上野研究室

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原発再開の歌 ちづこのブログNo.17

2011.12.08 Thu

原発再開は全く考えない

キョクリョク原発に頼らないようにする

年内再開は許可しない

ただちに再開はありえない

トーブン再開のメドは立たない

今のところ再開は見送りたい

なるべく再開はさけたい

再開がある—としても今すぐにではない

再開せざるをえない—という声もあるが

十分な国民的議論が必要である

再開もさけられない—

かもしれないが先のことであろう

再開しない—と決まっているわけではない

再開も視野に入れる必要がある

再開は慎重が上にも慎重でありたいが

再開もやむをえないかもしれない

そろそろ再開すべきとの声もある

再開を望む国民の声も無視できない

やはり再開すべきとの声も大きい

再開の時期を考えたい

どうやら再開に踏みきる時がきたようだ

原発再開をすることになり

再開をする—

 

高田渡の『あいさつ』というCDにある「値上げ」という唄、歌詞は有馬敲。「値上げ」というところを「再開」に置き換えてみた、のは森獏郎さん。信州発産直泥つきマガジン『たぁくらたぁ』編集委員、という以上のことはよく知らない(板画家らしい)。最近の25号(2012年冬)の特集「脱原発フクシマは問い続ける」に載っていた「バクの寝言」というコラムからの引用である。

「たぁくらたぁ」とは、田蔵田とも書く。鹿に似た生きもので役に立たない無用者。「信州では「馬鹿者」とか 「オッチョコチョイ」「ショウガネエヤツ」「ノンキモノ」などを、いささかの愛情を込めて「コノ、たぁくらたぁ」などと言っていた」そうな。(HPよりhttp://o-emu.net/tarkuratar/?cat=10)「たぁくらたぁ」にも反骨の魂は宿る。「1寸の虫にも5分の魂」か。

森獏郎さん、教えてくれてありがとう。もう死んじゃったけど、高田渡さん、この唄を残してくれてありがとう。有馬敲さん、知らない人だけど、抜群のアイロニーとパンチの効いたこの歌詞、書いてくれてありがとう。森さん、替え歌思いついてくれてありがとう。

こうやって引用してみると、こ、こわい。見慣れた風景が、こわすぎる。こうやってふたたび、みたび、なしくずしに既成事実がつくられていくのか。

ここいちばん、どうやって踏ん張るのか、考えよう。

 *

 もひとつ。脱原発派は必読。ヨアヒム・ラートカウ「ドイツ反原発運動小史」上下『みすず』11&12月号。「小史」とあるようにコンパクトだが、なかみはぎっしり大著1冊分は詰まっている。これぐらいの歴史研究が日本にもあれば、と思う。なぜ脱原発派がドイツで勝利し、日本で勝利しないかの分析もある。読みながらほぞを噛む思い。

 

 

 

 

カテゴリー:ブログ

タグ:脱原発 / 上野千鶴子