全文pdf(当事者研究「家族の成員それぞれの当事者研究」 上野 ゼミ子) 序章 はじめに 私は自分の気持ちを大切に暮らしたいと考え、当事者研究という方法で、自分の気持ちを言語化するという試みを続けてきた。そして当事者研究は私にとって生活の中で感じる様々な疑問を思う存分考察するのに最適な方法だったし、考察結果を日常生活で試してみて、次の考察につなげていく作業も楽しいものであった。当事者研究をして、自分の気持ち託す言語の獲得の方法がわかるようになった。その結果、自分の気持ちを適切な言語で表現できるようになり、様々な関係性において、ある時点における自分の正直な気持ちを、伝えるべき相手に伝えることができるようになり、日常生活で起こる不満や不安に対しても、落ち着いて考察して対処できるようになったと思う。 当事者研究は、まず私自身を研究対象にすることによって、研究をする「わたし」と研究される「私」を分離し、「私の不満」を言語化することからはじまる。 これまでも、私は日常生活での夫に対する不満はそのつど夫と直接交渉しようとしてきたが、現実には交渉というよりは夫を一方的に責めるような状況になり、私にとっては不本意な結果に終わり、不満は解消されなかった。今思えば、私の知りうる範囲にある言語や理論枠組みでは自分のおかれた状況を的確にとらえることができなかったことが、問題の核心だったのだが、そのことに気付かなかったのである。ただ、困難に直面した時、今の人間関係からえられる情報ではこの状況は打破できないという直感はあり、それでカウンセリングを受けるという行動になったのだ。その結果、カウンセリングを通してフェミニズム言説に接続され、ようやく自分を過不足なく表現するための納得できる言語や理論枠組みを手にいれることができたことは幸運であった。フェミニズムの言語や理論を知ったことで、自分の不満や不安を語る言葉を手に入れることができたのである。 私は、上野ゼミの課題として当事者研究を始め、ゼミで学びながら研究を継続してきたので、フェミニズムの言語系だけでなく、ゼミで扱ういろいろな文献をどん欲に吸収して、そこから、その時の自分に合う言葉を自由に選ぶことができた。上野ゼミに身を置いたおかげで、特定のカテゴリーに縛られたりすることもなく、自由な発想を阻害されないで、研究に没頭できたのだと思う。またゼミや合宿やジェンダーコロキアムで、私自身の考察を発表する機会が与えられ、さらに多くの研究者や当事者と交流することで、研究を推進する力がついたと感じている。 当事者研究の過程は、「社会学の知とは、「自己と他者との相互作用の中から生まれる「対話的な知」である。自己と他者との「場」の共有から生まれる「共同制作」の産物である。」(上野2002:278)と上野が指摘する社会学の研究過程そのものである。わたしの当事者研究は、上野ゼミとジェンダーコロキアム、そして家族が考察と実践の場なのである。 1章 夫と息子 以前のゼミで、(ひきこもり状態の)息子と私の関係について考察したが、その考察の過程で、これまでほとんど没交渉であった夫と息子の間にも変化があった。今回は息子と夫の関係について考察し、そのことが夫と息子と私にどのように作用していくのかまで考察を広げようと思う。 それは、ゼミで私が息子との関係を考察し発表する原稿を書くために息子と長時間話し合う回数が増えた時のことだった。夫の表現では「2対1で自分はひとり除け者にされているのが面白くない」という理由で、私に八つ当たりをしたので、私がそれに抗議した時、珍しく息子も出てきて、「俺に対する不満は俺に言え」と夫に言ったのである。 正面切って反抗はしないが、夫を無視し続けていた息子が、最近は夫に直接反抗することが何回かあった。そして夫もまた、息子に抗議されて、息子に対する不満を言うことになったのである。内容は私がかなり以前から聞いていたことで、同じ親として理解できないことはなかったが、働いていないという理由で息子を貶めるようなことを言うところは嫌な気分になった。それでも息子に直接話したのはよかったと思った。なぜなら不満があるのは確かなことだから、不満をその時の夫の言葉で、伝えたい人に伝えたことで夫も気が楽になるだろうと思ったし、息子もそういう事態に十分対応できるという確信が私にはあった。 夫は知らないが、半年ほど前に息子と私の間でもこれと同じようなことが起こり、私もずいぶんひどい文句を息子に言ったが、「お母さんの不安や不満はわかったので、それについては自分でも考えていくが、今のところこの状況をどうこうしようという気にはならない」という返答があり、息子は少しも動じる様子がなかった。息子のこの時の態度は私の理解を超えていたが、これが今の息子なのだという諦めというのか、妙に吹っ切れた気持になり、これを機に私の息子に対する変な遠慮(母親役割規範の影響)が払しょくされて、現実のそれぞれの状況をきちんと見据えた実際的な関係になったという経験があったからである。 2章 夫と息子と私が誰も犠牲にしないで共同生活をすること 今回のように夫の不満は、歪曲して現れることが多い。このような夫が疎ましく感じられ、一緒に暮らせないと思ったことも再三あった。しかしよくよく考えてみれば、私自身も自分の不満の全体像を知るまでは夫と似たり寄ったりだったのかもしれないし、家族の中で経済的に優位である夫が、経済的弱者であると感じている私と同じように考えるのは難しいだろう。しかも、私は当事者研究をして、十分に自分を表現できるようになったわけだから、夫も自分が思うままに表現していいのだと思えるようになった。なぜなら自分の気持ちを満足いくように伝える方法を体得した私は、夫が表現したその時に、感じたことをそのまま応答できるからである。 また、息子とは経済的な弱者としてはピアであるとしても、世代が違う息子と私の間では理解できないことや共感できないことがたくさんある。夫と私は結婚制度よって非対称な関係として配置されてしまったが、同世代でもあり、また30年にわたって共同生活をしてきたのだから、共感できる点もあるのである。 今回の騒動の結果、家族といえども個々人の利害は必ずしも一致しない(時には相反する)ということを体験的に知って、従来の家族の定型にこだわって、表面上仲良く暮らそうとして我慢するより、一人一人の好悪を大切にして、それぞれが楽なように暮らす工夫をすることを確認した。 どのような形であれ、直接それぞれの気持ちを話すことで、個人個人の情報を共有することになり、善悪や好悪を超えて、お互いの在り方はそのままにして、気持ちよく暮らすための対処法を各々考えるという方向に少しずつ向かうように感じられる。このような過程で、それぞれの思いはいつも叶うわけではなから、”No”と言うことにも、"No"と言われることにも慣れるし、しかも何回でも言い直して、再挑戦できることも体験的に知ることができる。そして、伝える内容もその時々で更新されるかもしれないし、表現も変わることもあるのである。そしてこのような営みの中から生じる自分の感覚を大切に扱っていけば、経験を通して従来の幸福観や世界観に縛られない自分に合った世界観や幸福観を獲得できる可能性があることが実感できた。 3章 主婦のパターナリズム 当事者研究は、マイノリティがパターナリズムのもとマジョリティに適応するために矯正する(治療)ことでも、マジョリティに対してマイノリティに合わせるように迫る(社会変革)という方法でもない。パターナリズムから脱して、マイノリティである自分の苦労の主人公になり、自分の苦労を対象にして研究し、それをコミュニティで共有することを続ける営みである。 家族では、「私」がパターナリズムの供給源だったと自覚した私は、夫と息子の関係についての相談には応じるが、関係には介入しないよう努力することにした。 パターナリズムとは、強い立場の者が弱い対場の者の利益になるようにと、本人の意思に反して行動に介入、干渉することである。この視点では、家族の中で私がマジョリティなのであるという発見があった。主婦は気遣いや家族関係の調停をはじめとする各種の主婦役割の遂行を通して家族を支配しているのだと実感としてわかったのである。主婦である私は、社会ではマイノリティ、女性としてはマジョリティ(現在ではどうかわからないが)、家族の場ではマジョリティなのである。 また、私の当事者研究の過程では、マイノリティであると自覚した息子と私が自己を肯定する評価軸を獲得した結果、家族の評価軸が逆転して、状況が次のように変わっていた可能性が考えられる。 夫は家族の中で経済的強者/私は社会的に経済的弱者/息子は社会的にも家族の中でも弱者 ↓(私と息子は、それぞれに当事者性を獲得し、自己を肯定する作業を行った結果) 息子と私は家族の中で安定した自己を獲得し強者/夫は家族の中で安定した自己を獲得できず弱者 このレジュメの最初で紹介した夫の言動も、その時点で夫が否定的な評価を与えられている(夫は弱者)と感じていたとすれば、理解できる。このようにマジョリティとマイノリティは場面によっていつでも入れ替わる可能性があることが分かったのである。 だから、夫も、息子や私がそうであったように、夫自身のやり方で、家族の中で今の自己を肯定的にとらえる視座を獲得する必要があるのである。 4章 マジョリティの評価軸に惑わされないこと この章では、家族や幸福の定型にこだわることをやめて、幸福と不幸というようなマジョリティの評価軸から解放されると見方や感じ方が変わり、楽になったとはどういうことなのか考察しよう。 例えば、「わたしが家事をしないと家族が不機嫌になるから、私はしたくない時でも家事をしなければならない。」という発想は、家事をする=善/しないこと=悪、家族の不機嫌=不幸(悪)/家族が喜ぶこと=幸福(善)という近代家族規範に縛られた発想である。実際にその時点で確認してみれば、100%家族の不機嫌=不幸、私が家事をすること=善と言い切ることはできないだろう。そういう日常の機微を無視して、日常の営みが定型の評価軸で解釈されるのである。実際に考察と実践を重ねていくと、対立することだと思っていたことの間に大した落差がないことが実感できたりする。そうすると、二項が評価から解放され、二項は境界も曖昧な一続きのものだと納得でき、二項の間で右往左往したり、立ちすくんだりすることも少なくなる。 たぶんこの時の評価軸は外部から与えられたものなのだ。外部の評価軸に自分を合わせようとするから混乱したり、苦しかったり、辛かったりするのだろう。自分の体験的な評価軸をもとに暮らせば、混乱もなくなるし、たぶん楽に暮らせるだろう。 私も当事者研究をしているうちに、外部の評価軸と自分の評価軸のズレが混乱や不安のもとであることに気がつき、外部の評価軸から離れてみたら、今まで大問題だと思っていたことが何でもないことに感じられるようになった。そうしているうちに私の中にあった家族に対する苛立ちや不満が、「私はただそう思っていたのだ・・・」という風に私の目の前を流れて行ったような感じであった。個人と個人の間には確かに境界があるが、その間に流れる空気が柔らかくなった感じがする。 5章 安定した自己を獲得するために では外部の評価軸と自分の評価軸とはどう違いのだろうか。 私たちの世界は個人の集合である大小の集団が存在する。個人はなにがしかの集団に属している存在である。集団はその集団の評価軸を持つが、集団の評価軸によって肯定的な評価を受けるマジョリティと、否定的評価を受けるマイノリティが存在する。マジョリティは評価軸を決定する主体であると言えるから、集団のあり方を決めるのはマジョリティである。だからマイノリティはこの集団内では肩身の狭く、生きにくさを抱えることになる。そこでマイノリティは母集団の中で生き延びるために、マイノリティのコミュニティを自分たちの手で形成し、母集団とはちがう自分たちの文化を創造しようとする。自助グループの活動やカウンターカルチャー、サブカルチャーの活動がこれにあたる。しかし、マイノリティのコミュニティが成立すると、この集団でも独自の評価軸が形成されるから、やはりこの集団内でも次第にマジョリティとマイノリティが形成されることになる。このような営みはいろいろな場面で繰り返される。集団の最小のマイノリティは個人であり、他者と同化できない部分を抱えた個人の評価軸というものが現れる。また同じ個人が、評価の項目によって、マジョリティになったりマイノリティになったりするこということも起こる。 このような過程で、マイノリティが独自の評価軸(文化)を草創する一連の作業が当事者研究であると考えることができる。マイノリティは、マジョリティのいない彼らのコミュニティで、マジョリティの評価軸を一旦捨て、自分たちを肯定する評価軸を創造する主体になるのである。これは、「べてるの家」の当事者研究が、パターナリズム(マジョリティの支配)を脱して、自分たちの苦労の主人公になる、という表現と呼応する。 考えてみれば、集団の全体像の中ではマジョリティもマイノリティも構成員であるということにおいて同価値であり、等身大の集団とは両方を含んだものである。また、肯定的評価と否定的評価はセットになっているものなのだから、一方を無視するのは意味がない。だから、マイノリティの自己回復作業は安定した集団を維持するためには欠かせない作業なのである。 集団の場合に限らず、個人の中でも同じようなことが行われている。個人の評価軸は個人が属する大小の集団の評価軸の影響下で形成されているので、個人の中でも、自分の感情や行動に対して概ね集団内の評価軸によって肯定的評価と否定的評価を与え続けている。そうするうちに、否定的評価が付与されるような感情や行動は抑圧され、肯定的評価を付与された感情や行動が自己を規定していくことになる。自己がマジョリティに占領された状態では、自己の全体像とは言えないから、時に生き苦しいと感じたり、抑圧されていたものが不意に顔を出して混乱したりする事態が起こる場合もある。個人という総体は、肯定的に扱われたものだけでなく、否定的に扱われてきたものも含んだものなのだから、自己の全体像は今肯定されているものと否定され続けてきたものとの総体なのである。だから、マイノリティという自覚がない個人でも、安定した自己を獲得する方法として当事者研究は有効なのである。 6章 様々なステレオタイプを再生産しないこと:「嫉妬」という言葉をめぐって 今回の考察で気付いたことにひとつに、ステレオタイプな言葉に回収されないことが、新たな発見につながるということについて述べる。 はじめに述べた夫の言動について、どのように表現しようかとずいぶん考えた。最初、わたしは夫の言動は私と息子に対する「嫉妬」であると表現していたが、この話を友人にした時に、その友人が「嫉妬」という言葉に強く反応した。彼女が言うには、「私が夫に対する不満を私の友人に話すと、それは夫に対する嫉妬だ、と一笑に付されることが多く、“嫉妬”という言葉で私の夫に対する不満が隠蔽される気がして理不尽だと思う。」ということであった。この話を聞いて、私は、本当に夫のその時の言動が夫の“嫉妬”によるものだと感じたのか、考え直してみようと思ったのである。確かに、表現する時に、関係性において起こったことの雰囲気を伝えようとするあまり、自分の感じていることとは少し違うのに、社会的に認知さている表現を安易に使って、その言動にステレオタイプな烙印を押してしまうことがある。しかし、ステレオタイプで表現してしまうと、考察は進展しないことが多いのである。 私も、友人からの指摘の後、夫の言動を評価するような言葉の使用はやめて、夫の言動を私がどのように見たかをそのまま書くことを目指したところ、その作業や文章から、「夫が弱者になったように見える」ことを発見したのである。 当事者研究の記述は、予見や予断も持たないで、それを見た自分の感覚と自分が了解した言語によって行うことが、新たな自分に合った視点の獲得に役立つようである。 それではここで言う「予見」や「予断」とはなんだろうか。私は、多分世間や専門家などの間で流通している言説(解釈や評価)ということではないかと思う。つまり、この考察では外部の評価軸やマジョリティの評価軸と表現されていることである。 以上の考察から、マジョリティの言葉を安易に受け入れるのではなく、目の前にあることを注意深く検討し、自分の納得いく言葉を選んで、何度も言い直しながら、自分の表現を獲得することの大切さが見えてくるだろう。 7章.おわりに まず息子と私の関係について考察し、今回は夫と息子と私の関係について考察したが、その結果、家族の中で強者や弱者が入れ替わるということが体験的に分かったことは、大きな成果であった。このことが認識できたことで、夫と息子と私がお互いを尊重して共同生活をするということがどういうことなのかが少しつかめたように思える。 つまり、日々の生活において、強者と弱者が入れ替わるのならば、関係に性において支配や被支配という関係は不可避であるという前提で、その場面の強者の支配的な圧力に対して、弱者がいつでも”No”という意思表示ができる余地を確保することを共通認識とすることが重要なのである。 さて、家族関係を当事者が考察することが公共の利益になると認められているとは言えない。私領域の問題は私領域内で解決すべきことであり、親密圏での出来事を公にすることに対する抵抗感は大きく、特に研究という領域で当事者が考察することには二重三重のハードルがあると感じる。 このような中で、息子と母親の関係を、母親である私が考察するのは、勇気がいることであり、夫と息子と私の関係に踏み込むのは、スリリングな試みでもあった。いろいろな逡巡のなかで行われた考察であったが、私にとって、家族が実験的考察を許容できる場であったことが大きな支えとなった。 そして私にとってもう一つの幸運は、上野ゼミやジェンダーコロキアムで学んだことやここで出会った仲間がこの考察を支え、後援してくれたことであった。 親密圏としての家族が、固定的な支配関係や暴力的な関係を再生産する場ではなく、関係の流動性を前提として、安定した自己と関係性を創造し維持するスキルを磨く場として機能し、失敗や言い直しがいつでも許されるピア・サポの場になる可能性があることを、私はこの考察から感じることができたが、一方そのためには家族(=近代家族)だけを特権的な神聖な親密圏とするような位置づけから解放する必要があることを痛感した。しかも、近代社会は公領域と私領域を分離し、公の私に対する優位性を標榜してきたが、公私は渾然一体であり明確に分離できるようなものではなく、また優劣をつけるようなものでもないことを実生活の中で確認していくことの重要性も痛感した。 【参考文献】 綾屋紗月・熊谷晋一郎2010『つながりの作法 同じでもなく 違うでもなく』(生活人新書) 上野千鶴子2002『差異の政治学』(岩波書店) 浦河べてるの家2002『べてるの家の「非」援助論』(医学書院) 笠井潔2002『探偵小説論序説』(光文社) 藤目ゆき1997「赤線従業員組合と売春防止法」(天野他編2010『新編日本のフェミニズム10女性史・ジェンダー史』所収) リチャード・ローティ2000『偶然性・アイロニー・連帯』(岩波書店)