エッセイ

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子育てに疲れるとき 秋月ななみ

2015.02.20 Fri

                               発達障害かもしれない子どもと育つということ。27

 ここのところ、「想像力が及ばないというのはこういうことなのだなぁ」と思わされることが立て続けに何件かあり、疲れていた。

 傍目に育児を楽しく語っているようにみえる人の子どもが、いろいろと問題を抱えているということはよくあり、また本人が「育児って大変なのよ!(正確には、「大変だったんだから(あなたも同じようにやりなさいよ)」)という人の「大変」の中身を聞いてみると、「その程度の『大変』で済んでいるのか」と驚かされることもある。

 人それぞれに個性があるように、子どももそれぞれ個性があって違う。私自身も、他の人に、子どものことをいろいろと説明したりはしない訳で、それなのに、「自分のところの子ども」や「世間一般の子ども(なんてどこにもいないと思うが)」の姿を念頭において、「あなたの意見は間違っている」とか、「あなたの子育ては間違っている」という類のことを言われると、仰天すると同時に、本当にぐったりとしてしまう。

 自分は他人に、絶対にそういうことは言わないようにしているからだ。おそらく自分の子どもが育てやすかったとしても、育てにくかったとしても、そういうことは言わないと思う。「みんなそれぞれ事情があるものねぇ」と思っているからだ。

 「他の人もうちと同じようにすべき」と思う人は、他人のうちの子どもは自分のうちの子どもと同じだろうと暗黙のうちに前提できている訳で、つまりはとても育てやすい子どもさんをもっているのだろうと思ってしまう。羨ましい。「うちの子によいこと」が、「他の子にもよいだろう」と思ったり、言ったりすることはほとんどない。なぜなら「うちの子は多くの子とは違うもんなぁ」と思ってしまうからだ。

 今回はちょっと疲れていて、僻みっぽい原稿です。でも子育てをしていたら、そういうときもありますよね。ということでお許しください。

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シリーズ「発達障害かもしれない子どもと育つということ。」は、毎月15日にアップ予定です。

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カテゴリー:発達障害かも知れない子供と育つということ / 連続エッセイ

タグ:子育て / 母親像 / 子育て・教育 / 秋月ななみ