エッセイ

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暑い、熱い戦後70年の夏に(旅は道草・67) やぎみね

2015.08.20 Thu

春婦傳

春婦傳

 この夏、どうしても読みたい本があってAmazonで古書を探した。在庫は残り3冊しかない。

 田村泰次郎著『春婦傳』(東方社刊・1965)。数日後、本が届いた。白い箱入りの赤い布製の表紙に中川一政の題字がある。頁を開くとプーンと古い活字のにおいがした。

自序に「いまも私は、一兵士でなかったひとの戦争小説は信じる気持になれない。その点は、実に頑迷なものがある。実戦の体験者だけが、戦争小説を書ける資格があると、私は本気で考えている」とある。

 『春婦傳』は日本軍に戦地を引きずりまわされる朝鮮人従軍慰安婦の物語。山西省盂県の山岳地帯。八路軍との激しい攻防の合間、院子(ユワンズ)のまわりの部屋のあちこちで数名の娘子軍が一箇大隊千名もの下級兵士の欲望にうずく肉体を引き受けていく。

 作者は、「ピイの分際」といわれる慰安婦・春美の口を通して、前線にあるただ一つの秩序とされる「天皇」が、彼女にとって何の意味ももたないものであることを語らせ、「天皇陛下を背負った日本兵士」を痛烈に批判していく。しかも彼女たちは戦地でも日本名を名乗らされていたのだ

 田村泰次郎は、「春美」という真の他者のまなざしをもって、一兵卒としての自己の生態を描きだすことを、復員後の1947年に、ようやく果たすことになる。
 あくまで描くのは「春美」であり、描かれるのは日本の男である作者なのだ。

 もう一冊、『蝗』という作品を戦慄と悪寒を背筋に感じながら読み進めた。まるで蝗と二重写しになる兵隊たちの性的な生態のおぞましさに身震いしながら。

 「再び、生きて帰れるかどうか、誰にもわからない、いまというとき、女体を力一ぱい抱き締め、生の確証をつかみたい」という男たちの身勝手な欲望に。

 そんななかでも「アア、コンナニイイテンキハ、ユジヲデテカラハジメテタヨ、ハラタ」というヒロコという女も、突然、地雷の爆発で足をもがれ、原田がタンカで運ぶ努力もむなしく、戦場に捨て置かれてしまうのだ。

 『渇く日々』で、田村は、ついに自分の母親さえも異化してしまう。戦地から帰った彼を迎えた母が、息子の服に付いたしみを見て、血と思い、「きたない」と言葉を吐く。それを耳にした途端、彼は母親に、違和感、もっといえば本質的な「きたなさ」を覚えてしまうくだりが印象的。

 『春婦傳』は雑誌掲載に際して、進駐軍の事前検閲により、独立直後の朝鮮人を刺激するとの理由で掲載不可となり、「朝鮮」「半島」の語を削除したうえで1947年に単行本化されたという。その翌年、池部良と山口淑子主演『暁の脱走』(東宝映画)が映画化され、大ヒットする。

 男たちが書く戦争小説と、女たちが書く戦争表現は、どこか明らかに違っている。

 先頃、新刊『戦争の記憶と女たちの反戦表現』(長谷川啓・岡野幸江編 ゆまに書房)をWANの「わたしのイチオシ」に紹介させてもらった。

 暑くて熱い夏に、さわやかな清涼感を覚えつつ読み進んでいった。

 宮本百合子、平林たい子、佐多稲子、林芙美子、壺井栄、三枝和子、大田洋子、大庭みな子、林京子、米谷ふみ子の10人の女性作家の作品を10人の執筆者が読み解き、戦時下の抵抗と、敗戦後の傷痕と、核の時代を生きる今を見事に描き出す、おすすめの一冊。

 戦中、女は前線に立つことはなかったが、女も戦時イデオロギーに巻き込まれ、戦争を支えてきたことは事実。いや、これからはわからないぞ、男女共同参画軍国主義の時代がやってきそうな気配だから、女だって前線に立たされるときが、やがてくるかもしれない。

 この夏、90代の母と私と娘と孫の女4代で阿蘇と天草へ出かけた。暑い京都に比べて阿蘇は比較的涼しい。温泉宿でゆっくりしたあと、92歳の母と5歳の孫娘が「しりとり」を始めた。

 「かくれんぼ」と孫がいえば「防空壕」と答える母。「パラダイス」というと「すいとん」と返ってくる。聞いたこともない昔の言葉に、孫は(?)と首をかしげながらも二人で楽しそうに続けていく。

阿蘇・草千里

阿蘇・草千里

 阿蘇の高原でブルーベリーを摘み、牛の乳をしぼり、馬に乗り、天草の海でイルカに触って。

 安倍のいう「平和」なんかじゃない平和なひとときを、みんなで過ごすことができた。

 熊本の水は湧き水で冷たい。水がいいから、ごはんも魚も煮物もおいしい。「ごはんだけが、おいしい」「ごはんだけで、おいしいでしょ?」「うん、そう。ごはん、お代わり!」とパクパクとよく食べる。

 暑い、熱い戦後70年目の夏。8月14日、安倍首相は「70年談話」を出した。

 主語もない、自らの言葉で語らない文章なんて。誰かに言わされている中身なんて。矛盾だらけで辻褄のあわない談話なんて。「ちっとも聞きたくないわ」。

 過去の歴史へ反省もなく、従軍慰安婦にさせられた女たちへ一言の「お詫び」もないまま、戦後に区切りをつけるつもりなのか。

 「積極的平和主義」=戦争への道。そんなの、絶対に許せない。

 大文字の送り火を迎え、暦の上ではもう秋。ヒグラシの「カナカナ」と啼く音が聴こえてきた。

 暑い夏もそろそろ終わりかな。いやいや安保法制阻止の運動は、まだまだこれからが熱い闘いの始まりだと、気を取り直してシャンと姿勢を正した。

 「旅は道草」は毎月20日に掲載予定です。これまでの記事はこちらからどうぞ。

カテゴリー:旅は道草

タグ:慰安婦 / / / 戦争 / やぎみね

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