すでに25年前、二人の「爆談トーク」を企画したウィメンズブックストア松香堂・中西豊子さんの先見の明には驚くばかり。当時、上野さんは40代、樋口さんは還暦前の若さだった。その対談をブックレットにまとめる編集を少しばかり手伝わせてもらったことを懐かしく思い出す。

 豊中の映画祭に出かけた午後、思い立って石橋まで、待兼山にある母校にいってみた。思えば1967年、卒業式の日、振り袖を着て坂を登って以来だ。卒業後、千葉に10年、京都に40年暮らして訪れる機会がなかった。周辺のあまりの変わりように、まるで浦島太郎のよう。迷っていたら女子学生に「ご一緒しましょうか?」と声をかけられた。歩きながら「そんな昔に卒業されたんですか。母もまだ生まれてないです」。そらそうよね。坂の上で「ありがとう」と礼をいって彼女と別れた。

 ふっと50年前のことを思い出した。まだ女子学生が少なかった頃。坂を行くのはダサイ学生服の男子学生ばかり。その中に一人、VANスタイルのおしゃれな工学部の男の子がいた。道々、話をするうちに、ある日、「母は戦争未亡人だったんだ。僕らを育てるために柳行李いっぱいの着物が一枚一枚消えていったのを覚えてるよ。タケノコ生活だったな」とポツリと呟く。あろうことか、その時、「タケノコ生活ってなあに?」と聞いたばっかりに「君、そんなことも知らんと、よう生きとるなあ」と、以来、口もきいてくれなくなった。無知は、人をどんなに傷つけるかということを思い知らされ、心底、恥しく思った。

 歳をとることは恥を重ねていくことでもある。
 他者への想像力をもてないばかりに、どれほど人の気持ちを傷つけてきたことか。

 「老い」への想像力を、身近に持たざるをえなくなった今、若い人への想像力もまた、あわせて持ちたいと思う。この時代の危うさ、怖さを、若い人にしっかりと伝えていくためにも。12月14日の衆議院選挙が終わったこの日、「ルビコン川を渡る」日が近いのではないかと、なおのこと、そう思う。

 ひとへの思いをわがこととする想像力は、人々や世代をつなぐ力に、必ずや、なると思うから。

 「旅は道草」は、毎月20日に掲載の予定です。これまでの記事はこちらからどうぞ。

カテゴリー:旅は道草

タグ: / 老後 / やぎみね